橘川幸夫氏の「たったひとりのロッキング・オン」
1984-25●参加型メディア及び参加型社会というのは、官製ニューメディアみたいに、どこかの誰かが用意してくれたステージの上でカラオケをやることではない。
2012-12-30 22:30:551984-26●むしろ、ステージを作り出すことであり、既存のステージを奪取するエネルギーが、参加型システムの回路を血液のように走り回ることだ。
2012-12-30 22:31:071984-27●現在の参加型メディア(雑誌及びラジオ・テレビ)が、自己表現のカラオケ版になっているのは、それがなかった時代に比べれば格段の進歩であるにせよ、
2012-12-30 22:31:431984-28●このままの段階でとどまっていては、結局、システムそのものが、参加型という名前の舞台の上で固定化してしまうだろう。
2012-12-30 22:31:561984-29●次の時代へ向かうエネルギーと、その結果が新しいシステムへと昇華していく……その運動が、ぼくにとって「ロック」であり「ロッキングオン」であると、思っているんだ。
2012-12-30 22:32:101984-30●「最近、何を聴いていますか?」という質問が、今も昔も、ぼくは苦手だった。都会の「高感度人間」たちとの会話は疲れる。
2012-12-30 22:32:251984-31●ぼくはアンテナではないしスポークスマンでもない。ぼくは、ぼくたちがある日、見つけてしまった時限爆弾を、カチャコチャとセッティングし続けているだけなんだ。
2012-12-30 22:32:451984-32●ただし、どうやらこの爆弾は、爆発しても衝撃を受け取ることの出来る人間にしか衝撃を与えることが出来ない、というヤッカイなシロモノらしい。
2012-12-30 22:33:021984-33●高感度人間は見事に衝撃波をくぐり抜けていく。そうして、ある晴れた夜、あなたは「観客席」からも「ステージ」からもいなくなって、切符モギの席で、機械のように座っている。
2012-12-30 22:34:311984-35●ぼくは、社会の上で生きたいと思わない。ぼくは、時代の上で生きたい。社会に対しての責任をとるために、時代に対しての責任をうっちゃりたくない。
2012-12-30 22:35:011984-36●さようなら。ぼくは、あなたの「読者」であることから逃げ出すために消えてなくなった。でも、それは、後ろ向きではなく、真正面から出会いたいために逃げだしただけのハナシだったのだ。そして、もう一度、さようなら。
2012-12-30 22:35:21