鹿野司さんとの対話:「水伝」道徳授業について
水伝は寓話ではなく道徳の素材に極めて不適であるというのは、もう、 http://bit.ly/cYYVlo で充分なんぢゃないかなぁ。 [世界人類が平和ボケでありますように]
2010-08-23 02:52:51十分だと思うんですけどねえ。アレコレ読んでも納得できてないらしいです。RT @nean: 水伝は寓話ではなく道徳の素材に極めて不適であるというのは、もう、 http://bit.ly/cYYVlo で充分なんぢゃないかなぁ。 [世界人類が平和ボケでありますように]
2010-08-23 03:01:15しかしまあ、〈「水伝」は科学的に間違った話であるだけでなく、道徳教材としても不適切だ〉というだけの話が、どうしてこう伝わらないのだろうか。科学と道徳って、2つあるから? ついでに言うと国語教材としてもふさわしくないと思うけど、それを誰も言っていないのは国語に使われていないからだ。
2010-08-23 03:05:14@kamezonia 納得できないんでなくて、どうでも良い事を苛烈に否定しようとするから、意地悪してるんですよ。それは仲間内で、そうだよねそうだよねって言って安心しているのと同じだから。懐疑論としては正しいと思うよ。
2010-08-23 03:06:213つの文がつながりません。RT @sikano_tu: @kamezonia 納得できないんでなくて、どうでも良い事を苛烈に否定しようとするから、意地悪してるんですよ。それは仲間内で、そうだよねそうだよねって言って安心しているのと同じだから。懐疑論としては正しいと思うよ。
2010-08-23 03:13:17「意地悪してる」と「懐疑論としては正しい」は理解できます。なぜ「どうでもよい」のか、どこら辺が「仲間内で、そうだよねそうだよねって言って安心しているのと同じ」なのかがわからず、なぜそれが「懐疑論としては正しい」ことの理由になるのかがわかりません。@sikano_tu
2010-08-23 03:16:53失礼、なぜどうでもいいのか、は先ほどのツイートでおっしゃった「道徳教育自体が無意味」みたいなことですね。そこは理解しました。@sikano_tu
2010-08-23 03:18:52一般論として、自分の土俵にからんで、自分がどうでもいいと思っていることをさも重大そうに騒がれていると、とてもうるさく思うだろうなあ、とは思う。しかし、それは懐疑論ではない。懐疑論敵スタンスとして、疑問をひとつずつ提示してつぶさせる、という方法はおかしくないとは思う。
2010-08-23 03:25:24@kamezonia 水伝批判する人はグループを作って、自分たちの正義を補強する論理をきたえてるよね。それが、そうだよねそうだよねってことです。 でも、現実社会の問題として、そんなの小さな話と思うひとは多い。だから、その仲間内論理を批判するのは、懐疑論的に正しいのね。
2010-08-23 03:28:24よくわからないのですが、小集団で共有されている論理があったら、まずそれは疑うのが懐疑論としては正しい、ということですか?@sikano_tu
2010-08-23 03:30:59懐疑的に考えるプロセスとしてはおかしくない、ぐらいの意味だろうと推測しています。RT @kuri_kurita: 「懐疑論的に正しい」って… なんだそれ。
2010-08-23 03:32:54連続でごめんなさい。社会的には卑小な問題だと思われている、ということも重要なポイントですか? @sikano_tu
2010-08-23 03:34:13「社会的には卑小な問題だと思われていることを、特定の小集団がことさらに問題視しているように見えたら、それは眉に唾をつけてみていいだろう」ということなら、理解できるような気がする。その場合、実際問題としては「特定の小集団が問題視しているだけかどうか」かしら。
2010-08-23 03:36:50@kamezonia 「まず懐疑的に考えて、批判すべきものは(たとえ仲間のものでも)批判する」というならわかります。 (実際、私の知る懐疑論者たちはそうしてるし) だけど、「その仲間内論理を批判するのは、懐疑論的に正しい」って言い方には違和感バリバリです。
2010-08-23 03:36:55@kamezonia 懐疑論というのは、論理とかの健全性を保つためにやる事なのね。小集団だろうが大集団だろうが、自らに不断の懐疑の目で見てないといけない。だから別集団からの懐疑の目を、トンでもと決めつけるひとは、懐疑論者ではなく別の目的が主なんだろうと思うのね。
2010-08-23 03:37:38@kuri_kurita 懐疑論としては、さっきのぼくのまとめなおしはどうですか? なんか懐疑論というよりは世間知のような気がしますけど。>「社会的には卑小な問題だと思われていることを、特定の小集団がことさらに問題視しているように見えたら、それは眉に唾をつけてみていいだろう」
2010-08-23 03:42:06@kamezonia オレは多様性を重視するので、苛烈に水伝を批判する人がいて良いと思うというか、少数は必要だとも思う。でも、水伝批判集団の中では、論理的にやり過ぎてるへりくつも多くて、現実の人間のいい加減さから乖離してるところがあると思う。そんなムキにならんでもって思うのね。
2010-08-23 03:45:56@kamezonia まったくその通りだと思います。 懐疑論なんて言葉を使うまでもないというか、懐疑論とはまた違うレベルの話でしょう。 「眉に唾をつけて懐疑的に考える」のであって、眉に唾をつけることを懐疑論とは呼ばないですよね。
2010-08-23 03:46:43スタージョンの法則を適用すれば、9割はダメな批判者・批判論なのだろうと思います。また、水伝批判が、個別の同調者が一定数いるだけであっても批判集団と化しているように見えるということもわかります。それをどう避ければいいかは、答えが見つかっていませんが。それで? @sikano_tu
2010-08-23 03:51:26@kamezonia たとえば、物に善悪決めてもらうのは哲学的におかしいというのは、オレも最初読んだ時はなるほどなあって思った。でも、これってへりくつなんだよ。人間なんて、いつもそんなに論理的でないから、人間の強靱ないい加減さの前には、この話は、はあそうですかって事でしかない。
2010-08-23 03:52:40批判者の間でも相互批判はありますが、それは傍からはわかりにくいのもわかります。問題視どころか知っている人の絶対数も少ないし。「ささいなこと」「へりくつ」という話だけでしたら懐疑論でもなんでもないですよ。@sikano_tu @sikano_tu
2010-08-23 03:55:54