その困惑はおっしゃるとおりです。したがって1970年代に入ると、いわゆる現代思想は限りなく文学表現に近づき、美学理論としては一世を風靡するけれど科学の基礎論や社会理論としては試みられなくなります。それが日本でさらに表層化して消費されたのがニューアカです。@kikumaco
2010-08-10 15:18:28というわけで、いまやニューアカは忘却の彼方、現代思想も「アホ?」というわけですが、しかしぼくはそこで、単純に<文学化した哲学>を放棄するだけでなく、もうひとつ議論のレベルをあげて、「なんで哲学はあんな変なことになってしまったのか」を理解しないと議論は先に進まないと考えています。
2010-08-10 15:20:44たぶんそこがポイントで、僕は文学批評としては理解できるけど、それ以上の意味が理解できないわけです。文学批評はポストモダニズムの最も「筋のいい」行き場所だと思うのですが。それはニューアカから変わっていないといわれるとそれまでですけど @hazuma
2010-08-10 15:23:5420世紀において一部の哲学が極度に「文学化」「詩化」してしまった背景には、たぶん、科学あるいは数学の知というのが、人間の日常の想像力をあまりにも凌駕し、生活世界から離れてしまったことへの反動という側面があると思うのですね。実際、ハイデガーの哲学は量子論とかとほぼ同時代です。
2010-08-10 15:24:12フッサールなんて、けっこうまじめに科学と哲学の統合を考えているのだけど、1920年代あたりにそのプログラムがどうも破綻する。それで開き直ったはてにハイデガーが出てくる。他方でウィトゲンシュタインも初期の論理実証主義を捨て、謎めいた日常言語分析に足を踏み入れる。
2010-08-10 15:25:29そう考えると、哲学の「正常化」のためには、けっこう素朴に科学的な知の日常世界との再統合というか、ひらたく言えば、最先端の科学の一般市民への啓蒙活動(急にえらく俗っぽい話になってきましたがw)が鍵なような気がしています。
2010-08-10 15:28:47でも、いっぽうには「量子力学の哲学」を突き詰めようとした人たちもいるんですよね。SF Onlineにも書いたんだけど、哲学者が量子力学に関して「物理学者の書くものは粗雑に過ぎて哲学には不十分」という趣旨の文章を書いているのを読んで、感動したことがあるので @hazuma
2010-08-10 15:29:40それはぼくではないのでなんとも。RT @kikumaco でも、いっぽうには「量子力学の哲学」を突き詰めようとした人たちもいるんですよね。(..) 哲学者が量子力学に関して「物理学者の書くものは粗雑に過ぎて哲学には不十分」という趣旨の文章を書いているのを読んで、感動したことがあ
2010-08-10 15:30:53文系で理系への敬意がないひとはいっぱいいるでしょうし、ニューアカ系で哲学とかなんとか以前にそもそも言葉をまともに使えていないひともいっぱいいるでしょうが、ぼくはそんな人々を擁護する気は1ミリもありません。
2010-08-10 15:32:14いや、なにがいいたいかというと、哲学者は科学のユーザーではだめなんじゃないかと思っていたのに、たとえばソーカル事件っていうのは「もしかして、単なるユーザーなの?」ということではないかというがっかり感かな @hazuma
2010-08-10 15:37:00これは同意! 自戒を込めてまったくそうですw RT @kikumaco いや、なにがいいたいかというと、哲学者は科学のユーザーではだめなんじゃないかと思っていたのに、たとえばソーカル事件っていうのは「もしかして、単なるユーザーなの?」ということではないかというがっかり感かな
2010-08-10 15:38:48東大中沢事件の背景として理解してよいのでしょうか。 RT @hazuma: 1970年代に入ると、いわゆる現代思想は限りなく文学表現に近づき、(略)科学の基礎論や社会理論としては試みられなくなります。それが日本でさらに表層化して消費されたのがニューアカです。@kikumaco
2010-08-10 16:04:06.@NobuKawai 中沢事件は、問題提起までは理解できるのだけど、詳しい経緯を知らないので、なぜディフェンスできなかったのかは理解できていません
2010-08-10 16:11:17哲学の文学化はすぐにはわからないので、逆に文学というか「物語」として科学をやるというのを考えてみると、ドイッチュの多世界解釈本「Fabric of reality」とかはそうかもしれない。それから「複雑系」は物語性が重要だと思うので、近いかもしれない。 @hazuma
2010-08-10 16:53:05