食べることについて、朝っぱらから考えた。
起きてふと考えたんですが、人の食卓の献立に文句をいう人って、やっぱり最新的に余裕がないんじゃないのかね。その人が旨いと思って食べてれば、基本的にはいいはずなんだけど、肉食うな魚食うなという人は、自分の嗜好や思考を誰かに押し付けるのはやめた欲しいものだと思うよ。
2012-10-12 06:51:30かくいう僕も、そういう人の食卓を時々何かの拍子に見てしまって、色々な感想を抱くことがある。美味しそうなら正直に美味しそうだと伝えますが、そうでない場合も当然あって、そういう時はツイートするにしても、あまり角が立たないように、色々気を使ったりします。
2012-10-12 06:54:34だって、なんだかんだ言っても、その人たちは美味しいと思って、食べているんだろうし、「まずそうですね!これはまずそう!!」なんて言われら、やっぱり腹が立つと思うんですよ。 そう言われたら、ほっといてくれよって思いますもの。僕が食うんだから、ほっといてよって。
2012-10-12 06:57:24だから、僕は、美味そうじゃないものを見せられた時、もしくは見てしまったときは、出来るだけ見なかったことにしてます。その食べ物については、僕は知らないから、どうぞ美味しく召し上がってくと。時々想定外のものを食べてらっしゃる人もいるが、その人が美味しければ、基本的にはいいと思う。
2012-10-12 07:00:43でも、そうじゃない人が世の中にはそれなりにいて、人の食卓に上がっているものについて、その人の主観でものを言ったりされることが、Twitterの中でも度々ありますね。震災以降では、「食べて応援」に過剰に反応する人が時々いますが、食べている人まで攻撃するのは、個人的にはやめてほしい。
2012-10-12 07:04:54以前に、焼肉を食べている人に屠畜が象を送りつけていた人がいたけど、そういった行動は、趣旨は理解できてもその行動に賛同できないんですよ。で、その考えの根幹が何かなって、いろいろ考えると、これもまた自分のエゴでしかないんじゃないのかなと。エゴで「エゴ」を批判するみたいな感じ。
2012-10-12 07:31:48この人たちの考えの根幹には「線引きの問題」があって、「人間と動物の間に差はないのだから、動物を食べたり使役したりするのはおかしい」と、こんな感じなのだと思う。で、奴隷制や性差別を持ち出して、最後にカニバリズムを持ち出して批判する。この辺は、いま読んでるシンガーさんの意見と似てる。
2012-10-12 07:36:19「あなたは自分の家族を食べますか?友達を食べますか?食べないでしょう?だったら肉食もすべきじゃない」という感じの主張を、上から目線で押し付けられるのは、正直不快でイライラする。そんな人も多いよね。では、こう言い返してみたらどうだろう?「いざとなったら食べるかもね」って。
2012-10-12 07:38:48いや、極論なんだけど、ない話じゃない。逆に、人さえも食べなければ生きられない状況に陥った人たちは、そういう選択をしているし、その為に良心の呵責に苛まれていたわけだけど、その人たちを責めるようなことは、僕らにはできないんじゃないのかと。食わねば死んでしまうのに喰うのを放棄できるか?
2012-10-12 07:41:55アンデス山中に墜落した旅客機の話では、負傷や極寒、そして飢えに苦しめられた。菓子類などはすぐ底をついた。食べるものは乗客の死体しかなかった。その時、彼らがしたいを口にしたことを、僕らは責められるだろうか? 飢餓に苦しんだヘアーインディアンも、自分の子供を食べる。これも同じだ。
2012-10-12 07:49:12この辺に出てくるカニバリズムの事例は、こちらのまとめをお読みください。
動物愛護を推し進める人で、菜食を求める人の考えかたに種差別があるけど、極限状態に置かれれば、人さえ人を食うことがある。シンガーさんは想定していなかったかもしれないけど、それがまあ現実というものなんだろう。それをしないのは、それよりマシな選択肢があるからだ。
2012-10-12 07:52:32完全菜食が体に良いからというと、まあそれはないだろう。菜食者が増えているという話も、色々と事情があるらしい。彼らが持ち出す「肉食者」という比較対象もまた奇妙で、基本的には人間は雑食なのだから、肉を食べるという行為への批判にはなりえない。どちらも偏食の結果だからね。
2012-10-12 08:04:09菜食に関する実際についての話は、こちらのまとめをお読みください。
ただ、ちょっと量が多いので、お時間があるときにでも……。
だから人を食うという苛烈な選択をしなくていいなら、他の手に入る肉類を、程よく食べることを責められるいわれはない。まあ、人を食うことは、法律でも許されてないし、ごく稀なケースを一般化して語るのは妙な話だね。某氏に「合法的に人肉を買えるところを教えて?」って聞いても返事はないし。
2012-10-12 08:10:26このツイートのことです
じゃあ、法的に問題なく食用の人肉が手に入る方法を教えて下さい。でなけりゃそれは「屁理屈」だ。 RT @sora_love_sora: 同じ命だから、植物も昆虫も犬猫も牛豚も鯨も同じように扱えという古典的なベジへの反論があるが、同じように扱うためには人間もその中に入れるべきなんだが
2012-09-30 07:54:35だから合法的に人肉を販売しているところを教えて下さい。ありもしないのに屁理屈こねないでね。RT @sora_love_sora: @popopopoon_ @fukupage いいえ。同じ命だから何でも食べてよいという主張なのに人間を食わないことは、一貫性が無いからその論理はおか
2012-09-30 10:55:15このあたりの主張は「動物の解放」という本で、著者のシンガーさんが語っている「動物の人間の差の曖昧さ(と僕なりの解釈で要約しましたが)」を根拠に「じゃあ人間を食うのか?人間を実験に使うのか?」と質問することで、ある種のショックを抱かせる手法なのだと思います。
ところが、それは「法的に許されていない」から不可能なわけで、法的な縛りがなかったとしても、より呵責の少ない手段が許されていれば食べないだろうし、食べるものが人間しかいない場合は、それを食べるしかなくなるだろうと。
つまるところ、それは当事者が判断することで、第三者が判断することではないということでしょうか。
結局、何を食っていようが、生きることは残酷なんですよ。熊が人を食うこともまた摂理。それに抗うのもまたおかしなことじゃない。「熊さんがお腹をすかしてかわいそう」だと思うなら、自分が蛋白源になってあげればいい。って止められると思うけどね。
2012-10-12 08:13:36人里に降りてきてしまった熊の「蛋白源」にされてしまった人が出てしまってからでは遅いわけで、何らかの手段を講じる必要はあるのだけれど、どんぐり巻きがそれに当たるかって問われると、僕にはそうは思えない。まあ、部外者なのでおおっぴらに何か言うわけじゃないけどね。
2012-10-12 08:16:12話がそれましたが、肉食を憎む人たちをが、自分たちの業を意識的に認識しない様にしているために、肉食者は責め立てられている気がするんだけど、当然彼らにも業がある。人間が生産した野菜は、多くの犠牲の上で生産・流通されている。それは無視できないものだ。彼らもまた残酷でなのだ。
2012-10-12 08:20:20それを食えと勧めたところで、罪が軽くなるわけじゃない。アメリカでは動物福祉に配慮し始めてから、肉類の消費が増えたそうですが、これとよく似ていて「より良い選択をして許された気になっている」だけなのだろう。でも、結局は残酷なことでしかない。
2012-10-12 08:23:09