モルトケ元帥のお誕生日 2012

我らが大モルトケ元帥のお誕生日を寿ぐツイートを集めました
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もちはらみなみ @rokuharaminami

(続き)モルトケの出発前、若き妻の眼に涙があるのを見て、「理由なく涕泣するものは度々悲歎する事実に遭遇すること多し」と云い、マリーはこの言葉を思い出し、船がジブラルタルを過ぎるまでは外出するのも厭うほとであった。

2012-10-26 19:03:03
もちはらみなみ @rokuharaminami

(続き)船がジブラルタルを通過し、更にハンブルグに到着したのを知ると、マリーは別人の如く快活になった。故郷に送った手紙には「私は片時も夫のことを忘れることはできず、ただただその無事を祈ってやみません」と書かれていた。

2012-10-26 19:06:09
もちはらみなみ @rokuharaminami

【元帥からみたマリー夫人】 「マリーは決して不機嫌なることなく、又憂鬱なることなし。他の婦人の如く惰弱にして執拗なることなく、常に快活なり。」

2012-10-26 19:32:25
もちはらみなみ @rokuharaminami

【モルトケ夫婦】 マリー夫人は無邪気に諧謔を口にするので、時としてモルトケは哄笑しつつ、「マリーよ、余りに戯れること勿れ」と云うこともあった。この彼女の性格が家庭の和楽を助けた。

2012-10-26 20:00:54
もちはらみなみ @rokuharaminami

【マリー夫人】 夫人は戯れに次のように話したことがあった。 「私の頭脳には父より譲られた多量の無用物があります。それで私はしばしばこの無用物を口より出さざるを得ません。幸いにも私の夫は寛厚なので、かえってこれを喜ぶのです」

2012-10-26 20:28:46
もちはらみなみ @rokuharaminami

【モルトケ夫婦】 あるとき、モルトケが窓に寄りかかり遠方を眺めつつ何事かを考えている時、うしろより不意に近づいたマリー夫人はその肩を軽く叩き、「貴方がこのように近視眼となるのはあたりまえですね」と云って微笑した。

2012-10-26 21:01:20
もちはらみなみ @rokuharaminami

【愛妻との死別】 1868年12月下旬、モルトケは愛妻を失った。日夜断腸の思いに堪へ、クライザウの住居より少し離れた小丘の頂上に自ら設計して質素なる堂を建立し、篤く愛妻の遺骸を葬った。クライザウにいるときは毎日この墳墓にもうでた。

2012-10-26 21:29:12
もちはらみなみ @rokuharaminami

(続き) もし公務の為にベルリンに留まってから帰宅する時は、何事よりも最初に愛妻の墳墓に赴くようにしていた。モルトケは常に帽子をかぶらず家を出て、庭園または路傍の美しい花を手折り愛妻の永眠する柩上に飾り、しばし瞑目した。

2012-10-26 21:33:26
もちはらみなみ @rokuharaminami

【元帥は子供好き】 モルトケは愛妻の死の後、弟妹とその2人の娘をクライザウに呼んで家庭の寂寞を慰めた。 妹が鬼籍に入ると、甥夫婦及び4人の子女と家庭を作り、これ等の子女と無邪気に遊び戯れた。室内を駆け回り、絵本を読み、庭園に出て嬉々として種々の競技をおこなうのを楽しみとした。

2012-10-26 22:02:36
もちはらみなみ @rokuharaminami

(元帥と一緒に暮らしていたと思われる姪御さん達は、元帥の事を「ヘルムートおじさま」と呼び、たくさんの写真を机や箪笥にしまっていたそうです!!)

2012-10-26 22:05:53
もちはらみなみ @rokuharaminami

【小食なモルトケ元帥】 壮年時代は健啖であったが、老年に至ると甚だしく小食となった。「予は若き時はしばしば空腹を感じたが、年老いては飢餓をおぼえなくなった」80歳をすぎた時余りの小食のため、愛甥の勧告で強いて箸を手にするのも珍しくなかった。

2012-10-26 22:31:49
もちはらみなみ @rokuharaminami

【誕生日の詩】1890年の誕生日に際して、一歩兵から慶祝の辞をよせられたのに対して。「歩兵がこんなに美しい詩を書くことを心得ているということは、わが軍に於いては成就されないものはないことを証明するものである」

2012-10-26 22:54:52
もちはらみなみ @rokuharaminami

これにて今年のモルトケ元帥生誕祭は閉幕ですー。軍事的なことはwiki先生にいっぱいあるので個人的なエピソードを拾ってみました! お付き合い下さった方々ありがとうございました(^^)

2012-10-26 22:57:13