lim記号と「定義による拡大」
@senamame 私は「lim_{a→b} c = d」を、まずは形式的に「lim_{□→□}□=□」という「穴の空いたプレート」に順にa,b,c,dを書き入れる感じでイメージしました。その定義は「a→bのときc→d」であり、より正確にはεδになるわけですが、
2012-09-13 17:27:14@y_bonten @senamame プレート全体で一つの記号だと考えれば、イコールは形式的なものに見えます。ところが、a,b,cを定めたときにdに入るものが存在してしかも一意ならば(とりあえず∞などは無視)、それを「lim_{a→b}c」と書く、というふうに、
2012-09-13 17:28:23@y_bonten @senamame プレートの左半分を切り出して新しい定義がなされていますよね。私はそこに大きな隔たりを感じて非常に悩んだのですが、あまり解析の入門書にそこまで書いてませんね。
2012-09-13 17:29:32@ta_shim_at_nhn ああ、確かにそのとおりで、かつ、その点は重要ですね。気付かせてくださり、ありがとうございます。
2012-09-13 20:40:25@y_bonten リプライありがとうございます!そうですね,教科書を見ても,"lim_{x→a}f(x) = A ⇔ (ε-δ論法による定義)" までは書かれているのですが,そもそもlimが(例えば述語論理において)何を意味するのかよくわからない(続く)
2012-09-13 21:48:28@y_bonten ε-δ論法によって定義したときの等号が形式的なものであれば,実際の計算で行われる,lim_{x→a}f(x) = A + B = C や,lim_{x→a}f(x) = lim_{x→a}g(x) = A という書き方は許されなくなります(続く)
2012-09-13 21:53:22@y_bonten そこでちょっと無い頭で考えてみたのですが,f(x)lim_{x→a}f(x) を lim(a, f) (limは+のような関数記号)と見なせば,極限の式における等号は形式的なものではなくなるのではと考えたのでした
2012-09-13 22:14:44@senamame はい、至極もっともだと思います。集合論では、そもそも関数記号がそのように定義されるようです。つまり、y=f(x)をまず〈x,y〉∈fと定義したうえで、そういうyが一意に定まるならそれをf(x)と書く、という手順になります。
2012-09-13 22:23:54@y_bonten @senamame どこかに「limは関数記号」と明言しているのを見たことがあるわけではないのですが。ともかく、「こんなことで悩むのは自分だけだろうか?」と心配していたので、とても嬉しくなりました(^.^)
2012-09-13 22:26:04@y_bonten それはよかった!僕は厳密な定義を「つまみ食い」してはこんなことばかり考えてしまいます(笑)ちゃんと体系的に勉強するか我慢するかをすべきなのですが...
2012-09-13 22:31:58@senamame 疑問に感じたことを、あせらず忘れず取っておくのが大事なのでしょうが……あせるし忘れます(笑)
2012-09-13 22:35:08@senamame @y_bonten 興味深い対話を読ませていただきました。これは lim に限らず演算記号の定義に一般につきまとう悩みですね。何か論理学のテキストで「等号を持つ述語論理」、とくに「定義による理論の拡大」の扱いを見られれば、得るものがあると思います。
2012-09-13 22:47:03@y_bonten @senamame 距離空間や位相空間の教科書では、おっしゃる通り「○○は××に収束する」の定義を行ない、収束先の一意性の証明の後で、lim の記号を導入するというのが普通の展開だと思います。
2012-09-13 22:53:16数学者が「あった方が便利だからこう定義するね」とやるときはまだ安全なのだが、数学の訓練を経ていないたいていの人が、1÷0 という記号列がなんらか指示対象を持つ(値が自然に一つに定まっている)はずだと考えてしまう。理系の大学生でも lim くらいになるとそのあたりが少し怪しくなる。
2012-09-13 22:56:58