未だ部屋整理にかまけて何も捗らない。『生命の論理』、相変わらず訳文の曖昧さに苛立つ。「関係の演技」? ああ、「関係の作用」という意味なんだろう・・・とか。確かに仏語の「le jeu」は訳しづらい?んで、今なら「関係の戯れ」と訳してもいいか。ともかく「演技」はないでしょ
2012-10-01 06:01:32諦めて原書で読むか・・・。しかし訳書の名誉のために言っておくと、この訳書の訳注は簡潔でとても見事。訳注だけで生物学概論の見事なカードになっている。訳文にしても、日本語の選定の問題は感じるが誤訳というわけではない。僕はフーコーとの関係で読んでるので、この訳語じゃ困るというだけかも
2012-10-01 06:10:19チャーリー・パーカーの十枚組みCD・・・古い録音の音・・・ああ、もう七十年以上前の音なんだと、今更驚く。20世紀以降の時間は急旋回しているのだろうか或いはひどく緩慢なのだろうか
2012-10-01 06:25:39渡部直巳『日本小説技術史』届く。ぱらぱらページを捲っただけだが、まあ、扱われる作品が如何にもという顔ぶれなのはともかく、相変わらずの勉強ぶり、手つきの鮮やかさに感嘆。大学での講義ノートの詳細化なのかな。だとすれば面白い講義をしてるのだろうな、という感じ
2012-10-01 06:54:42明治以降の日本文学の成果は「近代日本語文を練り上げたこと、それ以外はあらかたどうでもいいこと」と吉田健一はどこかで書いている。これは「問題史−主題史」としての文学を完全に無視した主張として悪評を買ったが、渡部さんたちの仕事は吉田さんの粗っぽい断言を緻密に展開したものと言えるだろう
2012-10-01 06:55:58小説的言葉の生成は言うまでもなく新たな語り口やら文体の発明といったようなことではなく絶えず崩れ去り安定を手にすることのない場所において波動し続けるしかない場所に身を持すること、だから或る文章が書かれてしまうことが勝利ではなくて苦い挫折でもあるような場を言葉として繰り込むことであり
2012-10-01 10:16:16たぶん言語には「外界」というものはない。言語化し得ぬ外界があり、そしてその外界と言語の間に挟まれた主体があり、そこに「書く」ことが、という構図はメロドラマに過ぎない。在るのは「ことばの先在性」なのだ。例えばサルトルのロカンタンはマロニエの根のかたちをした「ことば」に嘔吐する・・・
2012-10-01 11:25:40『生命の論理』はフーコーの『言葉と物』の「生物学」の記述をより簡潔鮮明に描き出したものとしてフーコー自身賛嘆した本。ジャコブにはフーコーを特に意識した気配はなく、その分余計なケレンのない名著だろう。しかし残念なことに僕にはこの翻訳で読み続ける気力がない。悪訳ではないが・・・残念
2012-10-02 10:20:53『寓話』『生命の論理』と、ここのところ訳本で挫折が続いて気力脱力。或いは気力がないから読み続けられないのかも知れない。繰り返すが、共に「日本語の調子の悪さ」を除けば必ずしも悪質な翻訳とはいい切れないわけで。もっとも「〜に他ならない」と「〜に過ぎない」を頻繁に逆に訳されるのは困る
2012-10-02 10:31:10おそらく一種の衰弱でしょうが、不意に自分の気質とはまったく違うところで「安らかに」目覚めてみたい気分になり、それは僕の場合さしあたり本しかないので、例えばカロッサとか井伏鱒二さんとかを揃えようと計画を始めたりします
2012-10-03 10:14:19・・・その流れで?シュティフターの大長編『ウェティコー』を読みたいと思うのですが訳本が古書でもやたら高価。独語は読めないし、あれは英訳も仏訳もない。断念。『晩夏』と『石さまざま』で我慢。
2012-10-03 10:19:08ソルジェニーツィン『1914年8月』届く。いつか読むでしょ。これは終生の大作『赤い車輪』の第一巻とされるが、残りは邦訳されることは恐らくないと想像する。何せ『収容所群島』よりさらに長い!上に、今や彼の評価は下がり、半ば忘れられた作家になっているように見えるから・・・
2012-10-03 18:37:59『収容所群島』が出てしばらくは彼は「共産主義体制」の欺瞞を徹底的に暴く「戦う作家」としてスター化したが、ソ連崩壊後は彼の、ロシア正教体制、「君主制」の復興まで口にする「復古主義」は一挙に彼の評価を下げることとなった。まあ、「反共主義」からも利用価値がなくなったということだろう
2012-10-03 18:42:23それを読む情熱を持てるかどうかはともかく百科事典並みの長さ詳細さで「全てを書き記した」というパッションは何ものかだ。少なくとも「反共」の利用価値がなくなったから忘れてよいというのも、利用するだけ利用した後、小説家に対して虫のいい話だろう。まあ、読まねばならないとまでは言わないが
2012-10-03 18:59:28作家としての彼は・・・大作家かどうかはこれから読み返すしかないが長篇『ガン病棟』『煉獄の中で』等を読む限り、ロシア文学の正統を継いだ堂々とした作家であることは間違いないだろう。夢とその粘つく崩壊をあらゆる細部を書き残すことなく書き記すという情熱の理不尽は、僕は嫌いじゃない
2012-10-04 23:05:07三十年以上前ベナレスのかなり上流の階級と思う男が言う「河の側で空中浮遊をするサドゥーがいるのです、どう思います?」。僕は質問の意味が分からなかった。すると彼は「修業の途中であれができるなんて当たり前のことです。それを売り物にしてヒッピーどもを喜ばして金を取る、最低だ」と言った
2012-10-05 02:13:06面白かったのは、彼が、空中浮遊を疑っているのではなく、それを売り物にすることに義憤を表明していることだった。彼からすれば浮遊は修業の途中で起る当たり前の現象であり、しかも「たかの知れたつまらぬ現象」に過ぎないのだった。それを恰も奇蹟のように売って金をとることが彼は許せないのだった
2012-10-05 02:17:53彼は本気でそのことを怒っていた。リシュたちをグルたちを愚弄するものだと。その如何にも嘆かわしいという表情が記憶に残っている。「みんなあのヒッピーどもがいけないんだ。自分を制御出来ない魔法使いの間抜けな弟子を聖者扱いしている、あの馬鹿ども」・・・という具合に
2012-10-05 02:25:15今では驚くほど忘れてしまったが、昔一時集中的にヒンドゥー教やイスラム哲学の本を読み漁ったことがある。インドで、英訳だがかなりの聖典、注釈も買いどちらにしろまったく忘れてしまっている。要は「縁がなかった」のだろう。今やただ中沢新一の種本が分かるというだけの知識に堕ちてしまった
2012-10-05 02:43:41エリアーデの膨大な著作の中でほとんど唯一、掛け値なしに「名著」だと思ったのは彼の博士論文?『ヨーガ』だけだった。今でもその判断は換わらない。
2012-10-05 02:47:05ついでに、神秘体験でも何でもないがベナレスでのもう一つの体験。駅の待合所でカルカッタ行きの列車を待っている時だった。待合所は日本の田舎の駅のような具合の広さ、インドらしく白牛が一頭、餌でもねだってか歩き回っていた。僕の目の前には男が一人、濡れた床にも関わらず寝ていた・・・
2012-10-05 07:01:22インド人がよくやる、頭から白いシーツをすっぽり被った寝方で、それがまるで死体を収めた袋のように見える。時間は昼。何人かの男たちがやってきて寝ている男を起こしにかかる。どうやらその男は立ち上がり起きるのを拒んでいるようだ。男たちは何かを口々に説得している。
2012-10-05 07:04:46男たちの様子は遠くからきた物たちのようで、たぶんベナレスでの葬儀に来たのだろう。シーツから引き出された男は親しい親族を亡くした徴に髪を刈り上げていた。たぶんその男はそのまま世捨てになろうと言い張っているようである。涙ぐみながら、立ち上がるのを拒んでいる。若い男だ。
2012-10-05 07:08:14