「リスクコミュニケーション」の「今」を考えました
政府の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」に始まった、政府のリスクコミにケーションがいろいろなかたちで繰り返され、福島や他の地域でもいろいろな人が政府の政策との関係の有無かかわらず、これに関わっている。放射線による被ばくにさらされることによる「不安」は、東京電力福島第一発電所が事故を起こしたことにより、現在化した。しかし、リスクコミニケーションの成果とはいったい何なんだろうかという課題を抱えながら、社会の中で、人の生活に関わる課題として、放射線被ばくのリスクが現在の日本に突きつけられている。
<参考にしたまとめ>
◇IWJさんによるもの
121110 第4回福島原発事故による長期影響地域の生活回復のためのダイアログセミナー 子供と若者の教育についての対話
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すみ
@vptdmre
⑴リスクと便益を相対比較して、どのような行動をとり、それに伴うリスクを許容するかというのが普通のリクスの許容に対する人の行為だと思います。
2012-11-11 01:00:01
すみ
@vptdmre
⑶なぜなら「安全神話」なるもので原発を電源として政府が推進してきたからだ。だから、許容できないという行為を示す人の反応があること自体はおかしくない。
2012-11-11 01:01:17
すみ
@vptdmre
⑷今、放射線に対するリスクコミュニケーションは、福島という放射能に最も汚染された地域に住む人が健康でいるために、さらに健康管理に必要であるという現実に対応するためにある。
2012-11-11 01:01:58
すみ
@vptdmre
⑸もちろん、福島以外の地域に住む人にも必要であろう。しかし、放射線の被害から安全であることは可能であっても、「安心」を説得されては「理性を適切」使っているといえるのだろうか。
2012-11-11 01:02:45
すみ
@vptdmre
⑺例えば、レントゲンを写真を撮ることは、意識しようとしまいと、被ばくとレントゲンを撮ることで知ることを相対比較した上で、事故以前は多くの人の許容されてきた。
2012-11-11 01:03:51
すみ
@vptdmre
⑻しかし、これと放射能汚染は同じとはいえないだろう。そこに自分の行動の結果として許容したリスクであろうという認識を持つことが難しいからだ。
2012-11-11 01:04:28
すみ
@vptdmre
⑼汚染という現実に対応するためのリスクコミュニケーションの難しさとは、現実にその任に当たっている人の感じるいることが当を得ているであろう。
2012-11-11 01:05:00
すみ
@vptdmre
⑽政府のすすめるリスクコミにケーションに対する拒絶を示す人は理性的でないといえるのだろうか。いや、むしろ、理性的な反応として、行動している人も多いだろう。
2012-11-11 01:05:47
すみ
@vptdmre
⒀しかし、放射能汚染は、日本社会に容認できようと出来まいとある現実であるために、社会的な相互間に受容できる基準と評価が必要とされている。それは間違いないだろう。
2012-11-11 01:11:07