表象文化論学会ミニシンポジウム「イメージの権利」、その後の議論
@yishioka 確認ですが、「こういう見解」を「揶揄」と捉えていらっしゃいますか? そのブログの方は今日の質問者だと思いますが、彼は揶揄ではなく、本気で質問(というか議論)していらっしゃると思います。すでにYさんが応答していますが、私も論を起こそうと思います。
2012-11-11 03:08:55@yishioka 全く同感なのですが、それだけで片付けていいのかどうか、もう少し考えてみたいと思っています。質問者の質問時の態度にも、やや疑問を感じたりはしたのですが。ただ、そうした個人的(?)な問題に、氏の言いたかったであろうことを還元していいかのかはまた別問題ですからね。
2012-11-11 03:15:37.@zepkark よくある「大陸哲学やポモはこれだからw」といった風景とは別の方向に議論が進むべきでしょうね。
2012-11-11 03:16:44@yishioka まったくです。質問者は、そんな低レベルのことを口にする人ではないので、それだけにちょっと疑問に思った、という感想です。今日のコロックでの議論がもっと分節化されるべき、という指摘はそのとおりだと思いますが、それをあのような形で早速ブログに書くかな…
2012-11-11 03:20:16@zepkark 同時に「分析哲学のような分節では問えなかったり問いにくくなるような問題の所在」について、はっきりと主張する必要もあるのではないでしょうか?私自身が「学的な権利」をどれだけ有しているのか心許ないので、あまりちゃんとコミットできていないのですが(哲学に関しては特に)
2012-11-11 03:24:11@yishioka 今日の構図では(1)「現行の著作権法」と「それでは零れ落ちるイメージ「の」権利」が十全に取り上げられなかった。(2)そもそもイメージの所有者の権利なのか、イメージそのものの権利なのか。←モノの権利なんて認めていいのか?という突っ込み。というかんじですかね。
2012-11-11 03:31:01@zepkark そこは発表を聞けていないので判断できないところですね。ゆえに私が有意味な形で発言可能な範囲にも、自ずと限界があることは認めざるを得ません。
2012-11-11 03:35:55@yishioka すいません、時間軸をひねって無理矢理、取捨選択してまとめようとしたらおかしいことになってます。とりあえず、いったん寝ます。その上でまだ言うべき、と思うことがあればまた書きたいと思います。すいません。
2012-11-11 03:41:24学的にも批評的にも精進が足りないことを痛感させられる。両者のいずれかを蔑視する見解に引きずられすぎている面もあるのだろう…
2012-11-11 03:43:51Du lebst und thust mir nichts. ──「お前は生きているが、わたしには何をすることもない。」ヴァールブルクが「イメージ」をめぐる思索の過程で書きつけた言葉。イメージに宿る「生命」を認めながら、そこから安全な距離を保つ身ぶり。
2012-11-11 07:28:19そういえばドイツのあるシンポジウムでも、イメージ行為論と連動して、ある種のイメージの生気論というか、イメージに「生命」を見るかのような傾向が現われていることが指摘されていた。
2012-11-11 07:32:45それを蒙昧な呪術信仰と切り捨ててしまおうとする反撥も予想されるけれど、そうした認知傾向をイメージ現象の一面ととらえたところに、「イメージ人類学」の企てがあるのだろう。
2012-11-11 07:36:11w.j.t.mitchellがwhat do pictures want? the lives and loves of imagesなどというタイトルの本を出したのも同じような流れ。これはd.freedbergのthe power of imagesなどからの流れか。
2012-11-11 08:16:57こういう著作における"want"ないし"power"は「比喩」以外の何物でもない、と遮断する「見識」は容易に想像できる。昨夜(今朝?)のツイートの補遺になるが、「イメージ」にこうした措辞を付加することで「問題系」が開けるのか否か、ということにも関わるだろう。
2012-11-11 10:08:27しつこいようだけど、『イメージ、それでもなお』でGDHは「il faut (s')imaginer」という当為を、論拠も前提もなく、自明の公理であるかのように繰り返すけれど、あれはイメージの権利なのか権力なのか、それともイメージ”をめぐる”倫理という単純なことでしかないのか。
2012-11-11 10:46:39言外にベケットの"Imagination morte, imaginez"が?「アウシュヴィッツ以降」(アドルノ)の文学的想像力RT @maerchendiver: しつこいようだけど、『イメージ、それでもなお』でGDHは「il faut (s')imaginer」という当為を
2012-11-11 10:50:29天皇の「イメージ」というと、天皇その人(肉体を持つ一個人)でも、御真影の一枚一枚(ブツとしての写真)でもなく、御真影などを通して個々人が観想し(戦前であれば畏敬する)心像みたいなものであって、しかし幻覚とは違い、特定の文化や知識体系が前提になっており、ある程度他者と共有されうる。
2012-11-11 10:55:15@maerchendiver なのでこういう連想そのものは珍しいものではなく、下手をするとクリシェですらありうるでしょう。
2012-11-11 10:58:44