『悪ノ娘』の公式ノベライズが象徴する今日のボカロ界における「疎外」の潮流と「衰退」への懸念
@djsouchou ボカロは大なり小なり、この手の事例があると思いますが、もうこういう展開避けられないジャンルになっちゃったのかな? ファン同士で内ゲバとかなるとまたそれはそれですが・・・
2010-07-31 03:52:07アマチュアリズムて都合のいいものの考え方だなあどうでもいいけど。もっとどうでもいいけどボカロ界という言葉がなんかすごいヤンキー臭い。 RT 『悪ノ娘』の公式ノベライズが象徴する今日のボカロ界における「疎外」の潮流 http://togetter.com/li/38866
2010-07-31 04:17:16@quad_luvtrax 金にしたいヤツはすればいいし、受け手も「裏切られた!」って喚くぐらいなら他にやる事見つけるぐらいの度量を持たないと早晩内ゲバが起こりかねないですよね。自分の好きな送り手が売れた瞬間にHATERになるヤツも潜在的に居る世界ですし
2010-07-31 04:23:52なんだろう。「みんなで創り上げる」事や過程が「目標」になっちゃってる人っているんだろうな。だから金になった瞬間に勝手に絶望したりHATERになったりする。
2010-07-31 04:40:00@djsouchou 悪い面での村社会が出ちゃったというか。しかし、作り手はともかく、受けてのファンには罪がないから、受け手が動揺する事態っていうのは本当はあっちゃいけないことだなぁ。
2010-07-31 04:47:19@quad_luvtrax そうならないように受け手を啓蒙して行かないといけない筈なんですけど…。それをする機会を逸したまま今に至ってるってのが自分のボカロ界隈の印象ですね
2010-07-31 04:54:28@djsouchou その啓蒙の部分はあえて放置したor出来なかったんじゃないかな、と思いますけどね。儲かったかも知れないけど、失ったものもそれなりにあるんじゃないかと思います。
2010-07-31 05:43:50@djsouchou ご意見どうもありがとうございます。読ませていただきました。その上でちょっとだけ一連の話について補足させていただきます。
2010-07-31 05:29:17@djsouchou 僕の発言の趣旨としては、どちらかと言うとリスナーと共に作品を作り上げていく意義というよりも、関与を認めない事で訪れるボカロ界隈の衰退の方です。当初から製作者とリスナーがお互いに長所を以て作品に関わり合ってきて、それ故にボカロは広範な文化として育ったはずで、
2010-07-31 05:35:22@djsouchou もしも製作者が自らの作品を囲い込み、受け手に作品への参与を認めなくなれば、それはボカロ文化の基盤となった相互的な創作性を否定する事にはならないだろうか、という事です。つまりは自分たちの歴史の否定ですね。
2010-07-31 05:42:53@djsouchou 今回の悪ノシリーズは正しくその様なボカロ文化の基盤であった相互的な創作性に則って作品として成熟したにも関わらず、製作者は公式ノベライズと云うまるで今までの相互性を否定するような行動に出た。それが僕には正しく先の「歴史の否定」を象徴しているように見えました。
2010-07-31 05:51:32@djsouchou 別に実力のある人がそれを活かしてお金を稼いだりプロになるのはかまいません。ただ、もしもそれ故に受け手の存在を省みなくなるのであればボカロと云う文化からは段々と人は居なくなっていくと思うのです。それは「参与できるから」成熟したのがボカロだからです。
2010-07-31 05:57:11@djsouchou 自分たちが暮らす世界が一体どんな基盤の上に成り立っているのかと云う事を考えた時、受け手の「参与」を軽視する事はボカロの文化的な基盤を切り崩す事と同義であり、その結果、不利益を被るのは他ならぬその世界で評価を得ている製作者自身ではないのか、これが主張です。
2010-07-31 06:03:46@djsouchou 何でしょう、環境保全みたいな考え方です。自分たちが評価されている世界を維持していくためにもうちょっと配慮が必要なんじゃないかなと。今は「衰退」何て不可視も不可視で、それどころか進歩するばかりですけど、歴史的にそういった危険は常に見えざるのだと思うのです。
2010-07-31 06:09:28@djsouchou やがて「衰退」が見えるようになった時、既に手の施しようがなくなっているのが世の常です。そうなる前に手を打っておく必要があって、この場合それはきっと製作者が自分の作品にリスナーが「参与」することを認める事なんじゃないかなと。では、長々と失礼しました。
2010-07-31 06:17:48@H_orihina はじめまして、丁寧な解説ありがとうございます。「送り手は出自を忘れるな」という意見には同意しますが、やはり「勝手にやれ」と云う意見に変わりは無いです。
2010-07-31 06:27:08@H_orihina 規模の大小問わず送り手には必ず「ファン」がいて、彼ら/彼女らを裏切るマネはしてはならない。確かにそう思います。ですが、商業デビューがファンを裏切る事に直ちに繋がるとは思いにくいのです。
2010-07-31 06:31:57@H_orihina それを鑑みるならば、件の商業化(ノベライズ)は単に送り手の意思を明確にするための手段では無いのでしょうか?
2010-07-31 06:40:35@H_orihina あと、「相互性」や「参与」の部分ですが、それこそ「勝手にやれ」ば良いだけの話では無いかと。勝手に二次創作して勝手にアウトプットすれば勝手に感想は帰ってきますよ。
2010-07-31 06:46:34@djsouchou 商業デビューが直ちにファンを裏切る事には繋がらない、というのは僕も同意するところです。製作者である悪ノPもファンに対し何の配慮もなくノベライズに踏み切ったとは考えづらいです。
2010-07-31 06:48:37@djsouchou ただ、悪ノシリーズの場合は先に述べた通り「書かれていなかった事」が大きな意味を占めていたと思うのです。小説化され、それらの部分が埋まってしまった時やはりリスナーの二次創作はある部分で否定されてしまう。えと、もうちょっと続きます。
2010-07-31 06:52:14@djsouchou というのは二次創作は外的にはどうであってもやはり描いた人の中ではある意味で「公式」であり、それは原作に「書かれていない事で裏付けられる」からです。つまり「否定されない事」で二次創作は二次創作として成り立つのではないかなぁと。
2010-07-31 06:56:42@djsouchou 言ってしまえば僕も実際「勝手にやってしまえば良い」と思っているのですが、既に「公式」としてあるものに対抗する形で二次創作するのは気持ち的に多くの人にとって難しいことなのではないかと僕は思うのです。
2010-07-31 07:01:08@djsouchou もしも「公式」に対抗して二次創作したとしても、やはり既に「公式」がある以上その二次創作が評価を得る事は困難ではないのかなと。そして他者に認められない事はきっと創作の循環を止めてしまう。それはきっとこの文化にとって危うい事だと僕は思うのです。
2010-07-31 07:09:08