60年安保のなかの暴力(2)――大山幸雄(1960)「一機動隊員の六月十五日」より
「もう暴徒だ。拳銃を使用できないのなら、前進して暴挙を阻止しなければならない。警察官は、国民から治安の責任を負わされている。このような事態を起さぬようにするのが第一の責任であり、一たび起ったら速かに鎮めるのが第二の責任である」(大山幸雄(1960:207))
2012-08-09 01:37:00「警棒をふるい、逃げる者をなぐったといわれるが、相手が“武器“を持っている時、相手に攻撃の意思がある時、素手で平身して説得しろというのか。学生は石で、棒でガラスで、火で攻撃しても良いが警官は防ぐことすらいけないというのか」(大山幸雄(1960:207))
2012-08-09 01:37:32「E型ガス弾三十二個が使用された。しかし、いぜんとして輸送車の焼打ちは続き、十六日午前一時には十四台が破かいされた。東大総長が説得にきたと聞いた。なぜ今ごろ来るのだ。もっと早く、いや最初から学生たちを押えられないものか。学生たちは次第に少なくなった」(大山幸雄(1960:207)
2012-08-09 01:38:23「集合の命令を伝える伝令が走った。一応国会周辺の事態がおさまった頃だ。*輸送車の後片づけをして隊にひきあげた時は、すっかり夜が明けていた。夜食用の乾パンが配給されても、見向きする者はいない。拳銃を仕舞うと、思い思いに倒れて眠ろうとした」(大山幸雄(1960:207))
2012-08-09 01:39:51「眠ろうとしたが、びしょぬれになった体が冷えてガタガタふるえてきた。学生たちの狂ったような姿が目にちらついた。もっと早く取締らねばならなかったのだ。*こんどの事件を厳重に追及しなければならぬ」(大山幸雄(1960:207))
2012-08-09 01:41:07「生ぬるければ、あの程度なら許されるという気持を与えるだろうし、警官ならいくら攻撃しても大丈夫だという印象を与えないとも限らない。/そうなれば、この世はヤミだ。治安も平和も無くなるではないか」(大山幸雄(1960:207))
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