渡邊先生(心理学)と後藤先生(生物学)の科学とその境界に関するツイート

10
前へ 1 ・・ 6 7
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 就職のために研究する,地位のために研究する,金のために研究する,いずれも「営為」としては認識論的にも方法論的にも科学的でしょうし,そうでなければ就職にも地位にも金にもつながらないでしょう。それらも科学ではないですか?

2012-07-28 00:00:30
後藤 健 @123_euglena

なるほどね。科学とはどういう営みか、という認識に根本的なズレがあったわけだ。では、科学と科学的技術とはどのように区別しますか。QT @ynabe39: 原爆製造は科学です。科学者によって,科学の認識論と方法論にもとづいて行われたことですから。

2012-07-28 00:01:10
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 理学部の人はそれを区別したがりますが,私は科学と科学技術の区別などできないと思いますし,そもそも科学技術として役立つことが想定されなければ科学研究には研究費はほとんど入らないでしょう。

2012-07-28 00:02:41
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 それは、科学研究における動機の問題で、これまでの話とは別次元です。

2012-07-28 00:03:03
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena その「科学と科学技術の区別」みたいなことも極めて価値的で規範的な主張です。

2012-07-28 00:03:22
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 人の行為について「動機」と「行為そのもの」を明確に区別することなどできないし,そもそも「動機」というのは行為から遡及的に推測されるものです。

2012-07-28 00:04:52
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 今日はもう寝ます。今日の話は後期の「科学の方法」の授業に役に立つと思いました。ありがとうございました。

2012-07-28 00:09:06
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 後者はやはり別次元の話。日本語の科学技術は極めて曖昧ですね。ある人はS&Tを指し、別の人はScientific Technologyを表している。いずれにせよ、Science と Technology は別物です。

2012-07-28 00:09:41
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena 人間の行動や心理についても「専門の学問」はあるわけですが,多くの人は「自分も人間なのだから」勉強しなくてもそれについて正しく考えているつもりです。これも「自分は科学をやっているのだから科学については理解している」というのと類似した「錯覚」だと思います。

2012-07-28 00:10:57
後藤 健 @123_euglena

@ynabe39 動機がどうあれ、その行為が科学研究と呼べるものであるならば、科学的真理の探求である、ということです。その行為の結果が、学会発表なり学術誌への掲載につながれば、当の個人の動機に関わらず、他の科学者によってその「科学的知識」が利用されることになります。

2012-07-28 00:26:28
渡邊芳之 @ynabe39

@123_euglena そうであればなにかが「科学研究かどうか」は(認識論や方法論,研究者の動機などではなく)まさにジャーナルを中心とした科学者の共同体によって支えられているわけで,まさにそれこそ科学哲学がひとつの「結論」としてたどり着いた場所です。ではおやすみなさい。

2012-07-28 00:31:10
後藤 健 @123_euglena

科学者と人文学者はセンスが異質で色々勉強になる。昔は教員の溜り場があって文系学者と議論する機会があったけど当局によって取り壊されてしまった。渡邊さんとはそのノリ(知的探究心)で議論。彼にとっては授業の題材にもなる。QT @yoshikotori: 畜大教授お二人のツイ公開授業

2012-07-28 02:28:10
前へ 1 ・・ 6 7