渡邊芳之先生@ynabe39の「私はたいていの場合「誰かが言ったことをダシにしてもっと一般的なことがらをdisっている」のだが,それがその誰かから「自分のことを悪く言っている」ととられるのはしかたがないし,「あなたのことはダシにしているだけなんです」と言ったらもっと怒らせてしまうだろう。 」
「強制」という要素を一切含まない教育なんてあり得ないからこそ「何の目的で何を根拠に何をどこまで強制できるのか」を考えないといけないのにその議論は忌避されている。
2013-01-09 07:28:10まさに「教育を受ける」というのも「権利と成果の交換」で「契約」ですよね。 RT @Terry_set_traps: 保険の約款みたいです(笑) RT @ynabe39: 教師が自発性とか内発的動機づけとかが好きなのは「それによって強制が隠蔽されるから」だよね。
2013-01-09 07:47:38「その程度で強制と言ってたら教育など成り立たない」というのはまさにそういうことで、強制ではないとは言えないが「その程度の強制は教育に必要だから問題にしなくてよい」という意味だ。では「どの程度の強制なら問題でないのか」「それをどうして議論しないのか」が私の論点。
2013-01-09 08:33:03いっぽうで「ここまでは強制していい」という「程度」が明確に合意されることは、もっと強制したい側にとっても強制したくない側にとっても都合がよくなく、曖昧にしておきたいという点で利益が一致しているのかもしれない。
2013-01-09 08:37:17学校は「死者が出るべきではない環境」ではあるが「死者が出るはずのない環境」ではないよね。じっさい昔から学校ではたくさん子供が死んでいる。
2013-01-09 08:42:23「教育について社会が議論すべき問題」は「何をどう教えるか」みたいな技術的なことでなく「学校や先生に何をどこまで任せるか」なんだと思う。
2013-01-09 09:21:14橋下さんは組織経営者として体罰による自殺の発生を「組織にとって大失態」だと言ってるわけだよね。最近の大学の自殺防止対策なんかもまさに「組織防衛」が目的なんで感覚は共通していると思う。
2013-01-09 09:37:08教育に余計なことをいうのは右の人も左の人も同じだが、それぞれ自分のいうことは余計でなく向こう側のいうことは余計だと思っている。いわく「教育を愛国心強制の場にするな」いわく「教育にイデオロギーを持ち込むな」。
2013-01-09 13:47:44「正論」なんだけど,それが成立するためには「自立した強い個人」が必要で,そういうことが求められること自体が「平均以上の知能があって平均以上の社会資本を持っている人にだけ有利な社会」につながってしまうという。
2013-01-10 13:54:10そういうことですね。 RT @ABZ_17: ストレスに晒された俺が言うんだから間違いない、以上のものはご用意しておりません。 RT: @ynabe39: そもそも「ストレスに晒すとストレス耐性が向上する」っていう証拠あんの?
2013-01-10 16:46:54