「被災者のための科学研究活動のあり方を問う」@早大シンポ(2012.12.20)
寺島「そこでもあったが、まず住民が情報を知らされていなかった。新潟県知事が柏崎原発事故の後に、地震と津波と原発事故の複合災害の避難訓練をしようとしたが、原子力安全保安院から「寝た子を起こすな」と言われたと反対された一例もある。このようにほとんど知らされてない状態で311を迎えた。
2012-12-24 18:25:42寺島「事故後、古い原発関連の記事を読んだ。96年3月の福島原発25年とう連載に色んな言葉があるので紹介したい。「稲作依存の農業地帯で過疎化が進むばかりの街だったが、原発は期待に応えてくれた」「当時は近くに大きな工場ができると聞いた、原発と言われても何のことかわからなかった」など。
2012-12-24 18:27:27寺島「東北電力からの浪江・小高原発開発計画も、実現しなかったが、昭和43年1月に木村守江知事が年頭記者会見で建設内定を明らかになり、テレビを通して初めて知った地元住民には寝耳に水だった。原発誘致を決議していたが住民無視。「知らしむべからず」という歴史があった。
2012-12-24 18:27:59(cf.第2部「『立地』の迷路」 ④宙に浮く「第3」計画 :日本を創る - 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/tkUB0aPM
2012-12-24 18:28:08寺島「また、今年、河北新報が、「神話の果てに―東北から問う原子力―」と言う連載を行い、第5回に「原発のまち」というものを連載。(cf.河北新報/神話の果てに-東北から問う原子力 http://t.co/iChtuY6t
2012-12-24 18:28:16寺島「浜通りの漁業者の「今度来るときは、もう一つゼロを付けてこい」と言う話、これは福島の浜通りの漁業者が交渉の席で言った言葉。「東電から取り出せる補償は取れるだけ取りたい」とも。
2012-12-24 18:28:21寺島「また、「東電は分かっているだけで、これまで約200億円を福島県の漁業者に支払っている。」『「原発が動きだすと、補償の請求理由に事欠かなくなる。「ホッキ貝から放射性物質が見つかった」「核燃料を積んだ大型船が操業海域近くを通ることで迷惑している」』など。
2012-12-24 18:28:25寺島「この記事の最後には恐ろしいオチが。昨年4月に東電はFAX1枚を送り、汚染水の海洋放出を県漁連に通知。一方的だと抗議したが、原子炉等規制法によると、海洋放出に漁業者の了解は必要なかった。漁連側は「東電との交渉には何度も立ち合ってきたが、誰も等規制法などは知らなかった」と。
2012-12-24 18:29:08--
(cf.「福島の被災者は怒る,問う,求める」寺島英弥 日本原子力学会誌 = Journal of the Atomic Energy Society of Japan 53(10), 705, 2011-10-01
2012-12-24 18:29:54寺島「その原稿の中で、東電の副社長が4月に飯舘村に謝罪に来て型通りのことを言っていった時のことを書いた。 その晩、体育館に1000人が集まったが、何時間続くかわからないくらい多くの人が色んなことを言った。「どれだけ体内被曝しているかわからない」「測定器を持って来い」…
2012-12-24 18:30:12寺島「…「中国製の測定器で測ったら家の周囲が10〜15μSv/hだった」「過去のデータ改善の実績があるあなた達に脱原発を宣言して欲しい、でないと信用出来ない」「今日の説明会で終わりにしないで」「村の再建に若い幹部を参加させなさい」「今までマスコミを使って安全だと言ってきた。」など
2012-12-24 18:30:53寺島「マスコミが安全神話作りを担いできたという認識がある、まさに客観は存在していなかったのかなと。その中で「問題の深刻さに一番詳しい人が色んなことを指摘するべきではないか」とも。
2012-12-24 18:31:12寺島「(原稿の)結びに、当時、原子力学会が、色んな調査は受けるが我々の責任は不毛にしてくれと言う声明を出したことに対する柳田国男さんの批判(「調査される側の団体が調査機関に対し、調査方法について一定の枠組みを要請するのは前代未聞のこと。何を恐れているのか」)を紹介した。
2012-12-24 18:31:19(cf.東日本大震災 原子力学会/責任回避より英知の結集を(河北新報2011年08月16日) http://t.co/kqeAHdtY (魚拓)
2012-12-24 18:31:43(cf.プレスリリース 日本原子力学会「福島第一原子力発電所事故「事故調査・検討委員会」の調査における 個人の責任追及に偏らない調査を求める声明」(2011.7.7) http://t.co/WcE4L0De
2012-12-24 18:32:16寺島「また、十分な時間を割いて、住民に直に話を聴き、除染に参加して欲しいと書いた。原子力の専門家に私が現場で会うことなかなかなかったため。
2012-12-24 18:32:25--
寺島「取材を重ねる中で、南相馬市の農家の小野田さんという方に会った。10haの農地の3分の1は津波で水没してしまった。他地域に移るか見極める上で、試験田を自分でやろうと思ったと。全くの手探り、孤立無援の中で、農家自ら放射能の風評を払いたいと、こういう人が出てきた。
2012-12-24 18:32:49(cf.南相馬の小野田さん、コメづくり模索 山梨で試験作付け(2012年06月27日) http://t.co/FdrVNpdK
2012-12-24 18:32:56寺島「新地町のリンゴ農家で畠さんと言う50歳の方。(昨年)東京からの贈答用フジの注文がほぼゼロになり、20トン以上のリンゴをつぶした。土壌改良材で対策し、不検出だったが売れなかった。更に今年の2月に、10aあたり30~40本の木を全部、枝切りと高圧洗浄を合わせて除染を実施した。…
2012-12-24 18:33:44寺島「…移住も検討したが、親の代から育ててきた畑にもう一度懸けることにしたと。自分なりに研究したり、試験場に聞いて、試行錯誤しながら除染を実施した。「できる限りの努力を知ってほしい」「首都圏にも支援者があらわれた。選ばれるからには味をがんばりたい」と。
2012-12-24 18:35:02