チョロックプジャ

西ベンガルの太陽神への供犠儀礼「チョロックプジャ」について動画を公開したりしていたしぶふくんに、自分の関心に引きつけてからむ俺
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激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou なぜ4/14日から新年にしたのかは謎ですが、南インドやスリランカで太陽信仰に関連して火渡りや鉤釣りを行う社会集団の新年も、やはりこれ位の時期だといわれてます。この新年に合わせてチョロックプジャを設定したのか、あるいはチョロックに合わせて新年が設定されたかは謎です。

2012-12-12 02:21:09
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou 一方でヒンドゥーの祭祀の方は、学説史的な起源が1584年を遡るものがほぼ皆無ですが、私が知る限りチョロックとヴィシュヴァカルマー・プージャーを除いては陰暦に従って行いますので、アクバルがポンジカを作成した後、ここに陰暦のヒンドゥー祭祀を加えていったのかと思います。

2012-12-12 02:28:03
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou ただ、未だに議論が続いてるみたいですが、チョロック・プジャでしばしばシヴァに重ねられて信仰の対象になる民俗神のDharmaが、仏陀の化身ではなかったかという説もあります。そうなるとパーラ・セーナ期に遡ってしまいますけど…。とはいえ何れにしても、根は太陽信仰です。

2012-12-12 02:32:14
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky なるほど。折衷案だったのですね。チベットでも、12〜3世紀頃にイスラム教の東漸の危機感を受けて成立した『カーラチャクラタントラ』に由来するといわれる太陽太陰暦を17世紀頃に中央政府が正式採用して今に至ります。

2012-12-12 02:48:43
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou 4月中旬の件、思い当たることが一つありました。だいたい春が終わって乾季に入る時期です。この時期を過ぎると度々熱波がやってきて、土地が乾いてカチカチになるので畑が耕せなくなります。そう考えると農耕民の仕事は減りますので、区切りには丁度いい時期です。

2012-12-12 02:48:50
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky 冬至明けくらいを新年とする考え方もあるけれど、農業の始まる春の到来を新年とすると土地によってばらけますよね。

2012-12-12 02:50:49
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky どうも、チベットの年間儀礼/生涯儀礼/タントラの修行体系をみていても、根幹のところで太陽信仰が根付いていますね。それも、とても深いところで大乗仏教的なんです。サカ族=釈迦族の太陽神信仰をもとにした王権システムのが伝播してたんじゃないかとすら思わせられます。

2012-12-12 02:53:58
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou アクバルが設定した新年とチョロック・プジャが偶然重なったとは考え難いですので、アクバルか民衆の方に意図があったと憶測してるんですけどね…。ムガール朝の資料を漁ることができれば、チョロックの記載があるかないかも分かるかもしれないのですが。

2012-12-12 02:55:31
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou ドルモ(Dharma)神もチョロックプジャも、バラモンを始め高カーストのヒンドゥーからかなり忌諱されるということがよく言われます。これは、陰暦で行っているとはいえビハールやジャールカンド州の太陽信仰チャット・プジャでも同じです。

2012-12-12 02:57:32
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou それで是非お尋ねしたいなと思ったのは、チベットの諸宗教における「太陽信仰」の位置づけです。ドルモ神の司祭は不可触民かシュードラに同定されるドームだったりしますし、チョロックの司祭は他のバラモンの出自とは別で、聖仙Vyasaに作られた地位の低いバラモンみたいなんです。

2012-12-12 03:02:33
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky なるほど!太陽神への返礼を根底に据えたような儀礼はブラフマニズムとは相容れないというのはとても大きなヒントですね。チベット仏教の中でも、とくにアウトカースト的というか清僧の寺院組織の外部で伝わっている伝統に顕著に太陽神信仰の名残が見られて。

2012-12-12 03:03:00
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky なんだか、仏教とはなにか?タントラとはなにか?というのがほんの少し見えてきた気がします。

2012-12-12 03:03:38
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou サカ族の太陽信仰ですか・・・!!!どのようなものか想像できないのですが、その要素がヒンドゥーより前に各地の地域的な太陽信仰と重なったりしたことがあったのかもしれないですね。ただそうなると、西ベンガル州南部ラール地方だけでなく、北部でも何か残っていそうなんですが。。

2012-12-12 03:08:53
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou あと、チベットのシヴァ、マハーカーラ(これは大乗の神ということになるのでしょうか?)の信仰というのは、いつ頃確立したのでしょうか?チョロックで数日間苦行を行う人のこともサンニャーシーと言うのですが、神格への信仰の姿勢が大半の女神祭祀のそれと異なる部分があるんです。

2012-12-12 03:12:48
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky 大乗仏教の中から大般若仏母とか阿弥陀如来や大日如来などの「原初仏=アディブッダ」が出てくきますが、西方の諸宗教の影響を指摘されてます。また、タントラが発達すると奥義の口伝の中で説明されているんですね。

2012-12-12 03:13:08
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky 国家や寺院組織が発達してからは太陽信仰/暦に基づいて村の祭祀を執り行う長老というのは地位が下がりましたが、もともとは地域共同体の長ですよね。

2012-12-12 03:14:35
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky 僕はこの問題が、初期仏教の上座部と大衆部の根本分裂に関わる問題だとおもってるんですよ。

2012-12-12 03:15:17
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou 大半の女神信仰で信徒はあくまで女神の子供でしかありません。チョロックの苦行者はシヴァの子供であると共にシヴァに摸して苦行します。火葬場で行うタントラ儀礼や女神祭祀でも同じです。女神信仰のそれは子供の姿勢と言われますが、チョロックはタントラ同様ヒーローの姿勢なんです。

2012-12-12 03:18:34
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou チベットの仏教タントラに、そういう苦行というか試練の中に喜びを見出すという信仰姿勢のモチーフがある、という話をMiranda Shawの本で読んだことがあるんですが。

2012-12-12 03:20:40
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky マハーカーラもね、ブッダガヤの近くの小山に洞窟があるでしょう。どうやらあそこが起源なんですよね。シヴァはとくに観音菩薩の成就法をやってると護法尊として祀ります。どちらも密教の形成過程とシンクロしてますね。

2012-12-12 03:20:59
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

面白い・・・東部インドの太陽信仰は、時期も形態も色々あるけど、なぜどれもこれもバラモンを始めとした高カースト・ヒンドゥーから忌諱されるか?そしてこの太陽信仰と「仏教」の関係はどんなものか?

2012-12-12 03:26:00
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky 苦行者をヒロイズム的にあつかう傾向はありますね。とくに西ベンガルで発達した『ヘーヴァジュラタントラ』のことを言ってると思います。八十四成就者の伝記の邦訳を読むと仏教側の雰囲気がつかめると思います。http://t.co/CCgReJC7

2012-12-12 03:26:02
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky 「チョロックで数日間苦行を行う人」っていうのは、やはり通過儀礼的な意味合いでしょうか。

2012-12-12 03:27:00
激戦区☆かわいこちゃん @shibufusky

@goyou なるほど、参考になります。この信仰姿勢のあり方、シャクタ派やヴィシュヌ派の神格に対する信仰にはほとんどないんですよ・・・。大体このモチーフを保持しているのは、「タントラ行者」と、低カーストの人々、非常に低位のバラモンなんです。

2012-12-12 03:29:25
佐藤剛裕 @goyou

@shibufusky サカ族は遊牧民族でしたから、その太陽信仰も広く伝播していたとおもいます。その範囲と、仏教の伝播範囲がほぼ同じなんじゃないのかな。

2012-12-12 03:29:47
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