女性の諱

興味があったのでまとめてみましたが、よくわかっていないのでしょうか。
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葉つき みかん @hmikann

ゆるふわな語り口ながら、内容はしっかりありますね。平安時代の貴族女性がどう呼ばれていたかは興味あります。 “@mutter_box2: 『【帚木255-2】常夏の女☆』 http://t.co/7jzTMJvo 今回の記事も至れり尽くせりの内容ですね。”

2012-10-16 07:44:26
葉つき みかん @hmikann

出仕せず、叙位にあずからない女性は 、一生家からでないから、◯◯子と言う名前は必要なくて、幼名のままか、大君、中君と言う呼び名で呼ばれていたのでは、と考えているのです。 #平安時代の貴族女性の呼び名

2012-10-16 07:48:48
きき @1oving_rabbit

@hmikann 呼び方によって、その女性の立場というか、その女性が「周りからどういう立場として扱われているか」が垣間見えると思います。「常夏」→撫子(玉鬘)の「母」、「夕顔」→夕顔の歌を送った「女」、みたいな。

2012-10-16 08:20:23
葉つき みかん @hmikann

@1oving_rabbit 確かに、仰る通り、愛称は、その人の立ち位置を現していますね。ただ、現実世界で、皆が愛称で呼ばれていた訳ではないと思うのです。そういう場合、どう呼ばれていたのかな、と言う事に興味がありまして…。

2012-10-16 12:36:57
ののまる @nonomaru116

幼名が残っていても、諱がわからない女性って、けっこういるようですし。まぁ、一番残るのは候名(さぶらいな)でしょうが。

2012-10-16 10:29:37
Stella @Stella_NF

@nonomaru116 小野宮右大臣藤原実資の娘千古は、幼名なのか諱なのか。

2012-10-16 10:31:48
ののまる @nonomaru116

@Stella_NF 幼名っぽいですね、何となく。ただ、100年くらい前なら男の諱にもあるし、その頃だと女性にも「因香」なんて諱の例があるので、何とも言えないのですがw

2012-10-16 10:53:37
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

男の名前で言えば 豊臣・藤原 - 氏 / 朝臣 - 姓(かばね) / 羽柴・木下 - 名字 / 藤吉郎 - 通称 / 秀吉 - 諱 / って感じの構造が平安末期以降江戸時代まで保存されてて、官位を賜うときに使うような「オフィシャルな」組み合わせは氏・姓・諱なのよね。

2012-10-16 12:25:48
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

ところがここに「寧々」とか「寧」とかの呼び名で知られる秀吉の北政所様がいるわけだが、この方の場合従一位のときの位記は「豊臣吉子」あてであり、男名との対比により「寧々」というのが諱としては機能してないことがわかる。

2012-10-16 12:29:26
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

豊臣・平 - 氏 / 朝臣 - 姓 / 木下(浅野?) - 名字 / 寧々 - 通称名 「吉子」 - 諱(恐らく夫の名の偏諱による仮のもの) という構造になるわけだ。

2012-10-16 12:30:42
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

何がいいたいかというと、中世以降の「名」の伝わる女性の「名」って諱じゃなくね? 男性で言うところの通称名程度のものだったりしねえ? という話なのだ。

2012-10-16 12:32:15
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

ここからは憶測だが、「豊臣吉子」や「北条政子」みたいな便宜上近親者の偏諱によって諱をつけてるっぽい人々の傾向からするに、「授位される=宮中入りする蓋然性のある地位の女性」即ち「公家層」の女性しか端から諱持ってないんじゃなかろうか、とか。(※憶測だってばよ

2012-10-16 12:34:26
歌猫いろは💙💛 @kanekoiroha

@hmmr03 これ人によると思うのですが、北条政子とか将軍家御台所とか普段の名前のほうがわからない人もちらほら。

2012-10-16 12:35:30
歌猫いろは💙💛 @kanekoiroha

@hmmr03 んで、その2人は元の身分が低すぎるのでは? 浅井菊子とか浅井達子とかあんまり近親者とは関係なさげですし

2012-10-16 12:37:17
歌猫いろは💙💛 @kanekoiroha

家康次女の督姫は「風子」だったか

2012-10-16 12:39:05
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

@kanekoiroha 確かに「そいつら地位低過ぎね?」と言われればその通りですし、荒すぎの憶測なので「浅井さん家の姫君はどうか」と言われればぐぬぬとなります(とはいえ彼女らは秀吉の養女分として「公家の姫君」であることも考慮すべきかと。「内大臣」家康以降の徳川家も!)

2012-10-16 12:52:49
歩弥丸(ふみまる) @hmmr03

@kanekoiroha とはいえ、寧々の父も政子の父も「氏・姓と諱、苗字を持つ層」であり、少なくとも凡下(苗字公称を許されない庶民)ではないんですよね。そうすると、「諱を持つ男性と諱を持たない男性の階層差」と「諱を持つ女性と諱を持たない女性の階層差」は別の区分なのではないかと

2012-10-16 12:55:08
ののまる @nonomaru116

諱って女性の場合、位もらったり後期の人の正室になったりするから仮に付けるってのが多いようですな。お茶々様(淀の方)も「菊子」が諱のようだし、お江の方に至っては死後追贈で「達子」になってる。

2012-10-16 14:07:07
ののまる @nonomaru116

ただ、諱形式の名前としては「幼名+子」もあったようで、北政所を「寧子」としていたり(ただしこれも「ねね」と読むことは可能)、お江が「江子」としている例もあるとか。

2012-10-16 14:08:47
佐倉蔡 @sai_0211

女性の諱って位階を貰ったり、公の役職(内女房)になると「○子」って名前がつくって習った気がするが違うかしら。平安時代史習ってる時に聞いた気が…。だから、紫式部は彰子の個人的な女房だから諱は伝わらないが、後冷泉帝の乳母になった紫式部の娘は賢子って諱が残っていると。

2012-10-17 00:53:56
佐倉蔡 @sai_0211

皆に諱があるが、位階を貰った際に位記等に記載する必要があるから位階を得た人だけ記録に残ってて、そうでない場合は親と夫以外知らないってやつだったか…?

2012-10-17 00:59:59