阿片物語

阿片戦争、及びその前後の阿片にまつわる諸事情をまとめてみました。
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遊牧民@候選 @Historian_nomad

@drkinokoru @bukrd405 そもそも、現地カントン閥官僚はアヘン問題でヨーロッパ商船がカントン以北で密輸入を行うことに危機感を抱き、カントンシステムの中でアヘンを合法化することによりカントンへの利益誘導を行おうとしたそうです(井上裕正『林則徐』

2012-09-08 19:39:31
@bukrd405

@Historian_nomad @drkinokoru そちらの方法を採った方が中国にとって良い結果を招いたとは思いますが・・・ ただ中国製の映画などでは林則徐を英融資しているものが多くて。

2012-09-08 19:41:05
drきのこる(専門なき専門バカ) @drkinokoru

@bukrd405 @Historian_nomad 台湾で後藤新平でしたっけ?アヘン禁止じゃなく、管理によって徐々に減らしていく方式をとったのは。実際全面禁止とかではなく、管理下においたほうが対処としては適切だったでしょうね

2012-09-08 19:43:10
@bukrd405

@drkinokoru @Historian_nomad その通りで、いきなり阿片を厳禁するとアヘン中毒者に苦痛を与えるだけでなく、逆に彼らの反抗を招き、その鎮圧に莫大な軍事費が必要になるので、漸禁主義をとって阿片患者に人道的配慮を与え、巨額の専売収入も確保できるようにしました。

2012-09-08 19:46:32
遊牧民@候選 @Historian_nomad

林則徐批判としてよくある「広東閥の合法化論が現実的であった」説については、そもそも「アヘンやばいなんとかしろ」という大前提がある状況で「じゃあアヘン合法化してそのあとでなんとかしましょう!」なんていって受け入れられるとなぜ思ったのかをまず問いたい

2012-09-08 19:44:28
遊牧民@候選 @Historian_nomad

@bukrd405 @drkinokoru ついでに申し上げますと、イギリスの目的はアヘン貿易合法化よりもむしろ西洋的条約国家関係構築と自由貿易体制の確立なので、アヘン合法化をしても早晩衝突はしていたとは思います

2012-09-08 19:43:12
@bukrd405

@Historian_nomad @drkinokoru これはもう世界観の違いなので、絶対に相容れることはなかったでしょうね。で、最後には力で決着がつけられると。

2012-09-08 19:44:10
drきのこる(専門なき専門バカ) @drkinokoru

@Historian_nomad アヘン禁止にすると英に戦争ふっかけられる=勝てないから、悔しいけど一時合法にしましょう―で説得できなかったんですかね?あと、そもそも背景が気になりますよね、貧困とか。食っていけないからアヘンが蔓延してたんですかね?

2012-09-08 19:58:26
遊牧民@候選 @Historian_nomad

@drkinokoru (承前)その理由として、当時確かにアヘンは大規模に流入していましたがそれでも非常に高価であって民衆(どの程度を指すか定義できていませんが)には手が届かなかったから、だそうです。ただではなぜ富裕層以上に蔓延したのかについては浅学にしてまだ把握しておりません

2012-09-08 20:02:23
drきのこる(専門なき専門バカ) @drkinokoru

@Historian_nomad なるほど。富裕層だったら狭い範囲だったんでしょうかね?社会が麻痺するくらい後半に蔓延していたイメージがありましたが違うですね。社会上層には何晏が麻薬みたいのやってましたし、昔っから需要があったか、宗教的儀式に使ったとかですかね?ありそうなの

2012-09-08 20:11:48
@bukrd405

@drkinokoru @Historian_nomad 中国へは9世紀にアラブ人がアヘンを持ちこんだといわれています。おそらく当初は医薬品として用いられていたのだと思われます。中国人も雲南でケシを栽培していましたが、その品質はインドやペルシアから輸入されるものには及ばなかった。

2012-09-08 20:31:45
遊牧民@候選 @Historian_nomad

@bukrd405 @drkinokoru まぁ事実、広東貿易でも阿片そのものは清朝の規定でも「薬品」扱いでしたしね……

2012-09-08 20:32:37
遊牧民@候選 @Historian_nomad

@bukrd405 @drkinokoru ところで雲南におけるケシ栽培ってはたして「中国」人なんですかね?

2012-09-08 20:32:51
@bukrd405

@Historian_nomad @drkinokoru 漢人以外の民族だった可能性のほうが高いですよね。清代になって開発が進むとともに、多数の漢人が移住する前ならば。

2012-09-08 20:35:47
遊牧民@候選 @Historian_nomad

@bukrd405 @drkinokoru ていうか、明が雲南かっさらって清になってもオルタイが必死こいて改土帰流進めるまで普通に土司勢力が多数派だったことを考えれば確実に漢族以外ですね……

2012-09-08 20:38:15

ここで周辺事情も

@bukrd405

南北戦争では、南北両軍の領地でケシが栽培され、ヴァージニア、テネシー、サウスカロライナ、ジョージアの諸州がその中心だった。アヘンは赤痢の治療に両軍とも用いたし、モルヒネは痛み止めとして精製された。その結果、南北戦争の負傷兵多数がモルヒネ常用者になった。

2012-09-03 20:49:52
@bukrd405

モルヒネを含むアヘン派生薬物の常用は、それが「軍隊病」あるいは「兵隊病」と呼ばれるほどありふれていた。アヘンは両軍において大々的に経口投与され、兵士たちは毎日マラリアと下痢の予防薬として飲まされた。

2012-09-03 20:51:37
@bukrd405

クリミア戦争のイギリス兵もモルヒネを注射して自軍陣地の恐るべき条件から逃れようとし、普仏戦争ではフランス兵もプロイセン兵もアルコールばかりかモルヒネで悲しみを紛らせた。

2012-09-03 20:53:57
@bukrd405

ヘロインの名称は、ドイツのバイエル社が「力強い」、あるいは「英雄的」を意味するドイツ語ヘロイッシュから思いついたブランド名からきている。当初は痛み止め・咳止めとして販売されていた。

2012-09-03 20:57:33
@bukrd405

イギリスでは第一次世界大戦中にアヘンとコカインが、軍隊の士気低下を抑える必要に迫られて麻薬として厳しく取り締まられることになったが、この態勢は戦争が終わってももはや変わらなかった。

2012-09-08 20:15:27
@bukrd405

世界大戦を終結させたヴェルサイユ条約は、国際麻薬協定の管理を新たに生まれた国際連盟の手に委ね、その295条は条約署名国にハーグ国際麻薬協定の順守を要請した。

2012-09-08 20:16:37
@bukrd405

こうして1920年に危険薬物法が成立し、これによってイギリス市民はアヘン、ヘロイン、モルヒネ、コカインの所持と譲渡を一切禁じられた。イギリスはやっとのことで、ここにアヘン禁制の国となったのである。

2012-09-08 20:17:11

そしてその後の満州では

@bukrd405

再びアヘンの話。アヘンが厄介なのは、性欲という人間の本能と分かちがたく結びついているからである。アヘン常用者の性交時間を調査したところ、最高で17時間も陶酔感にひたっていたという記録もある。

2012-09-08 11:09:56