大名の石高に関して

石高の話から、動員力、譜代と外様の差の話まで。
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MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@sweets_street そういうことです。例に出したのは、北条と上杉の和睦という大転換時のものですが、北条が派遣した使僧は実は重臣石巻氏の兄弟でした。

2012-10-25 12:37:09
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@KOREMUNE8 家臣、という概念がうまく伝わらないんですよね。内衆とでもしたほうがいいのかもしれません。悩ましい問題です。

2012-10-25 12:38:49
お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf 徳川家の場合も、対今川や対武田、甲信経略などで仲介者的役割を果たした各国の国衆を家ごとに譜代として徳川家の体制に組み込まれた時期を調べると面白いかもですね。決定的に外部者としての性格を失ったのは、本領から切り離された関東移封後のような気がしますが

2012-10-25 12:44:05
惟宗 ARAGOTO @KOREMUNE8

@kurmacf そうてすね。まず、伝わりません。少し概念がちがいますが、あえて徳川幕府を引き合いに出し、徳川将軍家の厳密な意味の直接的家臣は幕府の旗本・御家人だけなねと一緒で、家臣は家中構成員だけですと(笑)。 

2012-10-25 12:45:45
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@sweets_street おそらくそうだろうとは考えています。…が、徳川の研究者で国衆論を受容しているのはひとりしかいないので、時間がかかるかもしれません。そのひとりの努力で、関東移封後の家臣配置の意味も、少しずつわかってきましたが、論文化がまだなので、お話しできない(苦笑)

2012-10-25 12:48:21
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@KOREMUNE8 そうですね。外様大名は徳川の家臣ではない、しかし軍役はかけられる、ということです。

2012-10-25 12:50:14
お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf @KOREMUNE8 家臣・内衆を直属の部下、国衆を協力者という感じで説明したら通りやすくなるかもしれないと思いました。企業に例えると、家臣・内衆が企業本体の社員、国衆が外注業者みたいな

2012-10-25 12:51:18
お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf 国衆論って一般的ではないんですか?意外でした。とても興味深いテーマですので、その先生が一般でも手が届くような本を出版された際はお知らせくださいませ

2012-10-25 12:53:08
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@sweets_street @koremune8 うーんと、実はこちらの説明の仕方の問題ではないのです。国衆論を含む、90年代以降の戦国大名論を受け入れるかどうかの問題ですので。

2012-10-25 12:55:16
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@sweets_street 一般的では全然ありません。東京の中堅研究者が提唱し、やはり東京の若手研究者が支持しているだけです。そして徳川の場合、松平中心史観・徳川中心史観という厄介なものがあり、ほかの大名や国衆と同列に論じるだけで反発が凄まじいのです。

2012-10-25 12:58:18
惟宗 ARAGOTO @KOREMUNE8

@kurmacf @sweets_street 国衆という用語自体、東国もっといえば関東だけの概念ですし、戦国大名概念自体、どの地域権力を大名権力と捉えるかで議論が別れます。松平中心史観もやっかいですし。

2012-10-25 13:03:24
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

個人的には、困惑している、と訳すことが多いかな。まあ場合によりけりですが。>中世の「迷惑」

2012-10-25 13:18:44
お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf 国衆の概念は「色々な構造を理解するのに便利だなあ」と感じて使わせていただいておりました。もっと広い範囲で応用できるように議論が広がることをを願っております

2012-10-25 13:49:33
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