暗落亭苦来の怪談噺「猿の眼」(原作:岡本綺堂)
井田さんは血の気の失せた顔で離れの方に怯えたような目を据えながらそう言いました。「それでもう恐ろしくて無我夢中で雨戸を開けようといたしましたら開け方が判らないで、遮二無二しているうちに外してしまって庭に転がり落ちてしまったような次第で、宗匠にもお家の皆様にも面目
2012-08-29 00:23:34次第もございません」と小さくなって頭を下げるのでなんだか気の毒でしたが、それよりもあの猿の仮面の眼が光っていた、という話がわたくしは怖くてなりませんでした。
2012-08-29 00:27:54四畳半の離れは父の部屋ですが昼間には母も行きますし女中たちも掃除に入る。わたくしも父の用事に呼ばれる度にあの猿の仮面を眺めていましたが、全くつまらない古いお面です。しかし夜の間は父もわたくし達も普段は立ち入らないので、もしかして誰もいない四畳半でずっと光っていたのかしら、
2012-08-29 00:36:03と一人で恐れていると、父は立ち上がって手燭を手にするとあの離れの方に行きかけます。母が心配げにその袖を持って引き止めましたが、父は振り払って庭を渡って離れに入りました。
2012-08-29 00:40:46井田さんも怯えた顔で父の背中を見送りました。しばらく離れからは何の物音も聞こえませんでしたが、やがて父は手燭の灯りと共に戻って来ました。
2012-08-29 00:44:04戻ってきた父はなんだか変な顔をして、母と井田さんとわたくしの顔を順々に見て、溜息を一つして「…どうも、不思議だな」と言いました。
2012-08-29 00:48:20・・・そんな事がございましたのでその晩はもう寝られたものではございません。ひたすら布団の中であれこれ怯えているうちに夜が明けて、眠たい朝のお膳を囲んで父とまだ青い顔の井田さんは「いや、私も確かに光っているのを見たから間違いではない」「今までああした事は無かったので?」
2012-09-01 20:41:17「あったらあんな物をずっと掛けておくものか」とひそひそと話し合っておりましたが、朝餉が済んだあとに改めてもう一度あの猿の面を見てみよう、ということで父と井田さんは連れ立って離れに向かいました。するとすぐに「おい、おい」と父の呼ぶ声がするので母とわたくしが行ってみますと、
2012-09-01 20:47:36父は怪訝そうな顔で「昨晩、あのあと誰か離れに入ったか」と尋ねるのです。どういう事かと思ったら、不思議なことにあの猿の仮面が失くなってしまっているのでした。あんな事があった後ですから父が外れた雨戸を閉てた後だれも好んで入るはずがありません。女中たちも決して入りませんでしたと言う。
2012-09-01 20:53:16では物盗りの仕業かと思うと父の愛用している硯や床の間の掛軸など、離れの中でおよそ値打ちのありそうなものは一切なくなっておりません。父は井田さんを含めた皆に誰も知らないか、と再度厳しい口調で尋ねましたが、むろんたれも知るはずがありません。・・・当の猿の面が失くなってしまっては
2012-09-01 21:00:48もう詮議のしようもないので、皆口々に不思議だ不思議だというばかりで結局なにも分からずじまいになってしまいました。
2012-09-01 21:03:15その井田さんはその朝まだ青い顔のまま、なんだか不安げな足取りで帰っていかれましたが、その日を境にふっつりと我が家に顔を見せなくなってしまいました。井田さんはお弟子のなかでもとりわけ熱心なかたでしたので父も心配して問い合わせると、井田さんはその日からなんだかぶらぶら病・・・、
2012-09-01 21:08:20今でいう鬱病のような気の病に罹ってしまって寝たり起きたりしているという。父も何度か見舞いに行ったのですが、そのうちに他の病にも罹ってしまったらしく、今のように医術も発達していない時分のことで、その年の十月にとうとういけなくなってしまいました。
2012-09-01 21:15:16で父がそのお葬式に出かけて、通夜の席で井田さんの辞世の句というのが詠まれたそうなのですが、その句というのが上五を忘れましたが
2012-09-01 21:22:24というのだったそうで、父も「辞世にまで猿の眼を詠むようでは、やっぱりあの猿の一件が祟っていたのかもしれない」と考え込んでおりました。
2012-09-01 21:23:20・・・そんなことがありましてから三年ほどは無事に過ぎまして明治十年、ご承知の西南戦争があった年でございます。その頃父はもう名の知れた宗匠になりおおせていたのですが、三月末のある日我が家に父の知り合いの孝平という人が訪ねてまいりました。
2012-09-01 21:30:38この孝平というのは元は吉原で幇間をしていたのですがお座敷でしくじりをやって師匠から破門され、そのうち吉原じたいが失くなって今は下谷で骨董屋をしている人です。それで父のような昔からのお客の元を廻っては骨董を売りつけて歩いているのですが、ずい分怪しいものを持ち込んでくるので
2012-09-01 21:36:46父はこの孝平をあまり信用しておりませんでした。その頃わたくしはもう十七になっておりましたが、その日は偶々母が流行り風邪で伏せっておりましたのでお茶の支度などして父の隣に坐っておりますと、孝平は「いや師匠。宗匠。ごぎけんうるわしゅう存じます。いやこれ又お嬢様も相変わらずお綺麗で」
2012-09-01 21:43:01などとやりながら、「実はいい出物が入って参りましたので一つお目にかけようと存じまして、へえ」と袱紗に包んでいた木箱を一つ父の前に差し出しました。
2012-09-01 21:47:42「あのな孝平。私は吉原を引き払ってから骨董の方は止めたと言っただろう。何度言ったら分かるんだい」と父があしらいますが孝平は「いやいやそれは十二分に承知なんでげすがこれが又滅多にない!近来にない出物でございますんでもう是非〃〃師匠にお目に掛けておこうと。もう本当に見るだけで結構で
2012-09-01 21:54:31