阿真さんの交通事故外傷の痛みからの回復体験談
旅行に行く度に遺書を書いたり、お産の度に遺書を書く私はやっぱり普通じゃないだろうか。それはやはり一度死んだ(ような)経験をしているからかな。(交通事故)命があるのが当たり前じゃないというのは、ものすごい強く大きな感じとして自分の中にある。旅やお産から帰ってきて遺書を破り捨てるとき
2012-10-28 07:02:50すごくホッとする。ちょっと笑っちゃうんだけど。二度と会えないと思って、涙涙で書いてるので。笑 で、こんないつも遺書、書いている私だけど、一度死んだ(ような)経験した奴はそう簡単に死なない、っていつも言われる。まあ、ギリッギリのところで生かしてもらった分、生きなくちゃね。
2012-10-28 07:05:52でもやはり自分の経験よりも、息子があっちの世界に片足突っ込んでしまった経験、友人医師の言葉を借りていうなら「鬼の口に飲まれた」経験、のほうが大きいのかもしれない。命が当たり前じゃないと思う、その所以についてです。あの経験以降、「今」があるのが当たり前じゃないという気持ちが強すぎる
2012-10-28 07:09:45ゆるやかに振り返る。小1の秋、道路に転がっていったボールを追いかけ、ボールを抱えた瞬間、4トントラックに跳ねられる。車の信号は青。運転手さんは全く悪くない。スピードは普通に出ていて、たまたま見ていたGSのお兄ちゃんは50m以上飛ばされた私を見て即死だと思ったという。
2012-11-13 09:24:41ボールを抱えた後でなかったら、間違いなく即死の事故。3日の間意識はなく、気がついた時に覚えているのは、やたらと白い壁。大腿骨を複雑骨折した。頭を強打したが、むちゃくちゃ打ち所がよかったらしい。医師に何度もあとこんだけ、数ミリ、ずれてたら植物状態、と言われた7歳の秋。
2012-11-13 09:29:20入院は面白いおじちゃん(医師)と元気なおばちゃん(看護師)に囲まれ、本ばかり読んでなかなかに快適な日々。友達は順番に訪れてくれて、先生も本当にしょっちゅう来てくれた。弟が3歳で母が泊まる事はなく夜は寂しかったけど、群馬から叔母が仕事を投げうって来てくれた。
2012-11-13 09:32:56退院後は長い車椅子、松葉杖の生活。とれた後は、歩くのにも走るのにもなんの困難もなく。事故直後は歩けなくなる、と親は言われたと。しばらくの後、事故の後遺症に苦しむ。ほぼ毎日眠れない足の激痛。整形外科にももちろん行ったが、もうどこも悪くないと。母はあちこち整体などに連れて行ってくれた
2012-11-13 09:37:14大概、大差はなくて、でもものすごい混んでいて、朝行って、夜みてもらえる、なんてとこもザラにあった。知ってるひとは知ってるだろうけど、板橋だったり久喜だったり本当にあちこち遠征してた。母は何とかしてやりたいと思ったのだろうな。それでも、良くはならなかった。
2012-11-13 09:39:40でも、原因はわからなくても、痛い、ということがわかってもらえただけで救われたことも多かった。泣いたこともあったように思う。一時的には良くなっても、しばらくすると、また痛む。徐々に自分でケアする方法、みたいなのがわかってきて、付き合い方がわかってきた。
2012-11-13 09:41:54ある時、ある先生が、このケガだったら、手術はいらなかった、自分でだったら手術なしで治せた、みたいなことを言った。母はその言葉に落胆し、私はその場では取り繕ったが、帰りの車で、終わったことに対してああいうこと言う奴だけは信用ならない、と言ったことをいまだに覚えてる。
2012-11-13 09:44:23手術の痕はなかなかに気持ち悪いもので、体育のブルマや水泳のときなんかに、いつと両手をピタッとして、皆に見られないようにしてた。うっかり手が離れると、というか、競技などで離さなければいけないとき、ものすごく気持ち悪がられるので、細心の注意を払っていた。だから、母は女児にこんな傷が
2012-11-13 09:46:49傷があってかわいそうだと思っていたところへつけ込んでの、手術などいらなかった発言、これには怒ったよ、私は。母は自分の選択が間違ってたとか言い出して、はあ?やっと助かった状態で病院に行かないなんて、ありえないから!と一蹴。ひとの不安につけ込むってどんなことなのか、間近で見た。
2012-11-13 09:49:49さて、続き。高校時代に泊まりに来た友人。たまたまその日の夜、足がマックスで痛くなってしまった。とにかく苦しみうめきながらいろんなケアを自分でして、それを見た友人が、話には聞いてたけどこんな思いをして生きてるなんて、と驚いていた。私には20年以上当たり前にあった痛みだったので
2012-11-13 16:34:08何の痛みもなくて生きているという人生を歩んだことがなかったので、何とも思ってなかった。恨んだこともないし、むしろ、なんで生かされたんだ?とは思ったことはあったかな。とても痛む足、が日常。まさか、ほとんど痛まない日がやって来るなんて思いもせず一生、元気に、この痛みと付き合うのだなと
2012-11-13 16:36:40就職してから二度程、駅で痛すぎて貧血みたいに倒れた。一度はあまりの痛みにバタンと倒れて二時間位記憶なくした。職場の人は心配して親やあちこちに連絡してくれたらしい。連絡なくいなくなることはなかったので。
2012-11-13 16:39:02西へ東へ探し回っていた足の先生探しは、結局近所のところへちょくちょく通うことで落ち着いた。いま思えば、氷を用いた変な療法だったな。でも、あれが私には一番効いた。一時的に痛みを忘れられる、それだけだったんだけど。身体の歪みとか運動とかいろいろやったなあ。
2012-11-13 16:42:00ツイッターのつぶやきが途中なので気になりつつ、金曜の栗橋行きまで持ち越してしまいそう・・・ツイッター列車だ。ただ今眠すぎの私。ほとんど眠りの中で、龍馬さんとか慶喜さんとか・・・今度はこの時代に来たか、イナヅマ。サッカーアニメ、辞めたんだよね・・・。では、おやすみなさい・・・
2012-11-14 19:12:58さて、いつか書いたあの話の続きを。治ったところまでいかないと、話が完結しないので。お読みくださったあの方とあの方とあの方等・・・感謝。さて、と。小1の大事故。長い車椅子と松葉杖の生活後、後遺症で苦しむ、の話の続き。いろんなところを転々とした挙句、近所で通えて&来てもらえるところに
2012-11-17 22:30:46週に1~2はお世話になる日々。時は流れて、29歳で妊娠。そのことを先生(接骨院だったか?)に告げると、チャンスだよ、と。なんでチャンスなの?と半信半疑どころか、疑いの目いっぱいで。出産で骨盤が開いていったんリセットされる。それを正しい位置にしていくことで足の痛みは軽減されるという
2012-11-17 22:35:50正直言って、あんな強烈な痛みが治まるなんて全然思えなかったし、簡単に言ってくれるなあと思いつつ、まあ本当に少しでもよくなれば、と思い、先生が絶対にこの日とこの日だけは見させてね、といった産後1週、2週、3週、2か月だったかな、忘れたけど、とにかく連続で診てもらった。
2012-11-17 22:38:24ま、ここからは嘘のような本当の話なのだが、初めての産後、おっぱいやら赤ちゃんのお世話でなんだかんだと過ごしていたのだが、ふと気付いた。痛くない。全然痛くない。まったく痛くない。なにこれ?みんなこうなの?そしてその日から今まで、雨の前の日、寒くなる前の日、それ以外は痛くないのだ!
2012-11-17 22:41:28昨日は痛かった。天気予報を見なくても、雨が降るんだなと思った。1時間近く自分流ケアをしていると、ママ、足が痛くてかわいそうだね。と。いや、お母さんはみんなを産むまではこんなもんじゃなかったんだ。いまの痛みって雨の前の日とかだけなんだけど、それだって昔と比べたら50分の1位かな。
2012-11-17 22:43:18