現代史についての談話からの逸脱
@yz_xnaga ひとによりけりだろうけど、そして私は表現者というほどのものは無いけど、私の場合、他人の表現を鑑賞する場合も自分で絵を書く場合も、「他人とコミニュケーションを取りたい」というのに似た欲求によるもののような気がする。
2012-08-17 22:48:38@neralt セリーについては、調性「からの」逸脱ではなく、調性「そのもの」を考慮「しない」という点で、現代かもしれません。ではミニマルは? 確かに、テープ・ループなど楽音に限らない作品もありますが、(続)
2012-08-17 22:48:46@neralt 一方で楽音に限定された、しかも楽音的な協和音を臆面なく使用した楽曲もありますよね。また、詳しくはないのですが、「新ロマン派」といった潮流もありました。こういった点を考慮するに、「楽音以外の要素が積極的に入りだした」のが現代音楽とは、一概に言えない気もします
2012-08-17 22:50:36@yz_xnaga セリーとミニマルは一応現代に入れてます。じゃあ十二音技法は?とか微妙な感じなんですが。
2012-08-17 22:51:04@neralt 「調性からの逸脱」が近代であれば、十二音技法はその架け橋的な位置になりますかね(けっきょく、この言い方もビミョウですが)? あくまで「調性からの逸脱」というのを念頭に置きつつ、ただ、調性とは全くかけ離れた楽曲を目指す、っていう。
2012-08-17 22:56:27@yz_xnaga えっと、すいません。だから楽器の出来ない私にとって私の音楽的美意識を表現するにはレディメイドな音楽的の「○○の×××なところが好き」と言うのがまず第一歩になるのです。
2012-08-17 23:01:40@furufurufurufur 大丈夫です(笑、ワタシも長文リプを考えていたのですが、途中で何を言いたいのかわからなくなりました。ブラックニッカのせいですが(笑、それでもちょっと、長文リプをします
2012-08-17 23:08:16@furufurufurufur ワタシは未だにモダニズム的な考え方をするので、どうしても「音楽の推進力」であるとか、「新しい音楽全体の在り方」へ思い巡らせてしまいます(昼間から続けている「現代」「史」tweet の続きみたいなものです)。では、音楽の推進力があるとして(続く
2012-08-17 23:11:54@furufurufurufur それはどのようにして可能か、というのを、最近考えるわけです。調性からの逸脱、非-楽音的アプローチ、(「非-楽音的 」同じ意味かもしれませんが)音響的アプローチなどなどです。ただ、いずれに共通しているのも、音楽「作品」を盛り上げよう、っていう(続く
2012-08-17 23:14:29@furufurufurufur いわば「作品」主義のような考え方が蔓延っているという印象を受けるわけです。では、「作品」以降を想定した場合に、どのような在り方であれば「音楽の推進力」を信じ続けつことが出来るのか、(続く
2012-08-17 23:16:06@furufurufurufur (コレは循環かもしれませんが、)作品にならない音楽行為を、アマチュア音楽家が続けていくしかないのではないか、と、思うわけです。ということで、楽器屋がもっと盛り上がればいいな、と思うわけです(続く
2012-08-17 23:18:03@furufurufurufur また、全く別の観点ですが、もし理性による音の調律というのが、音楽の基本的な姿勢としてあるのであれば、コレをより大きな理性で調律することが、例えモダニズム的な考えであるにせよ、音楽を推進することになる、と思うわけです(続く
2012-08-17 23:20:16@furufurufurufur すんません、長々と。でもおそらく、音楽全体を盛り上げるという観点では、ワタシとフルくんでは、そんなにズレてないと思います(終
2012-08-17 23:21:28@yz_xnaga なるほどね。お返事ありがとう。色々と勉強していないことを自覚した上で、マジメにやっている人に色々と失礼なことも自覚の上で、あえて乱暴な議論をさせて頂きます。
2012-08-17 23:26:33@yz_xnaga ある友達の画家が抽象画を描くのだけど、あるときに思い切って「何かを表現したくてこういう絵を描くのか?」と聞いたことがあります。答えは「これの場合は、手法的な面白さを追求して描いた」のだと。
2012-08-17 23:30:17@yz_xnaga それを聞いたときに自分が現代芸術に触れても理解できないことが多い理由が分かった気がしたんです。
2012-08-17 23:32:26