居合談義まとめ
そういえば、そのまま寝オチしてしまったが、伯耆流の伝書を見直したら、表六本、中段十二本中腰十八本、極意三釼で三科を表しているっぽい。ぶっちゃけ今まで伯耆流に興味なかったのでちゃんと見ていなったようだ。
2012-10-27 18:22:00伯耆流の伝書を活字化してますた。あと三つほどある。どうやら目録と歌の巻でセットらしい。 / 片山流義居相目録 http://t.co/rThtLsQT
2012-10-29 23:39:23また、端書には「居合之起」(端書は居合、本文は居相)が書かれ、天照皇太伸のナンチャラ尊者が殺されそうになった時に居ながらに三尺八寸の御釼を抜き放ったのが始まりとなっている。
2012-10-27 18:29:20@satta7010 船で島に流されてその島民に殺されかけてどうのと書いてあって、別の見やすい資料を見たらどうやら天照の「弟神・蛭児之尊者」と書いてあるらしいです。(´;ω;`) そんな殺伐とした伝説ヤダー
2012-10-27 18:44:09なぜか二世の段階で「壱之抜」だったものが三世で「聲之抜」になっている。むむむ。空気読んだんかー、お前、地味に田宮流とちゃうからって帳尻合わせようとか思たんかー。おぉー?
2012-10-27 19:04:26関口流の伝書を見てみたいのだが、古い居合部分を記述した資料ってあるのだろうか。今知られてる関口流抜刀術は純粋な関口柔心由来ではないと思う。
2012-10-27 19:59:27刀と銃のお話が盛り上がっているところだが、剣術と居合(抜刀)の関係性も考えたい。 振武舘では居合は剣術中の精髄と言われ、往時では選ばれし門弟しか学ぶことが許されなかったという。
2012-11-02 23:45:22江戸時代も流儀によりけりなんでしょうね。関口新心流だと柔の奥ですが、制剛流だと別みたいですし、田宮流だとまず居合から RT @g369: 刀と銃のお話が盛り上がっているところだが、剣術と居合(抜刀)の関係性も考えたい。 振武舘では居合は剣術中の精髄と言われ略
2012-11-02 23:51:13こういった事に関しての何か江戸期の文献はないかと漁っていたら、武備和訓で興味深い記述を発見した。端的に言うと「居合は剣術よりも先に学ぶべきである。」という趣旨の事である。その理屈がまた面白いのだが、明日の備えがあるのでここまで・・・。 しかし武備和訓がベラボーに面白い。
2012-11-03 00:01:05「居合は、習ふ事尤剣術より先にすべし、是則剣術と一術なるべきを、別て教を異にする事心得がたし、剣術の惣躰、居合を以て本とし、起合(たちあい)を以て末とすべし、必本をしらずしては、末治まるべからず」 享保二年(1717年)『武備和訓』 http://t.co/ZRvpABo3
2012-11-04 06:05:46「能居合の道理と、孫武の兵法と、大武小武符合する事あり(略)武人刀剱の藝を鍛錬せむとおもはゞ、先づ居合の事理を致(きはめ)て其後剱術を習ふべし」 『武備和訓』 http://t.co/ZRvpABo3
2012-11-04 06:06:51さて、「なぜ林崎甚助以前に抜刀術が興らなかったのか」という疑問をもって合戦武具史を見直していくと(実際には流儀として確立しない抜刀術はあったと思われる)、やはり中世の大部分では弓射と長柄打物が主流で、刀剣を副次的に使う状況が限られていたようだ。というか、最初から抜いておけば良い。
2012-12-07 00:10:34