@mahiro_aihara @Aura911 「あるべき」ではなく「あってほしい」という言葉を使うと納得できるところが大きいです。作者ではなくレビューの読み手の側からの目線でしょうか。レビューは、作品とプレイヤーのため、のものなのかなと少し。
2013-01-04 23:43:41@gumB46 回線速度の変化は大きいと思います。「ダウンロードして無料で遊べるゲームだ!」→「光で常時接続だから、動画やゲーム遊び放題、しかも基本無料!」って感じで。で散らばった人たちが、それぞれのんびりまったりやってるわけですね。たぶん。
2013-01-04 23:46:00@mahiro_aihara なるほど、そういうことですか。ノベルゲが割を食っているのも事実かも知れませんが、その事情そのものはどうしようもないことですね。僕としては、文章読むのが好きな人はそうでない人よりノベルゲを読むことが多いくらいの気持ちが持てれば、十分だと思ってしまいます
2013-01-05 00:09:38レビューはこうあるべき、あってほしいでもいいけど…そういう話の答えは、はっきりした意見でなくぼんやりしたものかもしれないが、すでに僕の中に、あるんだろうな。
2013-01-05 00:25:25こういうレビューが多いからこういうレビューを書くべき・書いたほうがいい、という考え方も、そのレビューが「空気」に影響されて選択した形式であるならば、有効だろう
2013-01-05 00:29:04書き手と読み手のコミュニケーションが容易になった、距離が近くなった、てのは重要だよな。作品作者と読者、レビュアーとその読者どちらにおいても
2013-01-05 00:31:55@gumB46 「知ってもらいたいから感想を書くんだ!」という人もいるでしょうけど、(ほかの人とは違う意見や切り口など)独自性を求めたり自己顕示の方法として模索した結果としてのスタイルで、なんて形で研鑽していると考えるとゲームを作るのとそれほど変わらないような気がしてきます。。。
2013-01-05 00:50:14@gumB46 これはAuraが他の人よりも顕示欲が強いためにそう感じるのかもしれませんが、すべての発言は自意識(自我)から出ていて、キャラ作りの一環として演出下にあるように感じています。人間不信とかいうのとは逆で、そういう所にこそ目の前の人間が「生きている」手触りを感じますねー
2013-01-05 00:54:11@gumB46 ゲーム作ったりする人と『レビュワー』の一番の違いは、一人称が架空の人格であるか、実在の人物か。というところにあるような気がします。通常、物語の主人公と書き手は(投影はするでしょうけど)同一であるとは見なされませんが、レビュワーは自分の意見として書きますからねー
2013-01-05 00:57:44@Aura911 自分のスタイルを模索するという面でゲームと変わらないというのは、僕も同感です。読む側としても、読んでいて面白いものとあまり面白くないものがあります。そういう意味ではちょっと辛口だったり、小難しかったりするのが面白いと思うこともありますね。
2013-01-05 00:59:39@gumB46 そのあたり『レビュワーも我らと同じく創作者である』と思いますし、レビューの形式に好悪の個人的な感情を言うことはあっても、正誤を述べるのは錯誤かなあと思います。ただ、レビュワーは創作の隠れ蓑を持たず丸裸で「自分の意見」を書かないといけないので、少し分が悪いかも。。。
2013-01-05 01:01:06@Aura911 作者とレビュアーの立場の違いは、難しい話ですね。たしかに形式的な面に正誤はないと思います。うまく意見がまとまらないです。
2013-01-05 01:23:31@gumB46 創作の世界ですと、どれだけひどいことを登場人物に言わせても「そういうキャラ設定ですので」の一言でとりあえず「自分の意見ではない」という逃げは打てますからね。。。Auraの見解としては「賛同されないレビュー形式は結果的に淘汰されるかもしれない」って程度です。。。
2013-01-05 01:33:03@Aura911 創作がどの程度有効な隠れ蓑であるかはちょっと疑問に思ってます。キャラの設定レベルではそうかもしれませんが、いわゆる「作者の主張」レベルで批判されることはありそうに思えます。作者の主義、思想、そういうものを読み解いて批判するのはレビューとしてアリではないでしょうか
2013-01-05 01:39:12@gumB46 レビュワーと製作者が互恵関係にあろうが共同歩調にあろうが「作らないけどレビューを読む」人が全くいなくなろうが、製作者とレビュワーだけで成り立つのであれば残るのかなあ。。。そのうち「ああいうのダサいし恥ずかしいよね」みたいなミームが広がって覆るかもですねー
2013-01-05 01:39:32@gumB46 そうですね!バレバレなのは字の文なんかにありますね。。。難しいのは、戦争を題材にした映画から『反戦のメッセージ』を受け取ってしまった評論家による評論と、監督による「反戦の意図を持って制作していない」という声明なんか。前者は下衆の勘繰りっぽい気がしちゃうという。。。
2013-01-05 01:51:28@Aura911 真偽はどうあれ「そのような主張が込められている(だろう)」という批判は有効だと僕は思います。作品内容は作者の意図とは切り離されるべきという考え方もありますが、一理あるかもしれないですが、絶対の読み方ではなく、どっちで読んでもその行為に正誤はないと思います
2013-01-05 02:05:55@Aura911 ただ、人格攻撃、みたいな話になると作品を読むという話では済まないだろうな、とは思います。触れなかったですが、Auraさんは作者とレビュアーの立場に関して、人格攻撃され得るかどうかを言われてたのかなと推察します、僕はこれに関して今まとまった意見を持ってないです…
2013-01-05 02:10:57@gumB46 この解釈に正解はないと思いますので、解釈の問題にについては著作者であろうが読み手であろうが一発言者でしかないと思います。どんな解釈だって正解だと思いますし、どんな解釈があってもいいと思います。「この作者はペドフェリアであろう」でもいいと思います。
2013-01-05 02:15:17@gumB46 たとえばAuraの次のお話には「障害者なんて絶滅しろ」という人物が登場しますが、そのことについて「Auraは障害者を絶滅させたがっている」ととらえる人は多くないと思います。正しくは投影されているのかもしれませんが。。。
2013-01-05 02:20:59