yoshinao
@asakawww
@sayukisheena (続き)いかなる形而上学的実体も認めず、あくまで意識に「現」れる対「象」に踏み止まるのが現象学というわけです。ちなみに感覚要素の主張は、世界を感覚に分解して真の現前性を求めるという点で機械論的です。現象学はあくまで生きられる世界を基盤に据え、
2012-09-29 07:58:29
yoshinao
@asakawww
@sayukisheena(続き) 感覚的経験の世界に反省を加えようとする、という違いがあります。プラトンのイデア論、マッハの感覚要素一元論、これらはどちらも現象主義と呼ばれますが、イデアを認めるか認めないかという違いがあります。一方フッサールの超越論的現象学はその現象の方に反省
2012-09-29 07:58:39
ペン ギン ꙳
@sayukisheena
@asakawww こんにちは!昨夜は遅くまでお付き合いいただきほんとうにありがとうございますm(_ _)m すると現象学は日常の感覚ではとても考えづらいですね・・・。感覚要素の主張にある、「真の現前性」ってなんでしょうか。
2012-09-29 13:46:55
yoshinao
@asakawww
@sayukisheena うーん、日常の感覚を何よりの手がかりにしながらも、そこから一歩退いて世界の見方をとらえ直そうとするのが現象学なんですけどね。その意味では、後期ウィトゲンシュタインの言語ゲームの考えと重なる部分もあると思ってます。
2012-09-29 14:05:55
yoshinao
@asakawww
@sayukisheena (続き)真なる現前性、と言いましたが、哲学では古来から、確実な存在は目の前にありありと現れて、まったく疑いない仕方でそこにあると言えなくてはならない、と考えられて来ました。その現前を、直接的に感覚に働きかけてくる経験としてとらえようとしたのがマッハとい
2012-09-29 14:12:43
yoshinao
@asakawww
@sayukisheena (続き)です。このへんはTwitterで切れ切れに僕の説明を聞くよりググったほうわかりやすいかもしれません(笑)
2012-09-29 14:14:16