権威に笠を着て、わからないことをまるで分っているかのように装うことは、ぼくにとっては許しがたい不正義だと感じます。「患者の不安を抑えるためにはしかたない」などというパターナリズムでそれを正当化することも、同様にとうてい許容できません。
2012-09-10 00:08:28専門家倫理について
専門家はその特権的な地位と引き換えに、特別の倫理(「公衆に奉仕すること」等)を要求される。それを専門家倫理という。
2012-09-10 13:41:05例えば、専門家集団のメンバーがみんな高度な倫理を身に着けていれば、専門家支配の確立・維持が容易になるというメリットがある。逆に、専門家倫理に反するメンバーがいれば、専門家に対する社会的信頼がなくなり、その職務を社会が承認してくれなくなるという大きなデメリットがある。
2012-09-10 13:44:17あるいは、専門家倫理にのっとって職務を遂行するかぎり、個人の責任を「専門家」という職務に外部化できるメリットがある。とりわけ人を対象とする専門家の場合、職務が誰かを傷つけ、激しく反発を受けることがあるため、自他を納得させるために職務上の行為を合理化するロジックが必要とされる。
2012-09-10 13:46:06そのせいか、専門家は、自分の職務によって被害を受けたわけでもない第三者から、自分の専門家倫理を疑うような発言を受けると、激しい怒りを感じる傾向があるようだ。
2012-09-10 13:48:14というか、ぼく自身がそうでね。ほとんど条件反射のように強い不快感が押し寄せ、時としてそれを押しとどめるのに苦労する。未熟なことだ。
2012-09-10 13:48:54ただ、専門家倫理を疑われて腹を立てるというのは、どう考えてもナンセンスなことだ。なぜなら、専門家倫理というのは、専門家自身のメリットのために、専門家が自らを律するルールであって、専門家以外にとって直接的にメリットになるものではないのだから。
2012-09-10 13:51:08その一方で、専門家倫理が破たんした場合、その専門家の行為は非常に多くの人々に対して害を及ぼすことがある。だから、専門家はつねに専門家倫理を疑われ続ける必要がある。
2012-09-10 13:52:29いや、専門家倫理を身に着けた専門家なら、おそらく利害関係者からそれを疑われる覚悟はつねにできているだろう。そうではなく、何の関係もない第三者から唐突に攻撃されても対応できる順応性を備えておくこと自体、専門家倫理の一つの要素として求められるのではないか。
2012-09-10 13:53:48NATROMさんとの対話
@han_org こんにちは。最近の野尻先生とのやり取りなどを拝見しております。さて、9月7日の「お医者さまの世界では、この通達がまともなものだということになっちゃうのだろうか。もしそうだとすれば、お医者さまのいうことは金輪際信用できない」と今でもそうお考えなのでしょうか?
2012-09-11 12:58:05@han_org 今では意見が変わっていることを願っています。あるいは仮に通達がまともでないものだとして、それを医療者が理解できるように伝えるのが社会学者の役割の一つだと私は思うのですが、どうでしょうか。いまのところは、私は理解できていません。
2012-09-11 12:58:18@han_org また、正直に言いますと、「医師の言うことは信用できない」、つまり医師disと私は受け止めました。これは属性disではないのでしょうか。たとえば、「金明秀先生の主張がまともだとなっちゃうとしたら、社会学者の言うことは信用できない」ならよろしいのですか。
2012-09-11 12:58:45@han_org 「異なるリアリティを持つ専門集団を越境する行為」がときに有意義な議論をもたらすことには同意します。ただ、金明秀さんのおっしゃりようは、ご自分の越境行為については寛容で、相手の越境行為については「当てこすり」「誹謗」などと評価しているように見えます。
2012-09-11 12:59:15@natrom ご指摘ありがとうございます。まずこのツイートから先に返信します。確かに、ここ数日の間に書いたことには若干の説明不足がありましたので、そう解釈されても不思議ではないと思います。以下、すこし補足説明します。
2012-09-11 18:09:25@natrom 異なる規範が衝突するとき、それぞれの正当性をめぐって鍔迫り合いが起き、住み分けなどの競合関係を経て、場合によっては紛争へとエスカレートする、というのはかなり普遍的な現象だとぼくは思っています。(元ネタはパークとバージェスという社会学者の主張です)
2012-09-11 18:13:46@natrom 言い換えると、「異なるリアリティを持つ専門集団を越境する行為」は、まさに「異なる規範の衝突」に他なりませんので、それは必然的にお互いの正当性をめぐる鞘当て、鍔迫り合いを引き起こす。それは「当てこすり」「誹謗」という形で表出する、とぼくは考えているということです。
2012-09-11 18:17:34@natrom つまり、(昨日書いた文脈では、ぼくは)「当てこすり」や「誹謗」という行為を一方向的な攻撃だとは考えていません。というより、ぼく自身がここ数日ツイートしてきたこと自体が、「当てこすり」や「誹謗」を含んでいる、と考えています。
2012-09-11 18:20:11@natrom さらに言えば、最初の「越境」はカルチャーショックへの反発を含んでいることが多いでしょうから、その時点からすでに文化的正当性をめぐって鞘当て、鍔迫り合いを含んだレトリックが用いられることが多くなるだろうと考えています。
2012-09-11 18:22:25@natrom 次にこちらの論点について。まったくご指摘の通りだと思います。そして、ぼく自身、それをどう言語化すればよいかずっと考えています。が、(自分から「越境」しておいて)たいへん申し訳ないことに、まだうまい着地点を見つけられずにいます。
2012-09-11 18:24:28