「画像リテラシー」についてなど

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花房太一 @hanapusa

画像的リテラシー(と@kaichooさんは言ってないが)という言葉よりは画像への欲望とか画像へのミーハーさとか言った方が敷居が低くなっていいんじゃないかなぁと思う。

2010-01-23 00:26:28
佐藤雄一(Sato Yuichi) @yy_sato

某大人からお借りしたロザリンド・クラウスのFORMLESS読んでます。オクトーバーとかみてても思うけど、海外の美術批評書は図版がしょぼいなー。

2010-01-23 00:26:36
黒瀬陽平 @kaichoo

その通りです。「画像」とは、それがどのような趣味のものであれ、結局はそれぞれが「データの秩序」にアクセスするためのローカルなインターフィスに過ぎない。RT @hanapusa: @kaichooさんのねらいは恐らく、インターフェイスの問題に直結している。

2010-01-23 00:26:49
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

.@kaichoo 「リテラシー」を「内輪感」に読み替えるパターンが多いように思いますね。

2010-01-23 00:26:55
花房太一 @hanapusa

あえてストリート派との対立があると仮定すれば、ストリート派は多分、画像からの逃走とか、画像との闘争とか言いそう。

2010-01-23 00:27:48
黒瀬陽平 @kaichoo

あ、カッコ悪いタイプミスしたorz 「インターフェイス」でしたー

2010-01-23 00:28:24
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

@hanapusa 「画像への欲望とか画像へのミーハーさ」はけっこうナイスなんですが、それだとYBAが褒められた時の「センセーション」みたいになってしまうおそれもあるのではないかと思います。

2010-01-23 00:28:41
花房太一 @hanapusa

@kaichoo 分かります。だから、僕は前、@kaichooさんとお会いしてみて、あぁこの人はアーティストなんだなぁと思った。「俺は絵描きだ!」発言はその通りだと非常に納得した。後は@kaichooさんの絵を見たい。それだけだ。

2010-01-23 00:29:24
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

@hanapusa 「欲望」「ミーハー」「逃走」「闘争」、これらが「画像」に対するさまざまな反応だということが、やはり基本にあるのではないかと思います。

2010-01-23 00:30:26
佐藤雄一(Sato Yuichi) @yy_sato

日本だと、40才以下の美術批評系のひとは詩人が美術批評書くことにアレルギー的な反応を示す気がするんだけど(多分その前の世代に詩人兼美術批評家が多すぎた反動)、マルスラン・プレネとかマイケル・フリードとかも詩人(笑)みたいに若い世代からおもわれてたりするのだろうか。

2010-01-23 00:32:58
花房太一 @hanapusa

@kaichooさんは制作行為とかではなく、あくまで作品から始めていると思う。だからインターフェイスの問題が重視されるのではないかと。もちろん、インターフェイスは最大の問題。中でも最近僕は「風景」というインターフェイスを扱った点があつい!と思っているのです。

2010-01-23 00:33:06
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

@nosnino スミッソンとサブライム、色々面白そうな問いがありそうですね。明日は頑張ってください。

2010-01-23 00:34:00
Alata Hasegawa @rob_art

どこから切り込むか悩みましたが、よければまず @kaichoo さんから例の「リテラシー」について今一度説明してもらえると嬉しいです。(僕自身はだいぶ納得できましたが。)あと、それはきっとカオスラウンジの内輪感というイメージとも少なからず関連している気がします。

2010-01-23 00:34:25
花房太一 @hanapusa

とはいえ、僕は今日やっとreview house vol.3を手に入れたばかりであり、東京芸術史もちらっとしか読んでいないので、今からちゃんと読みます。

2010-01-23 00:35:08
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

@yy_sato もうそういう時代も終わったと思いますよ。グリーンバーグ式の「詩vs絵画」というパラゴーネは問い直されています。

2010-01-23 00:35:43
Futoshi Hoshino @nosnino

.@yishioka ありがとうございます。ちなみに明日取り上げるスミッソンのテクストはRobert Smithson, “Frederick Law Olmsted and the Dialectical Landscape” (1973) です。

2010-01-23 00:36:59
花房太一 @hanapusa

むしろセンセーションにしちゃえ!みたいなノリの発言でしたwRT @yishioka: @hanapusa 「画像への欲望とか画像へのミーハーさ」はけっこうナイスなんですが、それだとYBAが褒められた時の「センセーション」みたいになってしまうおそれもあるのではないかと思います。

2010-01-23 00:37:51
風景/藤城嘘/地獄 @lie_

現代アートもtwitterもpixivも内輪

2010-01-23 00:38:37
Yoshiharu ISHIOKA @yishioka

.@hanapusa センセーションは「前の世代が理論ガチガチでウザくね?」みたいな気分のもとで広まったのですがw、そこには隠れた理論的前提がたくさんあったと思います。その一つが、RH03で論じられている「エモーション」をめぐる理論的な問いです。

2010-01-23 00:40:59
Alata Hasegawa @rob_art

@yishioka さんのポストされるターム(ピクチャレスクとか)や人物(グリーンバーグ、スミッソンなど)はわかるけど、そこから深く掘り下げれない自分が歯がゆい。

2010-01-23 00:43:04
黒瀬陽平 @kaichoo

@rob_art とはいえ、ぼく自身「リテラシー」という言葉がここまで通りにくいことに驚いているのですが… ぼくは「リテラシー」が重要だ、と言っているのではなく、「作品が見る側にリテラシーを要求してくる」ような作品が良いと思うのは

2010-01-23 00:43:07
Futoshi Hoshino @nosnino

.@yishioka そうなんですよね。このあたりの問題をSmithsonはPriceやGilpinから継承している。BurkeやKantではない、というのが面白いところだと思います。日本ではあまり紹介されていないようですが。

2010-01-23 00:45:07
黒瀬陽平 @kaichoo

@rob_art それによって「データの秩序」があることが明示されるからであり、鑑賞者がその「要求」の何らかのフックに引っかかって、「ローディング」しようとするからです。

2010-01-23 00:45:44
Alata Hasegawa @rob_art

このポストにむしろ驚きました。てっきりわかっててあえて使用しているのだと。 RT @kaichoo ぼく自身「リテラシー」という言葉がここまで通りにくいことに驚いている

2010-01-23 00:47:15
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