アートシーン(2013年上半期)

2013年1月から6月までの、展覧会その他美術に関するツイストを集約。
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sjo k. @sjo_k

印象的だった作家全員が、「人」を撮っている。もっと言えば、それぞれの作家が、他の作家には絶対に撮れないように撮っている(だからこその「印象的」、でもあるのだろう)。「人」に向き合えば、その写真には、撮られた人だけでなく、撮った人も写る、写ってしまうのだろう、と思った。

2013-03-11 23:15:29
sjo k. @sjo_k

ひときわ衝撃的だった星の写真。だがそれは、写真の衝撃ではなく、写された世界の衝撃なのではないか。いやしかし、そのような世界に接近し、潜ることができるからこその写真なのだから、そんな切り分けにそもそも意味はないのか。だがやはり強度の世界がなければ…と、堂々巡りに落ち込む。

2013-03-11 23:15:42
sjo k. @sjo_k

すごくくだらないことに引っかかっているだけのような気もするので、このことについては、今はこれ以上考えないことにする。ところでもう一つ思ったのは、(自分の知らない)激しい世界が与える陶酔感と、それによってそういう世界を過大評価してしまうということがあるのではないか、ということ。

2013-03-11 23:15:55
sjo k. @sjo_k

ここで「過大評価」というのは、言うなれば、そのような私の知らない激しい世界こそが世界の「ほんとうの」部分であって、その他の世界は表層、皮相なのだ、と考えてしまう、ということである。私の世界だけが世界のすべてではないように、やはり、その激しい世界だけが世界のすべてでもない。

2013-03-11 23:16:30
sjo k. @sjo_k

この、ある種の「平衡感覚」は、作品を通して激しい世界を見せつけられた鑑賞者の側が保つべきものでもあろうし、激しい世界に接近し、潜っていく作家の側が保つべきものでもある、という気がした。過度の陶酔と没入は、おそらく何かを失わせる。(念のため言うと、これは星の写真への感想ではない)

2013-03-11 23:16:52
sjo k. @sjo_k

さらに、GALLERY SHU HA RIの中山学写真展とthird district galleryの「阿部真士 unpublished」へも。中山展はex.resistと似て電車内・駅構内ポートレート。入口すぐの、豪華な花束を抱えた「ママ」風の女性の〈影〉に引き付けられた。

2013-03-11 23:17:09
sjo k. @sjo_k

阿部展は、星と同じく「激しい世界」を写した展示。これも大変な衝撃を受け…てもおかしくない写真ばかりだった、と思うのだが、時悪く在廊の作家に客人(おそらく同じようなスタンスの作家)があり、二人の会話が脳内を埋めてしまったため、意識がほとんど作品に到達せず。またの機会を待ちたい。

2013-03-11 23:17:18
sjo k. @sjo_k

上野の森美術館のVOCA展2013へ。生活感のある部屋の光景を柔らかく脱日常化する大矢加奈子のオレンジの光に惹かれた。その他、3月11日の津波を想起させる巨大な黙示録を打ち立てた吉田晋之介、森の雪景色という凡庸なモチーフを瑞々しく鮮烈な筆捌きで「絵」にした北条貴子にも足を止める。

2013-03-31 10:34:07
sjo k. @sjo_k

国立新美術館のアーティストファイル2013へも。子供が書いた絵を再現して写真に収めるヂョン・ヨンドゥの「ワンダーランド」シリーズが見事。子供の空想を、多くの大人が頭に取り付けてしまうある種の「リミッター」を外して、真剣に現前させると、こんなにも豊かなイメージが生まれるのか、と。

2013-03-31 10:57:57
sjo k. @sjo_k

〈亡き夫との新婚旅行の想い出に浸る病床の祖母〉を、シンプルしかし巨大なビデオ・インスタレーションで美しく現す、ダレン・アーモンド「あなたがいれば…」もまた見事。國安孝昌の怪物のような木材の構造や、志賀理江子の「これは、ものすごい……一体何だ!?」という写真群も印象的だった。

2013-03-31 10:58:05
sjo k. @sjo_k

岡本太郎美術館の岡本太郎現代芸術賞展へ。「3.11」の瓦礫を暗示する新聞紙片が撒き散らされた空間に、新聞の見出しをコラージュして被災地を描いた絵を置く、伊奈章之の展示が印象的だった。ただし、意味伝達性の極めて強い言葉(文字)を絵画に導入してしまうことの「危うさ」も同時に思う。

2013-04-07 21:42:56
sjo k. @sjo_k

川村記念美術館の「BLACKS」へ。〈漆黒の絵画〉が結集した(5枚の油彩と10枚の版画)、アド・ラインハートの展示が素晴らしかった。これまで、川村が持っていて、だいたい常設に出している1枚では「ふーん」くらいだったのだが、それぞれの表情を持った複数の作品が集まると、とにかく見事。

2013-04-14 20:56:53
sjo k. @sjo_k

ラインハートの黒は、見る者を吸い込み、あるいは呑み込もうとする「無の黒」。その黒が全面に均質に塗られた作品も良いのだが、やはり凄いのは、凝視してようやくわかるほどの色味の差で、画面を格子状に塗り分けた作品(とりわけ「抽象絵画 No.34」)。極小の差異が、劇的な効果を生む。

2013-04-14 20:57:13
sjo k. @sjo_k

そして、川村に行く理由はやっぱりロスコルーム。7年来通い続けているが、今日は、今までにない体験を得る。今日は長いこと「身体も思考も邪魔だ」という思いに捉われ、どう観るか苦闘していたのだが、室内で要らぬことをペチャクチャ喋る集団に苛立った次の瞬間、突然その体験が襲ってきた。

2013-04-14 20:57:31
sjo k. @sjo_k

今思い返してみても、言葉にするのがなかなか難しいのだが、感覚器を介さずに、意識が絵画の光を直接捉えにいくような感じ。もう少し噛み砕くと、絵を「見ている」のではなく、「受け取っている」というか。色や形象が動き始め、「飛び」そうになり、軽い恐怖から思わず座っていたソファを掴んだ。

2013-04-14 20:57:44
sjo k. @sjo_k

もしかするとこれは宗教的な神秘体験や薬物使用によって得られる種類の感覚の入口なのかもしれないな、と思った。ただ、「快」や「楽」の感情がまったく伴なわなかった(それどころか、強い疲労感と吐き気にすら襲われた)ので、これで「人間やめる」ことにはならなそうなのが幸いである(笑

2013-04-14 20:58:49
sjo k. @sjo_k

葉山芸術祭の竹内弘真写真展「みちひき 〜肖像三浦〜」へ。作家が三浦半島の海岸線を歩き、出会った人々を2年半にわたって撮り続けた一連の写真群。「いい顔尽くし」の好展示だった。竹内の写真は、いつ観てもとにかく清々しく、気持ちがいい。だから、いつもつい観に行ってしまう。

2013-05-03 20:58:36
sjo k. @sjo_k

築36年の物件を全面リノベーションしたという会場(「売り物」で、2550万円也)も、展示に負けず劣らず良かった。家から片道2時間の道のりが遠くて飽きてバスの中でぶーぶー文句を垂れていた息子が、この家に入った途端にいきいきとして遊び回った。あぶく銭が入ったら、別荘として買いたい(笑

2013-05-03 21:01:30
sjo k. @sjo_k

メゾンエルメスのパラモデル展へ。「プラレールあるよ」って言って息子を引っ張ってきたのに、プの字もなくて焦った(笑 しかし、透明塩ビパイプを組み上げた作品がなんだか気になった(より正確に言うと、その作品にボールや水を流してみたくてしょうがなくなった)らしく、連れてきた甲斐はあった。

2013-05-05 17:36:04
sjo k. @sjo_k

あんまり「ぼーるどこ?」「みずながそうか?」としつこいので、「じゃあうちで作ろう。これなら自分でも作れるから」と諭す。そして、汎用品を使ったこの作品は(抽象画なんかによく投げられる「これなら自分にも描ける」とは違い)、言葉の正しい意味で「自分にも作れる」んだよなあ、とハッとする。

2013-05-05 17:36:11
sjo k. @sjo_k

私の理解するところ、パラモデルは、すぐれた汎用品が持つ究められた機能性に起因する造形美(=「用の美」)を巧く増幅し、展示空間を圧倒・支配することをもって作品とする作家であり、したがってもちろん、「これなら自分にも作れる」から意味がない、価値がない、ということにはならないのである。

2013-05-05 17:36:20
sjo k. @sjo_k

ただ、その観点で言うと、先に東京ステーションギャラリーで観たプラレールの作品に比べて、今回の作品はどれも「素材の用の美」「増幅力」「圧倒感」「支配感」のいずれも足りない、という印象を受けたのは事実。くわえて言えば、メゾンエルメスというハコが、色々な意味で「難しい」のかもしれない。

2013-05-05 17:47:07
sjo k. @sjo_k

21_21 DESIGN SIGHTの「デザインあ展」へ。いつもの「うた」4曲を、サラウンドスピーカー、4面の壁に投影される映像、中央のテーブルに散りばめられた小物類(曲に合わせて照明が当たる)という装置で見事に増幅再生してみせる部屋が素晴らしかった。これは「感動」と言っていい。

2013-05-13 21:22:54
sjo k. @sjo_k

愛知県美術館のプーシキン美術館展へ。もともと自分の趣味に合わないだろうことは想定内だったのだが、そのことを措いたとしても、なんというか「中途半端」な印象だった(それはおそらく商業的にも)。これは直感だが、プーシキンの「美味しくないところ」ばかり食べさせられているのではないか。

2013-05-19 21:02:29
sjo k. @sjo_k

一方で、常設展の内容はかなり良かった(してみれば、旅先の美術館で心動かされるのは、結局常設展のことが多い)。とりわけ、最後の二室のモーリス・ルイス、サム・フランシス、フランク・ステラ、松本陽子、岸本吉弘、小池隆英は、どれもが超良質で、企画展の残念感を吹き飛ばして余りある充実ぶり。

2013-05-19 21:06:23