『西洋美学史』twitter読書会 16章~18章(最終回)

小田部胤久著の『西洋美学史』を、なんとなく集まった専門バラバラ文系民で読み進めた読書会の試み第七回まとめ(9/1)だいたい一ヶ月かかったんですね、短いようであり長くもあり。TLではお騒がせしました。次にこの本を手に取る方、twitter読書会をやる方の参考になりますように。
4
前へ 1 ・・ 4 5 ・・ 14 次へ
tieckP(ティークP) @tieckP

@twidokusho 個人的には抽象の話になると感情は具体的なのか抽象的なのかという問いにたどり着いてしまって、前にDGも言ってた何を抽象とするかは一概に言えないという結論に。 #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:42:11
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

結局,抽象自体が人によって感じ方が違うのに,どちらか一方に押し込めてしまうこと自体が混乱の元なんだろうなー,と。この間の「音楽は抽象か否か」議論以降思っている。 #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:42:45
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

まあ,カンディンスキーやその周辺が「抽象は形相!」と思ってたこと自体は,美術史・美学史的に重要だとは思うけど,自分が抽象表現主義にさして興味が無いw #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:43:50
シノハラユウキ @sakstyle

具体と抽象というのを、個物と普遍で言い換えていいのであれば、感情は普遍の方にあるんじゃない。で、各個体において例化されてる。 #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:45:34

これも若干グッドマン『芸術の言語』を参照してる(sakstyle)

シノハラユウキ @sakstyle

まあ、言い換えてよくはないな。関係はしているけど、イコールではない。抽象的ではない普遍はあるわけだし。ただ、個物から抽象したものが普遍じゃないか、と考えることはできるとは思う RT sakstyle: 具体と抽象というのを、個物と普遍で言い換えていいのであれば #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:51:10
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@sakstyle 感情と言われると難しいんですが,美術史の古典主義的な理解では,線(デッサン)=構造は理性の産物なので普遍ですが,色彩は感情を揺り動かすもので,感性的だから普遍性がない,という区分けになりますね。

2012-09-01 23:53:39
シノハラユウキ @sakstyle

あー、何となく個物と普遍って言葉を使ってたけど、唐突だったな。質料と形相の言い換えで使いそうになったけど、これ言い換えじゃねーなー。あと、色は普遍です、って言いたいけど、何か文脈が違いそう。

2012-09-01 23:56:55
シノハラユウキ @sakstyle

@twidokusho あー、うーん、個物と普遍の「普遍」は、普遍性とか理性とかとは多分あんまり関係ない、というか、特定の時空間にない、という意味で「普遍」なのであって。ただ、形相と質料、形式と内容、具体と抽象の話をしているのに、さらにまた別に二項対立を持ってきたのは間違いだった

2012-09-02 00:05:38
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@sakstyle あくまで古典主義的理解ですんで,実際どうかは別問題ですねw

2012-09-01 23:58:00

形式と内容、形相と質料、抽象と具体、普遍と個物といった二項対立をなす語群が、主に僕によって乱発されて議論が混乱してしまったのではないかと思います。後半になってようやく、これらの語群は似ているので思わず同義語のように使ってしまったが、実際には同義語ではないので、そのように使うと訳が分からなくなる、ということに気付きました。(sakstyle)

17章ハイデガー 「快適でない」芸術について

tieckP(ティークP) @tieckP

17章ハイデガー  オルテガ・イ・ガセットによれば、新芸術は「ロマン主義や自然主義」の人間的要素を徐々に排除したものである。これは芸術的な芸術であり、非人間的なため「本質的に[非大衆的]であり、理解できるのは「芸術的感受性」に優れたエリートだけである。 #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:53:17
tieckP(ティークP) @tieckP

この点は、「大衆の反逆」の著者であるオルテガの「大衆」と「選良」の図式そのものである。しかし、彼は「新芸術」もまた、ロマン主義的な自己反省と笑劇化の方向性において大衆化社会の精神と符合することも洞察している。したがって芸術は大衆から逃れれらない。 #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:54:25
tieckP(ティークP) @tieckP

ハイデガーは、『存在と時間』のなかで、「人間がいわば<大衆>として世間に没入ないし埋没し、その本来的なあり方から頽落している状態」を「居心地の良さ」と規定し、それを打ち破る「不安」に着目する。この不安・居心地の悪さこそ、人間が自己を取り戻す契機である。 #西洋美学史読書会

2012-09-01 23:58:32
tieckP(ティークP) @tieckP

『芸術作品の根源』によれば、「安心できない芸術」こそがこの「不安」の役割を果たしている。芸術作品がもたらす「衝撃」を彼は「原初」と呼ぶ。これは、将来獲得される終焉を先取りして自らに含みつつ、未だ潜在的な形に留めている。それが顕在化する過程こそが「歴史」である。 #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:00:24
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

めるぽんって言われるとプリズムリバーにいそうな感じがする(東方脳)

2012-09-02 00:02:13
tieckP(ティークP) @tieckP

ハイデガーの「原初」を受けてメルロ=ポンティは洞窟に描かれた「最初の素描」を「探求の限りない領野」を決定付けるものとする。以後の作品は、その作品以前には不可能だったことを可能にする(これが歴史)一方で、その実現される「可能性」は潜在的に原初にあったものである。 #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:01:48
tieckP(ティークP) @tieckP

同様に、個々の画家の営みも、それは過去の芸術家の「潜在的な呼びかけ」への応答であり、同時に未来の芸術家への呼びかけである。また芸術家の人生も、初期の「企て」に告知されているが、それは後の決定後に振り返って初めて明らかになるという意味で、制作は自由な企てである。 #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:02:27
tieckP(ティークP) @tieckP

@twidokusho (このとき、客観的な作品と主観的な芸術家の生は、将来実現する作品と、それを予感する生という形で交差する。) #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:03:28
tieckP(ティークP) @tieckP

メルロ=ポンティはまた、『セザンヌの懐疑』において、その絵画が「非人間的な自然の土台」を明らかにするものだとする。つまり、「人間の観念と科学の秩序」を通して人は認識するが、それは「知覚」を通して形成され、その生成過程が忘却されたものに他ならないことを暴く。 #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:04:35
ほとけ🐶 @schwmtl

わがままフェアリーメルロ=ポンティ(9ヶ月ぶり2回目の投下) #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:05:14
tieckP(ティークP) @tieckP

セザンヌはこの「知覚」以前の、「観念」に先立つ非人間的な土台を(ハイデガーの「安心できない芸術」同様)描いてみせる。それはまた、(知覚以前に存在するものを描くにも関わらず)「描くという行為」によって初めて実現する意味で、先立つ構想無き制作と言える。(三章参照) #西洋美学史読書会

2012-09-02 00:06:46
前へ 1 ・・ 4 5 ・・ 14 次へ