西住殿の戦車講話#3 「八九式中戦車」

あひるさんチームの使用車両でもある八九式中戦車のお話です。 制式化された国産戦車第一号でしたが、問題点は少なくなく… 稼働状態で唯一国内に現存する旧軍戦車でもありますね。
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西住みほ @Miho_Nishizumi

八九式中戦車についてちょっとだけつぶやきます。ネットで調べればすぐ分かる程度のことしかつぶやかないので、あまり期待しないで下さいね。

2012-12-20 23:06:09
西住みほ @Miho_Nishizumi

八九式中戦車は、日本陸軍初の国産正式戦車です。第一次世界大戦で登場した新兵器『戦車』に、当然のことですが日本陸軍も興味を持ちました。

2012-12-20 23:06:50
西住みほ @Miho_Nishizumi

最初は10トン程度の軽戦車としてルノーFT17、10~20トンの中戦車としてマークAホイペットを装備した戦車隊が創設されました。

2012-12-20 23:10:08
西住みほ @Miho_Nishizumi

しかし、ルノーFT17にしてもマークAホイペットにしても、その当時すでに旧式化しつつあるもので、最新の戦車の輸入は開発国から拒まれていました。そこで、日本も自力で戦車を開発すべきとの声があがり、1927年に『試製一号戦車』が完成しました。

2012-12-20 23:13:27
西住みほ @Miho_Nishizumi

ところが、この試製一号は重量18トンと重いもので、10トン程度の軽戦車を望んでいた陸軍はさらに新型の戦車開発を進めることになります。

2012-12-20 23:17:04
西住みほ @Miho_Nishizumi

八九式中戦車の開発は1928年3月に始まりました。開発にあたっては英国のビッカースC中戦車を参考にしました。1928年8月に概略設計図が完成、陸軍造兵廠大阪工廠に発注され、翌年4月に試作車が完成しました。試作車は秘匿呼称で『イ号』と呼ばれました。

2012-12-20 23:19:40
西住みほ @Miho_Nishizumi

製造は三菱航空機(当時。後に三菱造船と合併して三菱重工となります)が担当。さらに日本製鋼と神戸製鋼、汽車製造株式会社、津上製作所、北辰電気、日本精工、キヤノン工学などが生産に関わるようになりました。まさにオールジャパン体制ですね。

2012-12-20 23:21:48
西住みほ @Miho_Nishizumi

あ、キヤノン光学ですね。訂正訂正。

2012-12-20 23:22:33
西住みほ @Miho_Nishizumi

1929年10月、東京青森間の660Kmの走行テストに成功。試作車の完成年皇紀2589年の下二桁を取って『八九式軽戦車』として正式化されました。 http://t.co/EtP6mA7B

2012-12-20 23:25:29
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西住みほ @Miho_Nishizumi

あれ? 八九式『中戦車』じゃないの? と思われたあなた。よく気づきましたね。そう。八九式は最初『軽戦車』として完成したんです。ところが、改修の結果重量が増加。11.8トンになったこの戦車を34年に『八九式中戦車』と呼ぶようになりました。

2012-12-20 23:27:41
西住みほ @Miho_Nishizumi

ちなみに、後の九七式中戦車チハのように、一応八九式にも秘匿名があります。甲型がチイ、乙型がチロです。でも、ほとんどの兵隊さんはそう呼ばなかったそうです。

2012-12-20 23:29:57
西住みほ @Miho_Nishizumi

八九式にはガソリンエンジン搭載の前期型である『甲型』と、ディーゼルエンジンを搭載した後期型『乙型』の二種類があります。他にも車体形状によっていくつかのバリエーションがありますが、大きく分けてこの二つだと思っていいと思います。

2012-12-20 23:32:16
西住みほ @Miho_Nishizumi

エンジンはガソリンエンジンがダイムラーベンツ開発の航空機用水冷直列6気筒100馬力、ダ式六型を搭載。東京瓦斯電気工業ではダ式一〇〇馬力発動機という名前で製造されました。

2012-12-20 23:34:43
西住みほ @Miho_Nishizumi

ディーゼルエンジンは三菱のA六一二〇VDというものを搭載しました。六一二〇とは6気筒120馬力を表す数字です。ガソリンエンジン型もディーゼルエンジン型も、10トン以上の車体に100馬力程度の非力さで、路上最高速度で25Km程度。自動車部の皆さんはどうやってこれでドリフトを……。

2012-12-20 23:36:55
西住みほ @Miho_Nishizumi

主砲は『九〇式五糎七」戦車砲。57mm戦車砲です。これは機関銃陣地などを撃つために作られたもので、対戦車能力はないに等しいといって構いません。砲塔は人力で旋回。旋回用ハンドルを回すことで砲塔がまわります。

2012-12-20 23:39:06
西住みほ @Miho_Nishizumi

副武装は6.5mm機銃を車体と砲塔後面に装備しています。これはどうやら参考にしたビッカースCを模倣したようですね。歩兵が来たときは砲塔を回して後面を向けて射撃するわけです。

2012-12-20 23:42:33
西住みほ @Miho_Nishizumi

装甲に使われていたのは日本製鋼が1924年に開発した『ニセコ鋼板』でした。これは表面浸炭処理をしたニッケルクローム鋼の防弾鋼板です。装甲は溶接ではなくリベットどめ。本当なら溶接の方がいいんです。なぜかというと、被弾したときにリベットが乗員を傷つけたりするので。

2012-12-20 23:44:42
西住みほ @Miho_Nishizumi

装甲は車体前面が17mm、車体側面上部と車体後面が15mm、車体側面下部が12mm+増加装甲3mm、車体下面が5mm、車体正面が10mm、砲塔周囲が17mm、砲塔上面が10mm……薄いですね。

2012-12-20 23:47:28
西住みほ @Miho_Nishizumi

この装甲厚の根拠になったのは、その頃日本陸軍が装備していた歩兵砲(37mm砲・対戦車砲ではありません)に撃たれても耐えられるように、ということでした。ですが実際には機関銃の徹甲弾に撃ち抜かれたり……。

2012-12-20 23:49:37
西住みほ @Miho_Nishizumi

駆動系は機動凜が車体後方にある後輪駆動式でした。八九式のあとは前輪駆動式になっています。履帯脱落防止用に誘導輪にも歯がついていました。サスペンションはリーフ式でした。

2012-12-20 23:51:41
西住みほ @Miho_Nishizumi

さて、簡単に八九式の紹介をしてきましたが、続いて八九式の戦歴について。初陣は満州事変でした。百武俊吉大尉の率いる臨時第一戦車隊に配備されました。

2012-12-20 23:53:48
西住みほ @Miho_Nishizumi

第一次上海事変では、重見伊三雄大尉が率いる独立戦車第2中隊に八九式5両が配備され、同隊に配備されていたルノーNC戦車との実戦における比較がされました。結果は八九式の勝ちという評価でした。

2012-12-20 23:56:21