@sayukisheena ああああああ大粗相を!!!お許しくださいッ。すみません<(_ _)> あ、現象学に興味がおありなら、岩波新書の『現象学』、講談社現代新書の『これが現象学だ』あたりにあたってみると、結構わかると思いますよー
2012-09-27 01:43:39@asakawww いやいや、こちらこそほんと申し訳ないです。世のjkは素敵で純真で勤勉ですー(一高は例外有り)。ありがとうございます!!岩波新書のは今ちょうど読んでます!
2012-09-27 01:46:12@sayukisheena ぼくが読んだのは高校三年生のときだったでしょうか。懐かしい! そういえば今年の東北大文学部の壱高での出前講義は哲学だったんでしたっけ?
2012-09-27 01:51:08高2くらいまでは哲学の本ではなくて、なぜか新書版で仏教とか文化人類学とか社会学の本をよく読んでいたっけ。あとサブカル批評。その辺でなんとなく「ゲンダイシソウ」とその源流にある思想のほんのさわりの知識は得られたような気がする。高3ではじめて「学術論文」を読んだときはビビったものだ。
2012-09-27 02:06:47@sayukisheena あー、y田先生に野矢先生のとこに行ったグループがあるって聞いてはいたけど、あなた方だったんですか!いいなー(´ー` ) どんな話を聞けたのかぜひ伺ってみたいものです
2012-09-27 08:25:57女性を理想化したイメージで捉え、二女のタイトスカートをフェティッシュ化させる古いタイプの一高生(井上ひさしや岩井俊二が描くような世界観を持つ?)の目に、今の壱高生(♀)とか一高’(笑はどう映るのだろう。移転工事で特に「二女」を意識することなかった中途半端な僕には、それはわからない
2012-09-27 17:31:32思えば、数限りない失言をしてきた。いったん言葉にすると、それは こちらの意図と異なる理解に開かれることとなる。とりわけ誤解されるのが異性である。背景にあるコンテクストが違いすぎる。
2012-09-27 17:56:30@asakawww y田先生…入学初日から3日間くらい浅川先輩の話をし続けていらっしゃいました。 野矢先生には著書(哲学の謎など特に分かり易いもの)をさらに分かり易く解説していただきました!視点のないときの色などなど…。果ては先生の人生の遍歴を語っていただきました。
2012-09-27 18:16:29@sayukisheena wwwまじすか!光栄な話です(笑) 視点のないときの色、ですか?ふむ。視点がないとはこれいかに・・・。野矢さんといえば座禅で有名ですが、何か言ってらっしゃいました?
2012-09-27 18:37:11変人、変態とは、われわれにとって誉め言葉でしかない。少数派であるということに誇りを感じる鼻持ちならない中二病の感性。これぞ公立男子校出身の少なからぬ数が持っているキャラクターである。そう僕は勝手に思っている。男子校出身が女性に「変わっている」というのは最大級の誉め言葉なのである。
2012-09-27 18:58:50@asakawww あの、あれです。えーと。冷蔵庫の暗闇にあるトマトは赤いのかとか、誰にも見られていない薔薇の花は実は赤くないのではとかいう意味合いです。文学部の建物から見える景色についても語られてました。あれが座禅の建物だーとか
2012-09-27 23:59:42@sayukisheena ふむ。ちなみにsayukisheena さんはどう思われました?ちなみに僕はプロフィールに書いてある通り反実在論側、つまり認識から独立の赤さを認めない立場にいるわけですが、それでも日常的な直感としての赤さの実在を掬いとりたいとは考えています。
2012-09-28 01:47:12@sayukisheena (続き)「存在するとは知覚されることだ」という言葉がありますが、この言葉に従えば、冷蔵庫の中のトマトの赤さはすでに知覚され存在を担保された赤さなわけです。むろん、それが悪くなって冷蔵庫の中で変色しているということもありえます。しかし「冷蔵庫の中の赤いト
2012-09-28 02:06:43@sayukisheena (続き)マト」はあくまでイメージであり、赤いトマトとして想像世界のなかに存在しているわけですね。つまり実在しているかどうかは別としてリアリティは持っている。この辺りの感覚を考えていく必要があるだろうと思いますね。
2012-09-28 02:11:40@asakawwwご丁寧にありがとうございます!ちょっと上手く考えられないのですがわたしは「赤い」と思います。(あくまでも 最 近 の自分の考えです。)認識されなくてもトマトがそこにあるのは事実だとして、まず自分の感じる「赤い」と他人の感じる「赤い」は必ずしも同じでなく
2012-09-28 18:21:20@asakawww (続き)あやふやだと思います。だから「赤い」「赤くない」は、そもそも視覚によって捉えられる以前の、トマトそのものの性質に対してそれぞれがどう認識するかということに過ぎない。(認識に頼らず色素を持ったトマトは実際そこにあると考えるから)
2012-09-28 18:27:30@asakawww (続き)「美味しい」とかにも言えるのかと思いますが、それはその成分を持ったトマトがはそこにあることは変わらないのでは。・・・と、ここまで考えて本当に認識されなくても存在を認めていいのかよ、となりました。
2012-09-28 18:32:54@sayukisheena こんばんは。ひとまず試験お疲れさまでした。さて、冷蔵庫の中の赤いトマトの話ですが、もちろん僕も、人間の認識の条件となるような、赤い色素を持つトマト自体を否定するものではありません。人間の意識と独立に「赤い」という認識を引き起こす何かがあると考えるのは
2012-09-28 23:07:43@sayukisheena (続き)日常的な直感として普通の感覚です。科学者であり哲学者でもあったE・マッハは、世界は赤さ、手触りといった感覚を引き起こす感覚要素から成り立っていると考えました。つまり「赤さ」という性質はトマトの側のものか、認識する人間の側のものかと考えたとき、
2012-09-28 23:07:48(続き)、いやどちらでもなく、中性的な性質なのだ、というわけです。早い話が、世界は「物」ではなく「感覚」からできているとマッハは考えたわけです。ただ、そうだとしても人間の認識を、「データとして与えられる感覚」+「データの受容・解釈」というように切り分けられるか?という問題は残る。
2012-09-28 23:08:07@sayukisheena (続き)それは無理だ、と考えると反実在論ということになるわけです。なぜ無理だと考えるかというと、それは野矢先生お得意のダックラビットの図形の知覚の話につながっていくわけです。
2012-09-28 23:08:14