映像つきホラー映画小史(『ホラー映画の書き方』第一章から)

『ホラー映画の書き方』(フィルムアート社)第一章ホラー映画小史からの抜粋、引用(字数制限のために一部改変している場合あり。また誤字脱字がある場合もあり)などをもとにした連続つぶやき動画つきホラー映画小史です。動画がついているのでより理解しやすいかもしれません。この分野に興味のある方々にお役にたてれば幸いです。 拝   ⇒関連まとめ 『映画の魔』からの抜粋 http://togetter.com/li/427787
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

1980年代 切り裂き魔の隆盛 人畜無害な人間も冷酷な殺人者になることを教えたのがノーマン・ベイツ(『サイコ』)だとしたら、マイケル・マイヤーズ(『ハロウィン』)はさらにその考えを進めた存在だった。さらにもうひとりがスクリーンへと向かうのは、時間の問題だった。

2012-12-06 11:03:15
KAZUHIRO ARAI @majuzub

『Friday the 13th (13日の金曜日)』(1980)のジェイソンhttp://t.co/7fBWNqBW http://t.co/knqwMRxX 動http://t.co/3RDwB3lR

2012-12-06 11:03:42
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

『A Nightmare on Elm Street (エルム街の悪夢)』(1984)のフレディ・クルーガー http://t.co/4DqhhxI6 動http://t.co/y38dgnvu

2012-12-06 11:03:55
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

「VHSとレンタル・ビデオは1980年代に爆発的に普及した。アメリカ人は60年代、70年代のカルト・ヒット作ともども、初めて他国のホラーの味を知った。こうした作品はビデオ革命がなければ日の目を見なかっただろう。」

2012-12-06 11:08:53
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「当時のインディペンデント作家たちは突然、低予算の自作のさまざまな方面に広がる新たな販路を得た。今やホラーの名作の収支を合わすために、必ずしも映画館へ観客を呼び込む必要はない。ビデオ販売専用に映画館が作られる時代がやってきたのだ。」

2012-12-06 11:09:09
KAZUHIRO ARAI @majuzub

1990年代 リメイクと洗練 この年代はアメリカ映画に関して言えば、古いアイディアにいくつかの新しい料理法が考え出された時代。フレディは1994年の『エルム街の悪夢 ザ・リアル・ナイトメア』で復活、ジェイソン・ボリーズも2001年に復帰。

2012-12-06 11:25:51
KAZUHIRO ARAI @majuzub

『Event Horizon(イベント・ホライゾン)』(1997) 幽霊屋敷の物語は新しい領域、宇宙空間へ進出 http://t.co/6ePSw14J 動http://t.co/2jKluNTN

2012-12-06 11:26:10
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

『The Shining(シャイニング)』(1997) スティーブン・キング自身が脚色。5時間のミニ・シリーズとしてテレビで放映。 http://t.co/VVnRhm2s 動http://t.co/SlRniTsT

2012-12-06 11:26:27
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

「また、とりわけホラーの分野では、以前に増してインディペンデント・フィルムが大手スタジオのプロジェクトの強力な競争相手となった。インディペンデントはほとんどなきに等しい予算で大ヒットを飛ばすこともできた。」

2012-12-06 11:28:00
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「『The Blair Witch Project(ブレア・ウィッチ・プロジェクト)』(1999) http://t.co/FBRk7Mmi  動http://t.co/cMGVaGG9がそのいい例で、6万ドルという乏しい予算で映画史上屈指の収益を上げた。」

2012-12-06 11:29:47
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

「「発見されたフィルム」というアイディアは何十年も前に『食人族』でも使われていたが、依然、観客の足を映画館へ向かわせるだけの吸引力のある設定であることが証明されたのだ。」

2012-12-06 11:30:34
KAZUHIRO ARAI @majuzub

続きは後ほど。次は「日本再興」からです。それで終わります~。 マッサラーマ!!

2012-12-06 11:35:33
KAZUHIRO ARAI @majuzub

先ほどのホラー映画小史の後では時代を感じますね。 レンタルビデオ、生き残りの一手  :日本経済新聞 http://t.co/tRQgzZrz

2012-12-06 12:26:33
KAZUHIRO ARAI @majuzub

Wii Uで「ニコニコ動画」が見れる「niconico」が配信予定 http://t.co/sRqLvuUZ

2012-12-06 12:29:25
KAZUHIRO ARAI @majuzub

それでは、『ホラーの書き方』第一章をもとにしたホラー映画小史(♡つき)の最後の連続つぶやきをします。 日本再興 「我々は今、新しいホラーのコンセプトが見知らぬどこかから、厳密にいえば遠い外国のどこかから湧いて出る時代にいる。最近の二大ホラー連作は日本からやってきた。」

2012-12-06 17:24:14
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「ここで理解しておかなくてはならないことがある。核戦争の恐怖は経験したものの、日本は近になるまで国産の大量殺人者の恐怖というものを知らずにきたのだ。」

2012-12-06 17:24:39
KAZUHIRO ARAI @majuzub

1990年宮崎勤の出現で日本は連続殺人と食人の醜悪な世界に突入した。その5年後にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。ほどなくこの恐怖は映画に反映され、その映画は日本国外へ進出する。

2012-12-06 17:26:34
KAZUHIRO ARAI @majuzub

『リング』(1998)→『The Ring』(2004) 『呪怨』(2000)→『THE JUON/呪怨』(2004) 両作品とも上々の興行成績をあげた。

2012-12-06 17:26:41
KAZUHIRO ARAI @majuzub

この世に恨みを残した幽霊(たち)というアイディアはすでにアメリカの映像作家も採用していた。 

2012-12-06 17:27:33
KAZUHIRO ARAI @majuzub

例えば、『Poltergeist (ポルターガイスト)』(1982) [製作・脚本: スティーヴン・スピルバーグほか] http://t.co/Fzw1loWx 動http://t.co/FNvzNX13

2012-12-06 17:27:41
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

『The Entity (エンティティー/霊体) 』(1981) [製作顧問:バリー・タフト博士、ケリー・ゲイナー博士(カリフォルニア大学超心理学研究所)]http://t.co/TrRCcz2m http://t.co/LPT4OjU6 http://t.co/DxwnKhYI

2012-12-06 17:28:26
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

※「日本の映画ファンの多くはシーンからシーンへ、ここからそこへと、あまりつながりを感じさせないまま、ときには観客を置き去りにしてしまうような飛躍の多い映画を好む。」

2012-12-06 17:29:03
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「我々アメリカ人は最初、そういう映画にどう反応していいかわからなかったものの、ひとつ確かなことがあった。そういう映画が怖いという事実だ。そして、それさえわかっていれば十分なのだった。」

2012-12-06 17:29:12
KAZUHIRO ARAI @majuzub

21世紀  「安くてパワフルなデジタル・ビデオカメラの急激な普及により、21世紀初頭にはホラー映画が爆発的に制作された。全米各地ほとんど全家庭に高解像度のテレビが置かれ、機材の入手も簡単になった今、我々は従来の予算の半分でハイクオリティな映画を作れるのだ!」

2012-12-06 17:46:50
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「『GINGER SNAPS (ジンジャー・スナップス)』(2000)は新世紀に何が待ち受けているかの典型的な例だ。興行成績は振るわなかったがDVDの人気は高かった。スタジオもインディペンデント作家もDVDは強力な販売メディアになると考えた。人々はもう以前ほど映画館に行かない。」

2012-12-06 17:47:26
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