つぶやき、議論のまとめ

備忘録
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ペン ギン ꙳ @sayukisheena

@asakawww ありがとうございます。感覚要素によって、物の実在と人間の認識が成り立つってことですかね・・・?こんがらがってきました。いやしかし目を閉じて認識しなくなったときそこにある証明もそこにない証明も出来ないっていうのは、変わらないんですよね・・・。

2012-09-29 01:18:46
yoshinao @asakawww

@sayukisheena マッハの場合はそう言うでしょうね。ただ、言いたかったのは、与えられた感覚刺激の「受容」とその「判断」、というような区別はやっぱりできいんじゃないか、知覚するということのなかにすでに判断が組み込まれているのではないか、ということです。だとすると、

2012-09-29 01:35:03
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)それは、まず対象が実在しそれが原因となって対象を知覚させる、といった因果論的見取り図では説明できなくなるのではないか、という話になります。目を閉じたときの話については、たしかヒュームが「ほどほどの懐疑論であるべきだ」と言ってた気がします。

2012-09-29 01:35:05
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)もっとも目を閉じただけでは、聴覚や触覚、嗅覚までが取り上げられたわけではありません。科学で、新しい物質の存在が認められるためには、証明と反証のテストにかけられ、なおかつ科学者共同体の公認が必要ですが、ここには現段階では観測不可能な対象も含まれま

2012-09-29 01:49:39
yoshinao @asakawww

@sayukisheena(続き) す。たとえば観測される前までのクォークなんかはそうです。これを日常的な知覚の場面にも移植してゆくと、「ある」ということの整合性と周囲の公認さえあれば、存在を認めることもできるのではないかと思います。

2012-09-29 01:51:07
ペン ギン ꙳ @sayukisheena

@asakawww こんがらがってきました。受容と判断が切り離されないのはなんかわかる気がします。論点がずれそうですが、何かを無条件に「存在する」と信じたとしたら、その人一人の主観では存在することになると思うんです。

2012-09-29 02:14:41
ペン ギン ꙳ @sayukisheena

@asakawww そういう主観を持つ人間がたくさんいて一般に共感を得た存在が認められる・・・っていうのは、上の考えで行くと、なんだか正しくないような気がしてきました。

2012-09-29 02:14:58
yoshinao @asakawww

@sayukisheena それはまさに現象学の問題圏になりますね。間主観性という概念はご存じですか?

2012-09-29 02:21:36
ペン ギン ꙳ @sayukisheena

@asakawww すみません、わからないです・・・

2012-09-29 02:23:30
yoshinao @asakawww

@sayukisheena 関係ないですけど、テスト明けの夜更かし大丈夫ですか? とか形だけは気遣いながらも、間主観性について書いちゃいます。多分今までの流れだと、存在するってことは個人の主観によってそう決められた、構成されたから、というイメージを抱かれたのではないかと思うのだけ

2012-09-29 02:29:11
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)だけど、どうかな?ところが現象学では、その主観すら作られたものだ、というわけです。どういうことかというと、まず主観と主観の「あいだ」の関係性が、独立した「意識主体」に先立ってあると考えます。この関係性が、間主観性と呼ばれるものです。

2012-09-29 02:35:17
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)デカルトさんがいうような意識主体としての主観もまた、この間主観性の関係性の中から生成されてくるものだ、現象学徒は考えます。

2012-09-29 02:39:30
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)デカルトさんがいうような意識主体としての主観もまた、この間主観性の関係性の中から生成されてくるものだ、現象学徒は考えます。

2012-09-29 02:39:30
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)デカルトさんがいうような意識主体としての主観もまた、この間主観性の関係性の中から生成されてくるものだ、現象学徒は考えます。

2012-09-29 02:39:30
ペン ギン ꙳ @sayukisheena

@asakawww おおお!あいだ なわけですね。すごく納得できる考え方です!あ、今夜の分の睡眠は既にとったので・・・夜遅くまでお付き合いいただいて本当にありがとうございます(> <)

2012-09-29 02:48:11
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)要するに、世界と人間は地続きに繋がっていると考えるのであって、「心の中」「心の外」という区別を持ち込むことで存在の条件を個人の「心の中」に取り込むことをしりぞけます、

2012-09-29 02:48:26
yoshinao @asakawww

@sayukisheena あ、そうですか。昼に寝過ぎて眠れない夜、というわけですね(笑) リプ来た直後に続きでつぶやいてしまいましたが、間主観性というレベルで考えれば、主観と主観とは断絶しているのだから、てんでバラバラな主観がいくら合意したって存在として確かではない、という問題

2012-09-29 02:55:19
yoshinao @asakawww

@sayukisheena あ、そうですか。昼に寝過ぎて眠れない夜、というわけですね(笑) リプ来た直後に続きでつぶやいてしまいましたが、間主観性というレベルで考えれば、主観と主観とは断絶しているのだから、てんでバラバラな主観がいくら合意したって存在として確かではない、という問題

2012-09-29 02:55:19
yoshinao @asakawww

@sayukisheena あ、そうですか。昼に寝過ぎて眠れない夜、というわけですね(笑) リプ来た直後に続きでつぶやいてしまいましたが、間主観性というレベルで考えれば、主観と主観とは断絶しているのだから、てんでバラバラな主観がいくら合意したって存在として確かではない、という問題

2012-09-29 02:55:19
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)は回避できるのではないかと思います。

2012-09-29 02:55:53
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)そうそう言い忘れてました。さっき言及した知覚の因果説は、対象からの感覚刺激の受容→神経パルスへの伝達→脳内で対象の「像=コピー」を把握する、みたいなプロセスくらいに思っていてください。しかし、これでは赤いトマトがあることは説明できても、1㍍先に

2012-09-29 02:56:32
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き) トマトがある、ということが説明できるでしょうか。そこで、意識は何者かについての意識であり、意識に現れる対象はつねにすでに意識によって構成されている対象だ、対象の把握は物理的因果性ではなく意識の志向性から見るべきだ、とアプローチしてゆくのが

2012-09-29 02:57:37
yoshinao @asakawww

@sayukisheena (続き)現象学だと言うこともできるでしょう。

2012-09-29 02:59:22
ペン ギン ꙳ @sayukisheena

@asakawww なるほど!だんだんわかってきました。存在の条件を、先ほどの、「あいだ」というか同意?の方に求めるってことなんですかね? あとの話の方は、イデアみたいに思えました。

2012-09-29 03:11:14
yoshinao @asakawww

@sayukisheena 寝落ちしました。 おはようございます。さすが、カンが鋭いですねー。間主観的合意の産物、みたいな言い方します。はい、イデア論を洗練させていったのが現象学になります。イデアの実在を素朴に認めるのがイデア論、

2012-09-29 07:58:02