丹生谷貴志ツイートまとめ(2012年11月)

丹生谷貴志氏の2012年11月分のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

僕は詩集、特に訳詩集を読むことは絶えてないので、ヘルダーリンもまあ、『ヒュペーリオン』と劇と論文しか読まないのですが、ちょっと必要があって「資料として」・・・

2012-11-05 23:57:28
nibuya @cbfn

なんか原書が届いたとか書きますと、語学自慢のようですが、僕はろくに外国語読めません。ただ、何年か前から「出来るだけ遅く本を読むこと」を目標にしているのです。今更ガキじゃあるまいし「今日何冊読んだ」みたいなノータリンな速読生活の無意味はともかく、普通の読み方ですら速すぎと感じる・・

2012-11-06 11:32:53
nibuya @cbfn

で、原書が読めれば辞書ひきひき、文法復習して読むべきだし、日本語は出来るだけ速度を落とさなくては読めないものを選ぶとか(古文はむろん鏡花とか折口先生とか・・・)。遅すぎて眼球と頭の中で言葉が分解してしまう、そんな感じまで行くのが肝心。それに値する文を見つけたときの驚異が肝心・・

2012-11-06 11:39:39
nibuya @cbfn

「・・・それに値する文」というのは「含蓄深い文」とかいった意味じゃありません。意味から言葉の表面、運行、その他その他が砕け散っているような文と言えば良いでしょうか。例えばデリダの文に僕はそれを感じない。一見分散に引き留まっているかのように見えて、彼の文は流麗に流れすぎる気さえする

2012-11-06 11:48:44
nibuya @cbfn

本当に高速性能に優れたオートバイは乗るとむしろ全てが遅く感じるものです。そればかりか、そうしたバイクは操作を急ぐとまともに走りません。

2012-11-06 12:03:30
nibuya @cbfn

たとえば中原昌也の文や音は、八方破れに速いように見えて実は驚くほど遅い・・・が故に驚くべきものです

2012-11-06 12:07:50
nibuya @cbfn

レーモン・クノーの小説の中を絶えず不意に流れる肌寒い、遅い、風の感じ・・・クノー・・・決して笑い顔のない不思議な感じの表情。その小説の遅さの体感・・・

2012-11-06 12:17:31
nibuya @cbfn

コンピュータは速さで処理すべき情報に関して僕らをそこから解放してくれた。速さで処理すべきことはそれに任せればいい。結果逆に僕らは遅さを生きることが出来る。コンピュータはだから、或る意味、「速さをもたらしたのではなく、遅さを僕らに返してくれる」可能性に於いて慶賀すべきものだろう

2012-11-06 12:26:35
nibuya @cbfn

ハルの速さの結果、ディスカバリー号の空間は素晴らしく遅い・・・

2012-11-06 12:29:51
nibuya @cbfn

無性にジャック・ロンドンとかグレアムとかを読みたくなる時があって・・・これは彼らの作品と関係なく、自分としてはあんまりいい状態ではないことが多い・・・まあ、軽い「逃避」の兆しですね、たぶん。といっても森の中の焚き火の匂いが懐かしいとかいった程度ですが

2012-11-07 02:21:43
nibuya @cbfn

「社会統計学者」は当然のことながら自身もその統計の観察−分類対象であることの自覚/倒錯の中にいる「筈である」。じっさいは、大部分の場合、彼らは自分を観察者として分離し、その快楽の中に自足しようと必死であるように見える。まあ、正当な自己防衛だ。

2012-11-10 22:27:18
nibuya @cbfn

唐突だが、徹底的に「凡庸さ」においてしか世界を扱う気がない(?)という点においてイギリスの小説は最高に「予言的な」小説群を生んでいるように見えるのだが、しかし意外に重要なものが訳されていないのに驚いたりする。例えばイーヴリン・ウォーの『Sword of Honour』とか・・・

2012-11-11 10:53:41
nibuya @cbfn

バラードの『スーパー・カンヌ』を中心とする最後の三部作+αは、最初に読んだときはその設定の凡庸さにちょっと失望したが、今ではあれはかなり切実かつ精確に「予言−叙述的」な小説に思える・・・「日は日々に新しい。そして結局”同じこと”しか起こらない」ということ・・・?

2012-11-11 11:02:03
nibuya @cbfn

どうでもいいと言えばどうでもいいことだが(?)、ドゥルーズの奥さんファニーは「イギリス文学」研究者である。ドゥルーズの、少なくとも英国文学の知見は奥さんに多くを負っている(例えばキャロルやD・ロレンス)等。まあ、スコトゥスやヒューム、ベーコンについては・・・

2012-11-11 11:21:10
nibuya @cbfn

・・・ヘンリー・ムーアについて意見(!)を求められた時のダリの応答−−「英国には芸術家は存在しない。従ってムーアなど存在しない。従って評価など有り得ない」。ここにはしかし、ダリらしい屈折した「絶賛」があるのかもしれない。

2012-11-11 11:24:19
nibuya @cbfn

・・・ピンチョンの『重力の虹』はイギリス小説へのオマージュとして読めないこともない。

2012-11-11 11:27:36
nibuya @cbfn

もっとも、イギリスですら(?)或る時期からのものは・・・ゴールディングやらファウルズやら、或はマードックすら・・・

2012-11-11 11:33:32
nibuya @cbfn

ここのところナボコフ『断頭台への招待』をバカバカしいほど遅い速度で読んでいるのですが、深い意味はなく、仏訳、英語版、日本語を並べて読んでいるという理由で一日10ページしか進まないというだけのことです。言葉が言葉に見えなくなるという症状(!)が出て来たので一種の治療です

2012-11-11 12:37:15
nibuya @cbfn

ちなみに『断頭台への招待』はロシア語で書かれ後にナボコフ自身と息子さんによって英語版として細部の書き直しを加えそれが完成体としては決定版とされ邦訳はその英語版によっている。仏訳はロシア語初版からの訳。だから何だというわけではありませんが、当然のことながら細部の叙述に相違がある

2012-11-11 22:10:57
nibuya @cbfn

・・・別に細部の差異を見つけてどうこうなどという野心(?)なんかありません。

2012-11-11 22:14:20
nibuya @cbfn

揚げ足取りをする気はないのだが『キング、クイーンそしてジャック』のナボコフ自身の前書きの最後、この三枚のカードにエースが来て「ジングルベル」が来ると書かれ、訳文では「10」と注が付いている。なるほどそれでロイヤルストレートフラッシュなのだが、ジングルベルは「ジョーカー」だと思う

2012-11-12 01:11:56
nibuya @cbfn

ジョーカー、つまりはワイルドカードで「10」とする訳で、小説の構成からもこれはジョーカーでしょう。さらに前書き冒頭の訳は「奔放不覊の生きのいい、華やかな一篇」となってるけれど「謹厳にして淫らな、我がままな一篇」って感じじゃないでしょうかね、たぶん。

2012-11-12 01:20:07
nibuya @cbfn

言い足しておきますが、『キング、クイーンそしてジャック』については僕は仏訳だけ見て邦訳について言ってるんで、英語版は見てませんので、或は僕の勘違いかもしれません。因に本書はそれこそナボコフ自身が校訂した英語版が決定稿ということになるようです。これに関しては仏訳も英語版からの訳です

2012-11-12 01:28:08
nibuya @cbfn

ああ、こんなこと書くと「誤訳」を摘発してるみたいですが、僕自身は「誤訳」を全然気にしない読者です。日本語としてきっちり流れ意味に不自然さがなければ誤訳なんてよほどのもんじゃなければ一向に気になりません。だから今指摘した部分は何となく気になったというだけで、全体は労訳で見事なのです

2012-11-12 01:37:18
nibuya @cbfn

言い忘れましたが、「ジョーカーだと思う」と書いたのは、端的に、仏訳では文字通り「鈴をつけたジョーカー」ってなってるんで、僕の「発見」なんかじゃありません。

2012-11-12 01:48:27
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