丹生谷貴志ツイートまとめ(2013年1月)

丹生谷貴志氏の2013年1月分のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

フィリップ・アリエスが詳細に描き出したように、「少年・少女」は「近代」の「発明品」であり・・・たぶん、それ自体としては二十世紀の半ば過ぎに「消え去った」形象だろうと、思われる。「思われる」というのも馬鹿な言い方ですけど

2013-01-21 16:13:01
nibuya @cbfn

川端康成さんの世界は僕には根本的に(!)「嫌な感じ」のものです。しかしこの「嫌な感じ」は何か知れない本質的なものでもあって? しかし、三島さんが亡くなった後の川端さんの何か狂ったような奇行を思い出すと、それ自体が何か知れない「嫌な感じ」を帯び、それもまた何か知れぬ幽体のようで・・

2013-01-21 21:44:52
nibuya @cbfn

しかし川端さんは文芸批評などでは意外なほど硬派の理論武装(!)を持った人でもあった。「和文学の王道」よりも異例性に属する意外に掴み難いところのある人で・・・

2013-01-21 21:52:32
nibuya @cbfn

自分で言うのもなんですが僕は昔の記憶というのに何の実感も感じられないたちで、自分の生についてもそうですから、二十世紀も半分近く生きたはずなのにそれがどんな「時代」だったか訊ねられても何の感慨も要約も出来ないでしょう・・・と、川端さんの小説に出てくるバスの車掌、ああそんなのが居たと

2013-01-22 00:27:19
nibuya @cbfn

母方の祖父は自宅の布団で臨終した。叔母たちが囲みもうじき死ぬらしいと、まるで「昔の小説」のように町医者が言い、しばらくすると皆が名を呼んで泣き出し、ああ亡くなったと、僕は縁側でひなたぼっこをしていた、ような記憶があります。東京の下町でしたか、それでしかし僕は母親の顔も覚えていない

2013-01-22 00:32:43
nibuya @cbfn

十条劇場というどさ回り劇場のすぐ裏の家で、「便所」が外にあり、台所は文字通りの土間でその上に板。冬には毎朝炭をくべた。炭の炬燵でのべつ気絶して雑巾のようになる猫がいた記憶がある。あとは、僕は何故かいつも嘔吐する子供だったので、吐いてばかりいた記憶があります・・・架空でなければ

2013-01-22 00:38:37
nibuya @cbfn

東京の郊外、玉堂美術館のある渓谷の河原にいつもいた記憶もあります。夕日の早い、鉄砲水のよくある渓谷で、しかし奇麗な清水、泳いだ記憶がありますが、ここでも、何かまずいものを食べて吐いていた記憶がある・・・これまた、架空でなければ。

2013-01-22 00:42:57
nibuya @cbfn

とまあ、川端さんの『死体紹介人』という、陰惨と言えば陰惨な中編小説を読みながらとりとめなく・・・そう言えばこういう取り留めなさを外国小説で経験することはないのは、やはりこれが「日本の」小説だからでしょうか、或いは川端さんのものの特性なのでしょうか、考えるべきことかもしれません

2013-01-22 01:07:34
nibuya @cbfn

僕の持っている川端全集の第一巻には『狂った一頁』のシナリオが収められています。衣笠貞之助監督で映画化されたもの。「新感覚派映画連盟」名目で映画化された唯一のものではなかったでしょうか。そういえば、衣笠貞之助の孫娘か姪というのが高校の時だったかに知り合いでした。多摩美に進学したはず

2013-01-22 01:59:00
nibuya @cbfn

川端康成という小説家には「成長」とか「成熟」とかの気配がまったくない。これは不思議な感じです。誰もが言うだろう様に『十六歳の日記』と『たんぽぽ』の間にほとんど「成長」がない。ほとんど異様な・・・

2013-01-22 02:08:16
nibuya @cbfn

・・・ほとんど異様な・・・何でしょう・・・絶対的と言いたくなるような本質的反復性・・・「同じこと」の完全な「反復」・・・

2013-01-22 02:18:00
nibuya @cbfn

川端さんは安部公房『壁』の芥川賞を一番強く推薦した委員だった。だから何だということもないですが。

2013-01-22 02:54:56
nibuya @cbfn

ニーチェの『ニーチェ・コントラ・ワグナー』を媒介に川端さんとワグナーを結びつけたのは三島由紀夫でした。その連結が適切かどうかなどどうでもよく、僕は川端さんに限りませんが或る小説家をそれ自体としてどうこう「評価」することに微塵の興味もなくて、それをあらゆる「文」の海洋に置いてみます

2013-01-22 10:38:37
nibuya @cbfn

・・・どうでもいいことですが、川端論を書くというのならともかく、例えば『乙女の港』や『美しい旅』を、或いは『川のある下町の話』を「誰が」書いたのか、その「文責」は誰かといったことにさして興味がないのです。これは井伏さんの『黒い雨』でも同じことです。

2013-01-22 10:49:27
nibuya @cbfn

「合作」やら「ゴーストライター」ということ・・・まあ、例えば推理小説の量産型の作家になると、どうしてもならかなりは編集者、「事務所集団」の調査能力を大としますから、合作の色合いを帯びるでしょう。だから何だということもないのです。まあ、不正といったものがない限り(いやあっても?)

2013-01-22 10:54:10
nibuya @cbfn

・・・芸大助手の時或る「大推理小説家の助手」を名乗る数人が芸大の当時未だ整理されていなかったので公表しようもなかった資料を見せろと言われた記憶があり、断ると彼らは口々に「××先生が作品になさるのですよ」と迫ったその口調を思い出しますが、内幕情報小説を書くのも大変だと思っただけです

2013-01-22 11:10:55
nibuya @cbfn

川端さんはいわゆる「新聞小説」に大方失敗している。最初の『海の火祭』は崩壊し自著目録から削除されるし『東京の人』『女であること』などは未だ「ゴーストライター」の「嫌疑」が残り、幾つかの全集ではそれを載せていない。おそらく執筆スタイル、体力において新聞小説は不向きだった・・・

2013-01-23 00:40:42
nibuya @cbfn

では何故それを引き受けたのか。単純な想像。日本の近代小説において、とりわけ夏目漱石という「完全新聞小説家」の存在によって、「新聞小説を書く」ということが「小説家という’大衆教育的’な’売文業’」の「ステイタス」として存在し・・・じっさい、もっとも稿料の高い仕事でもあったから。

2013-01-23 00:45:21
nibuya @cbfn

・・・と、まあ、これではあんまりだろう。しかし、大岡昇平さんも自嘲的に書いているように「生計上、一度新聞小説の旨味を知ってしまうと、やめたいと思っても難しい」という事実はある。無論「文学的冒険」の可能性はあるだろうが、不思議な形式だ

2013-01-23 00:48:57
nibuya @cbfn

『浅草紅団』昔読んだはずだが忘れていた。素晴らしい。もう、構成の無能を逆手に・・・

2013-01-24 00:27:08
nibuya @cbfn

『浅草紅団』は悪く言えば川端さんの本質的な!だらしなさの全面化、投げやりになる代わりにでたらめに筆を滑らせる才気の「不幸」の痕跡なのかもしれない・・・稲垣足穂すら?警戒させた川端さんの一面?

2013-01-24 01:50:35
nibuya @cbfn

世界をまともなかたちで維持する能力をまったく持っていないという奇癖?にこそ川端さんの本質があると僕は思って来ました。『雪国』のような小説ですらそうで、子供の頃何故かそれを二十回ほど読んで、世界が完全に砕けてしまったのに世界の格好をしているという異形をそこに確認した気がしたのでした

2013-01-24 02:01:28
nibuya @cbfn

ですから『千羽鶴』や『山の音』その他といった一見整った「日本的な」小説ですら僕には、出来上がったガラス絵が文字通り粉砕の粉になって砕けたままかろうじて空中に止まっているもののように感じられるので・・・

2013-01-24 02:17:37
nibuya @cbfn

唐突ですが筑摩書房の古い「現代日本文学」の30の安部公房・島尾敏雄集は僕にはそれぞれの作家の充実した形成期のコンパクトな選集である以前に「一人の誰か知れない小説家」の一作のように、僥倖のように独立した小説に見えます。お二人の全集を別に持っているのにこの一冊は別ものなのです

2013-01-24 02:27:43
nibuya @cbfn

専門家には今更でしょうが、ずいぶん前に記憶で書いた実朝の歌は正確には次の様らしい。「大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも」。『金槐集』の三分の一が殆ど本歌の写しに近いという話・・・ま、今更の確認。川端さんの『東海道』からの受け売り

2013-01-24 13:09:41
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