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『悪ノ娘』の公式ノベライズが象徴する今日のボカロ界における「疎外」の潮流と「衰退」への懸念

 8/2 僕なりの総括をまとめの中に入れました。  8/1【重要!】下のコメント欄に僕の主張を追加しました。長いです。  ↑ この記事での僕の主張は冒頭の文章だけでは分かりにくいと思いますので初見の方はこちらもお手数だとは思いますが必ず目を通してください。読まないで論点や僕の主張を誤解したまま何かをすると云うのは絶対にやめてください。それだけは最低限よろしくお願いします。 続きを読む
VOCALOID 二次創作 悪ノ娘 ボカロ衰退論 CGM
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おりひな英一 @H_orihina
出た!「悪ノ娘 黄のクロアテュール」(執筆:悪ノP(mothy))が正式発表 http://vocaloid.blog120.fc2.com/blog-entry-6391.html 悪ノ娘のノベル化か……このシリーズは大好きだけどこの件には複雑な心境を抱かずにはいられない。
おりひな英一 @H_orihina
一人のファンとしては何も考えずに喜ぶべき事なのだろうが、そもそも悪ノ娘・召使がここまで評価を得た理由は色んな人が手描きPV作ったり小説書いたり解釈したりして作者の意図を離れたところで「悪ノシリーズ」が確立されたからであって、決して悪ノP一人の手ではここまで凄い作品にはならなかった
おりひな英一 @H_orihina
言ってしまえば楽曲として出力した時に必然的に生じる「語られなさ」がそのままリスナーの「作品に参加する権利」となった事で「悪ノ派生リンク」が次々と生まれていったから今現在悪ノ二作はその源流となり偉大になったはずだ。
おりひな英一 @H_orihina
それなのにその獲得した「偉大さ」を以て公式がノベライズ、というのは筋が通らない。少なくとも悪ノをここまで偉大にしてくれた多くの「悪ノ派生リンク」に対して示しがつかないと僕は思う。
おりひな英一 @H_orihina
今回の悪ノ娘ノベライズ化はボカロ界隈が段々とリスナーとの相互性を忘れてきている事を象徴する出来事のように思えてならない。規模が拡大するにつれ既に実力ある人間達が製作者として作品を囲い込み、受け手の能動性を疎外する今日のボカロの嫌な流れだ。
おりひな英一 @H_orihina
高度化することによってボカロが社会的に評価を獲得していくのはかまわない。ただ、製作者個々人がその評価に酔いしれて受け手への配慮を忘れボカロを「実力ある人のもの」にしていき未熟な人々から参加や制作の機会を奪ってしまうようであれば、この業界の未来は明るくない。
おりひな英一 @H_orihina
あまり考えたくはないけれど、今まで拡大する一方だったボカロ文化もそうなったら多分、衰退する。どれだけ素敵な音楽が出てきて美しい映像になって技術が凄くなっても。だってそれがメジャーやTVゲームが冷え込んでる理由のはずだからだ。
riodemu @riodemu
@H_orihina 二年くらい前かなぁ、PerfumeMADが寝こそぎ削除食らったときに、「愛ゆえにMADで支援してきて押し上げてきたのに、人気が出たらポイとはあまりにむごい仕打ち」的な論調が出てて、その論法自体はあまり好きじゃないんですが、気持ちはわからないでもなかったです。
おりひな英一 @H_orihina
@riodemu 確かに大本が何をしようと著作権をもつ以上自由だとは思うのですが、その態度は自らのファンを軽視する態度であるし、何より自分の人気を支えている理由を切り崩す事になりかねないのではないかと思うんですよね。
おりひな英一 @H_orihina
@riodemu しかもこの場合は貰った人気を使ってその人気の理由を全否定してる気がして何か違わないかなぁと。まあそれと絡んでボカロが嫌な方向に流れている事が透けて見えるのが一番気にかかるんですけど。
riodemu @riodemu
@H_orihina 実際のところそれから二年たってもPerfume人気は衰えることは無かったし(安定期には入ったとおもうけど、この件と関係あるかは?)、ニコ動がPerfumeを育てた、というのはまるきり嘘でないしろかなり過大評価のしすぎだったとは思わざるを得ないわけで…
riodemu @riodemu
@H_orihina そんな私は熱狂的なystk信者ではなかったので、カッコいいマッシュアップのネタ元としては重宝しましたが、そうか権利者がダメってのなら仕方ねぇなという程度にしか思いませんでした。
おりひな英一 @H_orihina
@riodemu この場合とPerfumeの違いを述べるなら、perfumeは別にMADになろうがなるまいがperfumeとして存在していたけれど、悪ノの場合はリスナーが積極的に参与することで成熟してきたということですかね。扱うユーザーの意味合いの違い。
riodemu @riodemu
@H_orihina 「悪ノ」問題については 申し訳ないことに私は件のシリーズを通して聴いたことが無い程度の感情移入度合いなのですが、それほどまでに多くの人に愛された題材なら、作家本人にペイされるのはさほど悪いことではないとは思います。想像の余地に任せていた部分が埋まるのは問題。
おりひな英一 @H_orihina
@riodemu Perfumeは生身の人間でやはりystkさんに本人達が文句を言ったりもするほど「自己」を自分たちで形作るけれど、悪ノに関してはやはりリスナーによって「悪ノ」を見出されてきたから、というのが僕の中では大きいです。
札幌太郎(∩°з°∩ @saptarou
悪ノ~の出版については儲けの部分よりもオタ信者を可能な限り穏便対応した結果なんじゃないかなってね。あれくらいの規模の信者を抱えるとそりゃあ脳内補完しろって話しが通じない次元のも無視できない規模で増えてくる「妄想できないから公式ストーリー作れや」って意見が大量に来ていたのかも
おりひな英一 @H_orihina
@riodemu もちろん作品の大本である悪ノPへの敬意を持ち、愛故に対価を払う重要性も認めます。しかしこの件はそのリスナーを駆り立てる「悪ノ」への愛を否定してはいないかと、想像の余地を残さないというのは。
おりひな英一 @H_orihina
@Die_otomela その意見だと、もう僕らの側から作品へ関わろうと云う意志が廃れつつあるってことですよねぇ……。製作者も製作者ならリスナーもリスナーで嫌な流れだなぁ……。
riodemu @riodemu
@H_orihina 確かに確かに。特に本人が書いちゃうと「私の解釈と違う!」となった時にパラレルワールドとか二次創作って逃げ道は理解され難いですしね…w;
札幌太郎(∩°з°∩ @saptarou
二次的に変な物作っても滅茶苦茶荒れたり叩き潰されたりとかで迂闊な事ができない世界になってるしなあ…。そういうのは漫画家(例:和月)ですら悩む世界なんだからアマチュアがどうこうできる範囲じゃないよなあ。本人のみぞ知るところだけど。とにかく腐女対策が一番難しい。
おりひな英一 @H_orihina
@riodemu 建前上、外に出す時は「作者の勝手な解釈」ですけど本人にとってはある部分で「自分の中の公式」なのがこの場合の二次創作だと思うんですよねぇ。それは原作に「書かれていない事」で裏付けられている、つまりは否定しきれない無数の可能性の一つとして絶対に存在するってことですが
おりひな英一 @H_orihina
@Die_otomela まあ、あれだけ「それぞれの解釈で」を強調していた悪ノPですからそこら辺の理由があるとは思いたいのですが……どうも最近ボカロが嫌なプロ化してきてるよなぁと思ってしまったので結びつけずにはいられませんでした。
札幌太郎(∩°з°∩ @saptarou
@H_orihina 変なコメント→ぐっちゃんぐっちゃんに荒れるというのが日常茶飯事なPだしなあ。完璧に作品に縛られてるPの代表だと思う。これで悪ノシリーズは終い!次だ次って為の行動ならそれはそれでありかなと思いました。こうして作者の脳内を妄想するのも悪ノシリーズの一作品!多分
おりひな英一 @H_orihina
@Die_otomela あーそっか、縛られた結果ではなく「悪ノシリーズへの区切り」としての小説化かぁ。疎外は認められないけれど、それだったらちょっと考慮してみても良いかも知れませんね。そして新説ww
𝐷𝐽 𝑠𝑜𝑢𝑐ℎ𝑜𝑢 @djsouchou
だからさー、依拠してないでみんな勝手にやればいいんだよ。わかんねぇのかな? RT 『悪ノ娘』の公式ノベライズが象徴する今日のボカロ界における「疎外」の潮流 http://togetter.com/li/38866
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コメント

Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年7月31日
この話で行くと、大元の楽曲を作った人の作品作りの自由が最も狭まるような気がする。何にも縛られずに自分の楽曲を発信できるというのも、ボカロ界隈の強みの一つであると思う。それが失われれば、やはりボカロ界隈が衰退するのは同じことではないだろうか。
高千穂 伊織 @t_iori 2010年7月31日
これはおかしな話じゃのう( ゚д゚) ならば召使いとか白の娘とかも書かれていなかったことの補完であり、公式であり、二次創作の否定なんじゃないの。動画で5%補完くらいは良くて小説で50%補完は駄目なのか。数字は適当だけど。
藤堂考山 @ko_zan 2010年7月31日
マネタイズの手段の中の一つって奴でしょ?そこに疎外感とか云々かんぬん言い出すと、もう趣味でしか出来なくなってしまうし、作品を作り続けるのが難しくなってしまうよね。人気が出れば距離感を近いままに保つのって、相当色々分かってて、心も強くないと出来ないから、そこ責めるのは酷というものじゃないのかな?
えろばへろみ @eroba 2010年7月31日
商業では会社にかかわって作品をつくった場合に、その作品を制作者当人も自由に出来なくなる事が多いけど、似たような事が(少し違うけど)こんな所でまで
Anon @anon_ymous01001 2010年7月31日
そんなにリスナー疎外されてるかなぁ?プロ化して例えばノベルを作るにしてもそこでの関わりは生まれるだろうしそれはボカロPが選ぶことじゃないかなぁ・・・プロ化していく人はしていくしずっとニコ動で発表してく人もいるし新しいPもたくさん出てきてるし。そんなに衰退の兆しが自分には見出せない・・。
へぼやま @heboya 2010年8月1日
「ボカロネタで名前売って、業界にねじ込んで一儲けしてやっか」 っつー話…よね? 多分それ、ボカロ、というより、ぶちまけると 「ネット主体の立ち回りの上手な人のよくある売り込み」 ってートコだと思う。例えば、「2ch運営で名前売ったピロユキ」なんてのもその例だし、ブログマンガを出版、とかってのもそうだし。
本城ひな太。 @hinata_honjo 2010年8月1日
「いもけんぴ」を生んだ作品が公式ノベライズが出たくらいでどうにかなるとも思えんのだけどな。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3401967 二次創作屋ナメんなよとしか。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 どうも、皆さん初めまして。まとめ主です。今回の悪ノ娘の公式ノベライズに関する僕の見解に対し多くのご意見を下さり本当にありがとうございます。想像を絶する反響にとても驚いています。その中でmusa-shinoさんとkonekodensetsuさんから僕の発言が不明瞭であるとの厳しいご指摘を頂きました。また直接言及をしていないにしろそれはこのまとめを読んだ多くの方の同意を得るところではないかと皆さんのご意見を読ませていただく内に思いましたので、この場を借りて補足させていただきます。  まず初めに言っておきたい
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
まず初めに言っておきたいのが、僕の主張は悪ノPが自身の作品をノベライズする事が不当であるということではありません。本文中や追記でも述べた通り、作品に対する著作権をもつ以上、悪ノPがそれをノベライズして商業に身を投じお金を稼ごうがその他に何をしようが自由であると云う皆さんの中にも多く見られる主張には僕も同意するところです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
僕の主張がまるで悪ノPの権利を貶めようとしているように読まれてしまったのは、おそらくpopncatさんの指摘した「筋が通らない」「示しがつかない」という冒頭部分での言葉の選び方、つまり感情的になるあまり本来の主張からずれた、わざわざ二次創作させない様にするのは不当なことであるという印象を皆さんに与えるような物言いを選択してしまった事が原因であると思います。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
それについてはここで謝罪させていただきます。本来の主張から外れた私情を混同してしまった事により、皆さんに二次創作者の権利は原作者の権利よりも尊いものであるとのようなニュアンスを孕みながら主張を展開してしまった事をお詫び申し上げます。それにより『悪ノ娘』の作者である悪ノPの権利が軽んじられたと思われた方、スミマセンでした。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
何度も申し上げる通りノベライズ化をするのは著作権を持つ悪ノPの当然の権利であり、たとえ二次創作で盛り上がろうが結局の所で作品は作者のものであるというxaby_bokasachiさんの意見は僕も認めるところです。みんなで育てたからといって悪ノPの権利が剥奪されて良いわけはありません。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 その上で改めて先の主張の補足をさせていただきたいと思います。僕の主張は悪ノ娘の公式ノベライズそのものへの批判というよりは(勿論それもありますが)、公式ノベライズによって象徴されるリスナーを「疎外」しがちな今日のボカロ界隈の潮流と、それによって引き起こされる「衰退」への懸念です。そのままタイトルの通りです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
勿論ですがそれについては否定的な立場です。ただ現状、僕はあまりに具体的な説明をしてなさ過ぎているとanon_ymous01001さんのご意見から思わされました。なので長くなりますが説明させていただこうと思います。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 まず、ボカロの文化的な基盤の話をさせていただこうと思います。現在とても広範な文化として成り立っているボカロ文化はどのようにして成熟してきたのでしょうか? これについては皆さんも良くご存知の通り、間違いなくそれぞれのユーザーによる創作の連鎖であるでしょう。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
初音ミクを使って楽曲を作る人が居て、その楽曲に感銘を受けて独自のPVを作る人や自ら歌う人が出てきて、それぞれの作品をニコニコ動画のコメント機能を使ってリスナーが盛り上げて……それぞれの主体性が絡み合って巨大なムーブメントとなり、それを取り扱うニュースサイトやランキング、SNSが生まれ今日ボカロは一つの文化として成熟した、これには皆さんも異論はないと思います。初音ミクや他のボカロに関わる1人ひとりの動きの中でボカロ界隈というものは生まれました。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 では一体、そこまで人々を突き動かしたものはいったいなんだったのでしょうか? 一体ボカロの何がそこまで魅力的だったのでしょうか? それはsumisumisumiさんの「1.5次創作」という言葉を借りると分かりやすいと思います。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
例えば「【初音ミク】みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」に代表されるような初期ボカロ楽曲の多くには例えばPV等が付いていませんでした。しかし「3DみくみPV♪」「みくみくにしてあげる♪PV風」など第三者がそれを制作するわけです。その理由は正しく「公式にPVが付いていなかったから」だと僕は思うのです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
それらの二次創作は決して他の二次創作へ優位を主張する事は出来ないけれど、公式に「ない」ことによって無数の可能性の一つとして勘定され、劣位の烙印を押される事も決してない。その意味に於いて本人にとって自らの二次創作は「1.5次創作」とも呼べる準公式性を持つのです。それを見る人々も公式が「ない」以上、好みは分かれても二次創作を比べて優劣をつけることはできません。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
。つまり公式に「ない」ことによって受け手の中に「仮想公式性」のような気持ちが生まれ、また保障されます。クリプトンの伊藤社長が、かつてITmediaのインタビューの中で初音ミクに関わる人々の「認められたい」という感情について言及していました。この様な感情は創作に携わる者ならばまず間違いなく持っている感情です。前述の仮想公式性はこの「認められたい」という欲求を満たす役割を持っていたと僕は思います。そしてそれが受け手の作品への「参与」を促した。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
ボカロの魅力とは正しく「参加する事」にこそあったのではないかと僕は思うのです。自らの実力を持って作品と関わる事によって他者に認められる、即ち「参与」がそのまま欲求を満たす事に繋がり、各々がそうやって欲求を満たしていく過程で構成されたのが今日のボカロ界隈だと云う事です。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 ボカロ文化成立の「歴史」については以上です。ここからは僕の見たボカロ界の「現状」について話させていただこうかと思います。まず以前に比べて、週刊VOCALOIDランキングの上位にランクインするような作品はあらかじめハイクオリティなPVが付いていることが多くなりました。イラスト、カメラワークなどプロのそれと遜色ないようにすら思えます。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
それはボカロ界隈の実力の向上を表す喜ばしい事かも知れませんが、それに比べて先に述べたような第三者による二次創作としてのPVはあまり見かけなくなりました。これらの事柄が反比例していないとは僕には思えないのです。上記の話に当てはめると、PVを作ろうとしても、もはや厳然たる「公式」がそこにある以上、受け手は自分の中に仮想公式性を確立する事が難しい。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
もしもそれを乗り越えてPVを制作できたとしても、視聴者からの「何で公式があるのにわざわざ?」「公式の方が良い」という評価を無視する事ができない。それは源流である「公式」はそれ故に二次創作に対し常に優位性を持つからです。その結果、確実に二次創作の動きは萎縮してしまうでしょう。それは「わざわざ自分が作る必要はない」からです。僕には二次創作PVの減少はボカロ界隈の高度化に伴い起こった必然のような気がしてならないのです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 次にニコニコ動画のコメント機能についてです。最近のボカロ楽曲を見てみると「深刻な米不足」というタグが多く見られます。また付いていなくても動画のコメント数はマイリスト数の半分程度と云うパターンが多いです。別に皆さんの多くの方はボカロ界隈の事情にそれこそ僕などよりも深く精通して居られる方でしょうから説明の必要などないかも知れませんが、マイリスト数は大体再生数の十分の一程度と云うのが最近の傾向です。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
勿論アバウトな話なのであまり説得力はありませんが、あわせて考えると多くのボカロ楽曲で現在コメント数は再生回数の約二十分の一であるということです。単純に考えて、現在ボカロの動画にコメントする人は二十人に一人と云う事です。一回の再生中に一人で何度もコメントできる事を考えると実際コメントする人と云うのはもっと少ないでしょう。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
まったく使われていないとまでは言えないにしても、現在のボカロに於いてはコメント機能を使わない方が多数派であると言っても良いと思います。つまり、リスナーがコメント機能を使って動画を盛り上げる、というのは過去の話になりつつあると言う事です。ここにも製作者とリスナーの乖離が見られます。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
リスナーはもはやコメント機能を使って作品に「参与」しようとしなくなったし、製作者側も自分たちの側でひたすらにクオリティを上げる事によっていわゆる「コメント職人」の技に期待すると云うようなことがなくなったとも思います。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 これらの事から、僕は初音ミク黎明期に「ボカロ界隈」を世に打ち立てたユーザーとリスナーの連鎖的な創作性つまり「参与する事の楽しみ」が段々と失われてきてしまってはいないかと思うのです。それはただ「時代が変わった」ですまされる問題ではありません。何故ならばそれがボカロとその他の文化の「差異」であり、どこまで行ってもボカロの基盤である事は間違いないからです(東方Projectなどボカロと特質を同じくするものも勿論ありますが)。ボカロに関わる一人ひとりが「参与」の楽しみを失ってしまえばボカロという文化は瓦解しかね
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
ボカロに関わる一人ひとりが「参与」の楽しみを失ってしまえばボカロという文化は瓦解しかねないのではないかと僕は思うのです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 そして、だいぶ遅くなってしまいましたが、『悪ノ娘』の公式ノベライズは正しくこの今のボカロ界隈の現状を象徴しているように僕には見えるのです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
リスナーが「参与」することで『悪ノシリーズ』は作品として成熟してきたにも関わらず、公式ノベライズという行為に出た。これによってリスナーの中の仮想公式性は奪われてしまうかも知れない。「筋が通らない」という言葉の本来の趣旨は、自らが辿ってきた歴史を顧みない、と云う事でした。改めて誤解を招いた事をお詫び申し上げます。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
勿論、ノベライズすること自体は悪ノPの権利として認められるべきです。しかし、それを振るう事によってリスナーの「参与」を奪ってしまえば結果としてシリーズの魅力が失われ、不利益を被るのは他ならぬそれによって評価を得てきた製作者自身なのではないかと。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 長くなってしまいましたが、自らの作品に対しリスナーの「参与」を認めない現在のボカロ界に透けて見える「疎外」の潮流は、そのリスナーの主体的な関わりの中で育まれてきたという歴史を持つボカロ文化を基盤から瓦解させかねないのではないか、これがこの件に対する僕の主張であり「衰退」への懸念です。リスナーを顧みない態度は結局、自分が評価されているその世界を壊してしまいかねなくはないかと。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
勿論、製作者が意図的にリスナーを「疎外している」とは僕も思いません。ただ、自分が無意識の内にリスナーを「疎外」してはいないか、「参与」させないようにしてはいないかということを少し考えてもらいたいのです。もしもそれを省みないようであれば「参与」によって成り立ってきたボカロは廃れてしまい結局一番困るのはその文化の中で息をしている自分たちでしょうと。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
 僕の主張に対する批判は当然あると思います。悪ノPの権利を認めると言いながら結局の所お前はそれを狭めようとしているじゃないという反論は当然予想しています。本当に難しい問題だと思います。何にも縛られず自分の楽曲を発信できると言うのもボカロ界隈の強みでありそれが失われることは衰退と同義ではないか」というSousyokiさんの意見には激しく同意します。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
「だったらお前は作品のクオリティを上げる事をやめろと言うのか」と言われてしまえば確かにうなずく事は出来ません。けれど自分の主張を曲げる事もやはりできません。ですからもう少しこの問題について考えてほしいと思うのです。自分たちの権利を守りつつ、それでもボカロと云う文化が今後も生き続けていくためにはどうしたらよいのかと。何が一体自分たちにとって最善であるのかを。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
この様な中途半端で申し訳ないとは思います。ですがこれ以外に僕はこの件に対する発言を終える方法が思いつきませんでした。たくさんの意見を読ませていただいた事で、新たに生じてきた疑問もあります。それでも曲げたくない主張もあります。僕はそれら問題に対し即断できるほど頭が良くはありません。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
最期になりましたが、予想をはるかに超える反響と多くのご意見をくださり、本当にありがとうございました。とても難しい事でしょうけれど、この一件が瞬間のものとして終わらずボカロ界隈に問いを発し続けてくれる事を切に願います。
keroxp @keroxp 2010年8月1日
@H_orihinaさんの丁寧な説明に納得。しかし、N次創作が活発というのは元の作品の中身がairである証拠。それは消費者としてのユーザにとっては都合が良いですが、表現者、作者にとっては複雑な問題ではないでしょうか。
Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年8月1日
なるほど、コミュニケーションによって成熟した分野からコミュニケーションを抜けば、確かにその分野は縮小する。ボカロは言わば「補完」によって発展してきた分野であり、「可能性」を発表し合う場なのかも知れない。その「参入のし易さ」と「相互補完性」が、基本一方通行の商業コンテンツ産業と一線を画す部分だろうと。
Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年8月1日
そしてボカロは商業音楽界のように、きちんとした体制の元にコンテンツを発信するシステムでない(=基本一人作業)故、一旦、一方通行の発信形態になってしまえば、相当の実力者(ブランドになった人など)でなければ恐らくこの世界で生き抜く事が難しくなってしまう。
Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年8月1日
分野全体の活発化という事を考えれば「参入」を促す体制を維持しなければ、確かにこの分野は危ういかも知れない。が、やはり現製作者に「妥協」を勧める形になってしまう。
Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年8月1日
この現象は、ボカロの分野がある程度の年数を経て、全体の力量の底上げや、複数人の協力で一つの作品を作れるコミュニケーション形態が成熟してきた事などに関係するのではないだろうか。
Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年8月1日
それと共に「新規参入者が減少してきた」かも知れないという事。プロ方面へ進む方々が出てくる中、少数のグループでクオリティの高い作品が作れる事で、「制作者陣」から「視聴者陣」への一方通行的な発信形態になりつつあるのでは無いかと思う。それが言わばまとめ主の言われる「リスナーの疎外」の現象ではないだろうか。
Noddy@佐世鎮 @Sousyoki 2010年8月1日
つまり僕は「制作者陣に妥協を勧める流れを起こさず」「如何に新規参入者を獲得するか」を模索する事がこの議題の解決に繋がると思っている。……と長々と失礼しました。
CAT@仁木克人 @popncat 2010年8月1日
@H_orihinaさんの懸念はもっとも。でも実は今、一枚絵の良曲ってたくさんあるんですよね。ぼからんの上位に少ないけれど。
CAT@仁木克人 @popncat 2010年8月1日
まとめにも載っているけれど、どちらかというと自分は、一次創作側よりも二次創作をする側の意識の問題だと考えてます。
鈴木フルーツ @suzuki_fruits 2010年8月1日
ボカロ界隈の内部で積極的に活動してきた方にとっては十分な時間が経っているのかもしれないですが、傍から見ると、まだたかだか数年しかない文化です。 そんな中で、ある程度の知名度をステップとして、さらに新たな道(ここで言われる「プロ化」)を模索する事を疑問視する@H_orihinaさんの意見に、(私は)ひどく奇妙な印象を受けました。
鈴木フルーツ @suzuki_fruits 2010年8月1日
界隈の規模が大きくなった事で旧来のやり方を維持できなくなったのならば、 今改めてボカロ文化を大切にするために必要な考え方は、「原点回帰」だったり、または 今までとは少し違う切り口で新規作品を大切にする方法だったり、いろいろあると思いますが、 なんにせよそれは「問題意識を持っている当人」が提案すべき事ではないかなと僕は思います。
鈴木フルーツ @suzuki_fruits 2010年8月1日
@H_orihinaさんの意見は「阻害」や「衰退」など、やや飛躍した言葉選びが多く感じましたし、 「プロ化を目指す人を槍玉に上げて問題意識を煽る」という感じに僕には見えました。 それは提案というより強引な他力本願ですし、ちっとも前向きな論理に思えません。 有名Pの影響力を問題視したり、新たな創作のあり方に疑問を投げかけるより、 まずは草の根的でも何かやれることを模索する方法ではいけないのですか。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
@Sousyokiさん、ご丁寧に読んでくださりまた貴重なご意見どうもありがとうございました。「リスナーの疎外」についてはほぼその通りです。高度化するにつれての一方的な発信形態についても正しく僕の危惧するところです。「実力のある製作者による作品の囲い込み」とは正しくそのことです。現状の課題についても同意します。「製作者陣の飽くなきクオリティの追究」と「大勢のリスナーの参与」をどのようにして両立するのか、結局これが現状の課題であるのでしょう。それを模索していくのが今後の僕らの役目だと思いました。感謝します。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
@keroxpさん、ご意見どうもありがとうございました。僕は必ずしもN次創作が盛んな作品の中身が空っぽであるとは思いませんが、危惧されるところは最もだと思います。上記で述べた事の繰り返しになってしまいますが、やはり元の作品のクオリティを維持しつつリスナーの参加可能性を疎外しない方法を僕らはこれから模索していかなければならないのでしょう。とりあえず大きな反響があった事で新たな課題も見えてきましたし、今後もこの問題について僕は頭を悩ませようと思います。改めて、ご意見どうもありがとうございました。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
@popncatさん、ご意見ありがとうございます。ぼからん上位等にランクインしない名曲については僕もそれなりに覚えがありますが、今回は人々の目に多く留まる部分でのボカロ界隈の潮流として有名Pの事柄を挙げさせていただきました。二次創作する側の意識の問題、というのも重要だと思いますし僕もある部分では同意します。もはや僕らの側に作品へ「参与しよう」という意志がなくなってきつつあるのは僕の危惧するところです。僕は今回製作者側の態度の問題として主張を展開しましたが、同じくらい深く考えていかなければならないのでしょう
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
@iciroさん、ご意見どうもありがとうございます。僕の用いた「プロ化」の意味については上のキャプションの方に追記2として説明を加えさせていただきました。疑問を解消できるかは分かりませんが良かったら一読をよろしくお願いします。僕は新たな道を模索する事を疑問視しているわけではありませんし「原点回帰」は初期の相互性の復活と云う事でむしろ望むところです。今までと違う切り口を探す必要性は上記コメントで同意した通りです。(続きます)
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
(上の続き)やや飛躍した言葉選びというのはそう感じられたとしても僕の精一杯のボキャブラリーの中から一番適切に表現できるものを選んだ結果がその単語であるに過ぎず、僕自身は飛躍しているとはあまり思っていません。誤解を招いた言葉については随所で訂正させていただきました。(もう少し続きます)
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月1日
(続き)「プロを目指す人を槍玉に上げて云々」について、僕の実力のなさについては素直に反省します。ですがこの一件を通じて少しでも多くの人にそれに象徴される今のボカロ界の「疎外」と「衰退」の危険性について考えて欲しく思い言及させていただきました。草の根で何が出来るかは僕も考えている途中ですし方法として世に具現される方がよっぽど建設的なのは僕も同意するところです。ですがやはり問題として提起する事の重要性も理解して欲しいと思うのです。無自覚である事が一番危険なのではないのかと。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月2日
うーん、@H_orihinaさんの意見にうなずけないのは、もしかして私が同人長いから?(といっても15年くらいですけど)と、ちょっと思った。なんで「公式が出ると疎外された気分になる」んだろう?確かに新たな公式設定でジャンルが震撼することはあるけど(主にキャラの死とか特定の公式カップリングができちゃうとかの方面で)だからってそのジャンルが衰退するのか?といえばそうではないし…。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月2日
なぜ、@H_orihinaさんは阻害されたり、機会が失われたと思ってしまうんだろう?PVが最近作られなくなった件にしたって、どうして「公式PVがあることで萎縮を招いた」と表現してしまうんだろう?そっちの方が気になるなあ。大義名分を振りかざして自分の望みを口にしたい、ように見えます。なぜ、そんなifを作者が考えないといけないんだろう?
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月2日
どなたかも言っていたけれど、ボカロって正直、ここ数年の文化だと思うんです。そんな始まったばかりの、できたてのものが流れの中で変わっていくのは当たり前で、そこで「変わらないで欲しい」という願いを押しつけるのは違う気がする。変わることで消滅するような文化なら、それはその程度の強度しかなかったってことだし、それでも消滅させたくないなら細々とでも守りたい人が守ればいいだけの話ではないの?
きゃしゃん@てつや @chasyan 2010年8月2日
結局いつもの衰退論に落ち着くわけですね。でもPの端くれとして言わせていただくと、これは作る側にはどうしようもないんですよ。作る側は自分の求めるものを作りたいように作ってるだけ。そして発表する以上少しでも多くの人に見てもらいたいという願う人があり、最近は何らかのブランドが無いと(あっても)PVなしじゃニコニコでの評価が頭打ちになる現実があり、結果としてPV付ばかりになる。もちろんそうじゃない人もいますが上記の現実の中埋もれてる。結局約三年間視聴者が求めてきたものの結果として今があるわけです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月2日
@lina_asadaさん、ご意見どうもありがとうございます。僕が「疎外」を主張する理由は、上記コメントで述べた仮想公式性というものが、ボカロと云う文化を根本的に支えてきた作品に関わるファン一人ひとりの主体的な「参与」の原動力ではないかと考えるからです。自分の二次創作が元の作品に対し一定の価値が認められること、若しくは決して否定されないことがある部分でモチベーションとなるから受け手は積極的に作品に「参与」するのではないかと。そして公式が定め過ぎれば受け手からこの仮想公式性を奪ってはしまわないかと思うのです
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月2日
「衰退」については、ボカロがたかだか三年弱でここまでの規模のジャンルに成長した理由が、受け手一人ひとりが積極的にそれぞれの作品と何らかの形で関わろうとしてきた事それ自体だと考えるからです。ボカロと云う文化は根本的に受け手が「参与」することで成り立っている、そういう歴史的な基盤を持つのではないかと。そのことを考えれば受け手の「参与」に無関心になる事はボカロと云う文化を根本から切り崩しかねないとも思うのです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月2日
ifについて作者が配慮する事は、勿論ルールとして存在しませんし、むしろ存在してはいけないとさえ思います。ただ、先ほど述べたようにボカロがここまで発展した理由を考えた時、作者がそれに対し何の敬意も持たず軽んじればボカロの文化的基盤を壊しかねないし、文化が消滅することで一番困るのはむしろその世界で評価されている頂点の方々、つまり製作者自身ではないのかとも思います。萎縮についての表現は僕がこの目で見たボカロ界隈の現象について考えた結果がそれだからです。間違いだとも言い切れないはずです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月2日
確かにボカロはここ数年の文化です。流動的であることは当たり前ですし不変である事が必ずしも良い事だとは僕も思いません。けれど、歴史を踏まえない事も正しいとは思いませんし、CD業界やゲーム業界など消費者に商品を一方的に授けるだけの業界が冷え込んでいる現状を無視するのを賢い事だとも思いません。そしてそんな現状の中でも評価を獲得したものの多くは予定された使用法の範疇を跳び越えて扱われたものである事も考慮するべきだと。長くなりましたが以上です。読んでくださりありがとうございました。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月2日
@chasyanさん、ご意見ありがとうございます。作る側のどうしようもなさについては僕も思うところがあります。この三年弱の間に段々と変わってしまったのはPの方々ではなくむしろ僕らリスナーの態度なのではないかと今回皆さんの意見を読ませていただく内に考えてしまいました。@ato_soujinさんの発言にもある通り、この問題をPのスタイルの話としてのみ考えたらいつまでも解決できない。むしろ先の仮想公式性云々を超越して僕らが作品と関わる事こそが求められているのかも知れません。ありがとうございました。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月3日
コメントを読ませていただきましたが、@H_orihinaさんは「ifについて作者が作者が配慮することは、もちろんルールとして存在しませんし、むしろ存在してはいけないとさえ思います」と書いていながら、明確に「配慮すべき」という意見を述べていることに矛盾を感じないのかなあ…?
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月3日
@lina_asadaさん、コメント読ませていただきました。それについての僕の思いは上記コメント欄や他の方々への返信、新たに加えた総括に書いてある通りです。ただ、まとめの中で明確に「配慮」という言葉を使ってしまった事についてはお詫びします。返信を書く中で自分でもあまり適切ではないと考え、@lina_asadaさんへの返信の中では「何の敬意も持たず軽んじれば」と言葉を選び直しました。ご確認下さい。返信ありがとうございました。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月4日
私は@H_orihinaさんの言葉尻に対して言っているわけではなく、主張に対して「矛盾してませんか」と言っているのですが…。言い方を変えただけで主張は変わっていないし、遠まわしな言い方で作者に配慮を求めていますよね?もし違うのであれば、もっと短く、簡単な言い回しで「どうして欲しい」と思っているのか説明してもらえると分かりやすいです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
コメント欄の詳細の最後の部分に部分で述べた通り、僕は「この問題について考えてほしい」のです。「配慮」と「敬意を持たずに軽んじる」の違いはそういうことです。既存の主張のどちらかを選択する事でこの問題が解決できるとは僕も思っていません。どこまで行っても僕の主張が製作者の権利と対立する事はコメント欄の詳細で述べた通り理解しているつもりです。けれどボカロの発展の歴史を踏まえれば「参与」に無関心になれば文化が瓦解しかねないのも事実だと思っています。そして製作者も受け手も同じ文化の中で息をしているのです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
「配慮」は「参与の権利を持つ受け手が作品に介入できるようなif的なものを必ず作る」ということですが、「敬意を持つ」というのは「自分の作品がどういう文化の中で評価をされているか、また自分が生きている文化がどういう歴史の中で育ってきたかを忘れない」ということです(僕はどちらも後者の意味で使いましたが)。法的責任ではなくある種の道徳的責任であり、そこに何ら強制力も認められない事は僕も認めます。それでも、ボカロと云う文化が存続していくためには法に依らない個々人のそのような意識が必要だと僕は考えます。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
僕は自分の主張を必ずしも皆さんの中に採用してほしいと思っているわけではありません。それは随所で製作者の権利が主張され、やはりそれもボカロ文化の根幹を為す要素であると認め考慮すべき事案として総括の中に取り入れた事からも分かっていただけると思います。僕が望むのはこれらの問題の解決であり、決してあなた方の主張を論破する事ではないのです。必要なのはお互いの主張の対立を通して見出される一般意思です。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
そのためにまず問題が自覚される必要があると僕は思うのです。僕が望むのは主張の受容ではなく、僕の主張によって個々人が「衰退」への方向性に気がつく事、そしてその危機感の中で自分の権利を主張し何が最善であるか思考する事そのものです。僕の主張か@lina_asabaさんと傾向を同じくする多くの主張のいずれか一方を選択する事で問題が解決できるとは僕は思いません。だからこそ「考える事」を僕は望むのです。個々人が「衰退」の危険性を自覚し思考を働かせる事を。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
@lina_asabaさんは「変わることで消滅するような文化ならその程度の強度しかなかった」と仰いましたが、僕はそうは思いません。ボカロは当初から従来とは異なる性質から様々な問題が次々と発生しましたが、今それを乗り越えてボカロが広範な文化として世にあるのはその度にクリプトンやユーザーの各々が自分の権利の為にまたボカロと云う文化の為に思考し闘ってきたからだと思います。どこかで思考を投げていればボカロは一瞬のものとして世に根付かず消えていたはずです。大事なのは思考することです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
指摘された僕の主張の矛盾については自覚しています。悪ノPの権利を認めながら、法的責任はないとしながら、一方でその道徳的責任の自覚を迫ることはやはりどこか矛盾のようなものを感じます。それでも、ボカロと云う文化がどういうものかを考えた時それは考慮しなければならないとも、それが同じ文化の中で生きるもの同士にとって最善だとも僕が考えていることは何度も繰り返した通りです。ただ多くの方が仰る通り、これが最善であるとは確かに思いません。だからこそ「考えてほしい」、何が最善であるかを。それが僕のして欲しいことです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
この件に関し、主張との対立の中で発見した課題と改めた(に近い)意見については先程も述べた通り出きる限りまとめの中に入れた総括の中に書きました。この件を最終的に僕がどう考えたかはそれを読んでいただければ分かると思います。長々と聞いてもいないと思われているかも知れないことを書き連ねたことはお詫び申し上げますが、僕自身は質問に答える為に全て必要だと考えましたし、また最終的には答えられたと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月4日
最後になりましたが、前回前々回のコメントでお名前のスペルを「lina_asaba」ではなく「lina_asada」と間違えてしまったこととそれに気づくのが大変遅れたことをこの場を借りて謝罪します。大変失礼しました。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月6日
コメントを読ませていただきました。@H_orihinaさんのコメントに対しての違和感は、やはり拭いきれないものがあります。「道徳的責任」という言葉に集約してしまう時点で、それは「考えない、従わないと言うのであればお前は道徳的に問題があるのだ」と口にしているに等しいからです。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月6日
たとえ@H_orihinaさんにそんな意図がないとしてもです。たとえば、道徳的責任を強要されることで息苦しさを感じた方々が離脱したら?その責任についてあなたは『道徳的責任について考えろ』と強要されたらどうしますか? その意味ではやはり、私の目から見ると@H_orihinaさんの意見は矛盾しているのです。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月6日
これまでボカロが直面してきた問題、というのが具体的に何なのかは存じませんが、@H_orihinaさんの言うように人々が考えてきたからこそ今の時代がある、ということですが、具体的に誰がどんなことをどんな形で考えてどのように実践して、どのような効果があった結果今の形があるのですか? それが明確でないなら、考えることに意義があると言うのは幻想である可能性だってあるわけです。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月6日
正直、もしも@H_orihinaさんの言うように問題について考えることがうんちゃらというようなことが正当であるなら、とりあえず日本に生まれた我々は原爆の是非について常に考え続けるべきですし、戦争責任について考え続けるべきですし、ワーキングプアや性差別やマイノリティ差別などに関して常に考えているべきでしょう。考えていないのだとしたら、「道徳的責任」を問うてもいいことになります。正直自分で書いていても思いますが、ナンセンスです。
浅葉りな🐱「イチから教えて」連載中 @lina_asaba 2010年8月6日
そして同じように、ボカロ文化のためということであれば、このまとめが存在することにより受け手と作り手の意識の乖離を招く懸念について、@H_orihinaさんは道徳的責任として考える必要がある、ということになると思います。その件に関してよくよく考えられてはいかがでしょうか。
mar @marrrrrrrrr 2010年8月6日
「わしらが育てた」って言いたいだけなのかな。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
この場合における道徳的責任とは、前々より述べてきた「自分の生きる文化に対する責任」のことです。法的責任と区別する為に用いました。本当は経済的自由権と公共の福祉の話を引き合いにしたかったのですが、こちらは法的に制限されてしまうので出しませんでした。しかし僕の言いたい事はこちらの方に当てはめた方が分かりやすいかも知れません。道徳的責任には強制力はありません。守ろうが破ろうがそれは自由です。ただし破った時に不利益を被るのはその文化の中で生きる自分だと思います。何度も述べた通りです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
直面してきた問題についてはJASRAC登録に無断転載、ニコニコ動画におけるカヴァー曲の扱いに派生キャラクターの著作権など挙げればキリがありませんが、少なくとも僕がこのコメント欄で述べたボカロの発展の歴史を踏まえるならば、「疎外」と「衰退」と今後の課題について考えることの意義が幻想であるとは言えないはずです。この発展過程はボカロにおいて間違いなく真実です。それはボカロを知る人間ならばほぼ共通の認識と言って良いでしょうし、発売元であるクリプトンもCGM等の言葉で現象として扱っています。朝日新聞でも取り扱われた
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
僕はむしろ@lina_asabaさんがこの問題について考える意義がないと述べることで何を主張しようとしているのかが分かりません。僕はこれらの問題を考えることは少なくともそういった発展の歴史を持つボカロにとって大なり小なり有意義であると考えます。いったい考えないことによって守られる利益は何ですか? @lina_asabaさんは何を主張しようとしているのですか? もしも主張するものがないのであればこれ以上は時間の無駄です。対立はボカロにとっての利益は何であるかを巡って為されるべきだからです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
道徳的責任は自らがそのルールに服することでしか相手に対しそのルールに従うことを要求することができません。もしもこれ以上の説明を僕に求めるのでしたら@lina_asabaさんの主張とそれによるボカロへの利益、その根拠を全て明確に示してください。僕はこのまとめでそれをしました。批判するにしても同じことです。もしもそれがボカロにとっての利益を考えないものであったならこれ以上僕は取り合えません。僕はそれの為に長々と何度も同じ主張を繰り返し述べてきたからです。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
このまとめが存在することにより受け手と作り手の意識が乖離する危険性についてですが、前回のコメントで述べた通り僕にとってはそれらの問題から目を背けることこそが最悪であり、このまとめにはそれらの問題を世に明確化するという意義があると感じます。また道徳的責任を考えろと仰っていましたが、この件について僕がどう考えたかは何度も言いましたが総括の中にほぼ全て書きました。課題を明らかにした通り僕は決して製作者の権利について無配慮ではない。よって乖離を助長したと責められる覚えはありません。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
それと、悪ノPなど製作者の権利を「道徳的責任」という言葉で僕が表したのは、このまとめの中で何度も同じこと、「無関心になれば危機に晒されるのは自らが暮らす文化であり不利益を被るのは自身だ」を説明してきたにも関わらず未だ矛盾を感じられてしまった為、それは法的な権利とは別物だと云うことを説明する為にそうした限りです。これでもまだ矛盾を感じられるのであれば、どこかで法と道徳が時として対立し一方を選択せざるを得なくなることをどこかで調べてきてください。
おりひな英一 @H_orihina 2010年8月7日
そして上記に関しましてはしかも最終的に僕がどう考えたかは総括の中にきちんと入れたはずです。最初の頃の主張から若干の修正を加えているのが読めば分かるはずです。@lina_asabaさんの途中からのコメントは総括で決着したこの件に関する僕の考えを無視して為されている様にしか思えません。まだ読んで居られないのでしたらまとめ部分の最後にありますので読んでくださるようお願いします。
高千穂 伊織 @t_iori 2010年8月8日
まあワシに言わせれば、無関心、無責任だと終わるよ=誰かの責任に頼らないとマトモに維持できないなんて状況、衰退した以外の何者でもないけどな( ゚д゚) 悪あがきに他人を巻き込むべきでは無かろう。
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