阿片物語

阿片戦争、及びその前後の阿片にまつわる諸事情をまとめてみました。
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@bukrd405

その結果、男は精力を使い果たして腹上死する例が多く、娯楽らしい娯楽のない満州の貧民の間では、腹上死が出ると、部落総出で祝福のお祭りまでしたという。

2012-09-08 11:10:08
@bukrd405

「・・・満州事変当時日本で食い詰めた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、阿片の密売に従事しているものが多かつた。彼等は治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然と阿片を売つているのである。だから中国人の内には、日の丸の旗を見てこれが阿片の商標だと間違えているものが少なくなかつた。

2012-09-08 11:31:28
@bukrd405

時々日本の国旗凌辱事件が起り外交問題に発展することがあつたが、よく調べると中国人はそれを国旗とは知らず、阿片の商標だと思つていたという、全く笑い話のような滑稽談さえあつた。

2012-09-08 11:33:51
@bukrd405

戦前に或る日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山間の日の丸の旗が翻つているのを見て『日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか』と随喜の涙を流したという話がある、何ぞ知らんそれが阿片の商標であると知つたら彼は何といつて涙を流したであろうか」

2012-09-08 11:38:13
@bukrd405

里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。元海軍軍医であり、退役後に日本各地の無医村をまわっていた里見乙三郎とスミhttp://t.co/jR7yh1ue

2012-09-08 12:19:09