だれもが思っていることですよ。命の選別などという抽象的な言葉で、ひとの欲望は止められないということ。しかも今回は選別される側はそもそもこの世界に存在すらできないので、被害の概念は圧倒的に抽象的にならざるをえない。むろんそれを考えることこそ哲学的という立場はありえますが。
2012-08-31 19:04:02「生まれなかった命」について考えるというのは、死者について考えるよりも未来の世代について考えるよりも難しい。ぼくの哲学的なテーマのひとつは(存在論的郵便的とかQFを読んだひとならば知っているように)まさにそれですが、それだけに、そのことを考えるのが難しいことがよくわかる。
2012-08-31 19:05:26だから、ひとは確実に選別をする。おそらく、その技術の出現(と未来の普及)によってもっとも「被害」を受けるのは、いまダウン症を抱える人々とその親族でしょう。今後は、いままでよりもダウン症の子供は確実に少なくなっていくでしょうから。心理的社会的に厳しい状況になる。
2012-08-31 19:07:04けれども、やはり、現在ダウン症を抱える人々を取り巻く環境がいまよりも厳しくなるからといって、これからもダウン症を一定の確率で作るべきだという論理には、人々は同意しないと思う。
2012-08-31 19:08:11それは、われわれが作りたい社会です。社会はそういうふうにできています。RT @Otomomichel @hazuma 肝心なのは、そいう選別をしてまで形成したいのはどんな社会なのか、ということなんだと思います。
2012-08-31 19:15:58高齢で出産を迎える人々はダウン症の心配をかなりリアルに感じているはず。うちもそうだった。これかはそういう心配は(金さえ払えば)減る。それは人々の想像力や優しさを確実に減らす。それはまちがいないけれど、「人々がいまより優しくあってほしい」ので技術開発を止めるというのも無理だと思う。
2012-08-31 19:11:21なお、うちの妻はぼくより年上で妊娠時に40だったのでダウン症そのほかのリスクはかなり真剣に検討しましたが、話し合って、いかなる結果になろうとも子どもは欲しいので羊水検査もなしで生みました。その結果がよく登場する例の娘です。
2012-08-31 19:38:31今年の夏は、娘がプール三昧でまっくろになって泳げるようになって幸せそうで、ほんとうよかったなあ。インドも楽しかった。娘がいまのように無邪気に親を慕ってくれるあいだは、子ども優先で生きていこう。そんな時期は長く続かないのだから。
2012-09-01 01:08:37個体差はあるだろうけど、娘が父を無条件に慕うのには年齢的に限界があるはずだと思う。4歳ぐらいからあと、ぼくは娘に対して、そのタイムリミットを気にしながら付き合い続けているような感じがする。「ああ、この瞬間を10年後にすごく貴重な時間として思いだすんだろうなあ」というような倒錯。
2012-09-01 01:11:33それはなんというか、死を意識するのにとても近い感覚。「自分はいつか死ぬんだな」というのを、成長する娘を見ていると逆に強く感じる。
2012-09-01 01:14:43子ども作ってよかった。おそらく、子どもを作らなかったら、ぼくはこの年齢ではまだあまり死について考えることができなかっただろう。
2012-09-01 01:16:14人間はひとりで生き、ひとりで死んでいく。というか、人間というのは、「ひとり」になることができるから人間なのだと思う。
2012-09-01 01:18:51動物は群れで生き、群れで死ぬ。動物は「ひとり」になることができない。子どもを作るというのは、だから、この自分もまた動物だということを確認するとともに、しかし「人間である」というのはじつに孤独なことなのだというのを改めて確認する経験でもある。
2012-09-01 01:20:50娘はいつか育ち、ぼくとまったく異なる人生を歩み、そしておそらく娘の考えていること、感じていることのほとんどはぼくにはわからなくなる。それが人間同士の関係で、子どもが成熟するとはそういうことだ。いまのぼくと娘の関係はとても動物的で、だから幸せなのだろう。
2012-09-01 01:21:59子どもを育てるというのは、人間が、動物なのに、でも人間であらねばならないことのすばらしさと、そして悲しさを日々感じることなのだと、そんなふうに思います。
2012-09-01 01:26:13