【シューニャリアーナ】「面白きことも無き世を面白く」?【出来るか!】
- L_O_Nihilum
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なにも「そんなことよりミクさん可愛いよ!」でおしまいになる、という事を意味しない。かわいいよ!と現在形で言う限りは持続しているんだから、その持続する可愛らしさへの迫り、思考が大切だという事なのである(だからデータベースモデルやら何やら等批評においては忌々しい限りなのだ)。
2012-08-23 18:21:42@amamiya1yuuki Goodな質問キター。長くなるので、数リプライで返します:楽しむ、っていくつか段階があると思うんです。「アー楽しかった!」って言って”終っちゃう”楽しみと、「ああ、これがコイツの面白さなんだな」と”受け取って、モノにして”楽しむというものです。(続
2012-08-23 18:23:55@amamiya1yuuki 例えばプールとか遊園地とか、ドラマとかAKBライブとか映画とかで、観に行って、「ワー!」って楽しいと思う。これは解る。それは良い事です。でも、それだけですか?何故その時面白かったのか、考えたりしないのか?と来る。
2012-08-23 18:25:06@amamiya1yuuki これがコイツの面白さだ、とか、此処に面白さがあるんだ、とか思いながら、一生懸命楽しもうとする。楽しむ「努力」をする。こうした楽しみと、ただ楽しい、って言って終わってしまいあとで忘れてしまう楽しみでは、大きな違いがあると思います。
2012-08-23 18:25:57@amamiya1yuuki この、「ああ楽しかった!」から、「あ、これがコイツの面白さなんだな」とか、楽しむ最中に「ここが面白さかな…?」て『受け取ろうとすること』が、ホントの楽しむ、であって、そうじゃないものが、「ただ楽しむ」っていう事だと思います。(回答了
2012-08-23 18:27:03@L_O_Nihilum ありがとうございます。しゅーにゃんさんの言いたいことはなんとなく察していました。後のツイートを思った通りでしたが、「ただ楽しむ」とはなんなのかを理解していないと誰かがミスリードOR勝手な解釈をしかねないので一石投じてみました
2012-08-23 18:32:36ドゥルーズが言ってる「待ち構える」というのもコレのことで、”楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることが出来るようになる”(暇倫P.354)という事である。「考えること」が、やっぱしその中に入っちゃってるのだ。
2012-08-23 18:28:55とすると、「面白きことも無き世を面白く」にはいろいろと疑問が出てくる。いろいろあるんだけど、おおかたこれだ。『”どう面白く”』?
2012-08-23 18:29:40組み替える、にしても、その組み換え自体が消費に使われている。確か「データベース消費」とはそういうモンだったはずだ。あらゆる事柄、楽しみ、音楽の要素やアニメゲームの要素ってやつが、データベースの組み換えによって形成されている、そういう消費社会の工業モデルの事なのだ。
2012-08-23 18:30:35とすると、その組み換え自体が、「ただ楽しむ」ためのパブロフな起爆剤でしかない、って言う風になると、消費社会論者(ことに東浩菌)の思想から抜け出す力と言うのには、弱弱しくなってしまうのである。
2012-08-23 18:31:34実際な話、そうだ。人は面白きことも無き世であるから、シニシズムに陥り、どうしようもなく商品を消費する…コンプガチャがそれに付け込んだ結論の姿だ。
2012-08-23 18:32:49コンプガチャというのは、特定のミニマムなデータに出現率での価値を与え、それに流行した魅力の寄せ集められたキャラクターをくっつけて、入手できない形で与える(?)というキワドイ手口である。これはコンプガチャやネトゲ以前のゲームと比較すると分かることだ。
2012-08-23 18:36:12もうこの際だから一般化して単純化して論じましょう、「パッケージ性」の差異の問題です。
2012-08-23 18:56:35えっとさっきまでの文脈を確認します。要するにデータベース消費っていう構造がいかにコンプみたいな課金制ゲーを生み出してるか、つまり「ただ楽しむ」の普及が、いかにあのようなゲームが出来るきっかけになってるのかを示すところに来ている…ハズ。
2012-08-23 18:59:19受け取る、という考え方をもみ消す、一番の方法としてコンプガチャ、のような課金制が選ばれてきている。そして、この課金制のゲームの製作の手口は、まさにさっき言った「データベース消費論」の考え方が含まれている。
2012-08-23 19:00:26どういうモノかというと、つまりキャラクターや要素の「かわいさ」や「萌えポイント」とかの寄せ集めで、高速でそうしたキャラクターなどをデザインする。そしてこれをデータに出力して、確率を付けて配信する、っていうものである。
2012-08-23 19:02:52ただこうして出力するなら、「なにがでるかな」ゲームで済む。しかし、そこに「お金」の課金が絡んでることは忘れちゃいけない。その「なにがでるかな」をやるためのゲームを続けるために、いちいちお金を払わなければならない仕組みになっているのだ。
2012-08-23 19:06:17そしてその中には幾つか、レアカードを付けておく。このレアカードってやつが、やたらめたらかわいいやつだったり強そうなやつだったりする(レアカードだけじゃなくてレアな敵、所謂ボスだってそうだ!)。そういうものは「ある程度お金を出してくれた人にだけ」出やすくなるように確率を変動させる。
2012-08-23 19:08:34@youme2525 なんていえばいいんだろう、別の考察で僕は「普通のガシャポンにおけるコンプリートとコンプガチャの差異」は論じた経験があるのですが、それに関わるのかな。→ http://t.co/nt0fQugm
2012-08-23 19:24:57@L_O_Nihilum 操作性の排除はそもそも現在のゲームに慣れていない層を取り込むためだし、パチンコみたいなギャンブルに近い形態のソーシャルと、ゲーム性追求した「infinity blade」みたいなソーシャル、多分成功するのはパチンコ型だって見えてるのが問題って思います。
2012-08-23 19:52:49@book_floor ゲームビジネス、という観点で提供者側の倫理として考えるならそう言いかえて問題ないと思います。僕の言い方は享受者よりなのでこのカタチになるんだと思います。まぁ要は「売れているものが面白い物か」という観点を提供者の立場に書き換えた物として有用な問い。
2012-08-23 19:55:13@L_O_Nihilum 倫理的な問題を排除しても、面白さと簡単さの二つの道があって、簡単さを追求したほうが儲かるって状況が問題かな、と。面白さを追求することが利益に反してしまう。制作側からすると、この二択に選択の余地は無いわけで……もちろん完全に相反するものではないですが。
2012-08-23 19:58:33