シャムロックの軍用機講座#2 「紫電」

エメリア共和国空軍第8航空団のマーカス・ランパート中尉による航空機のお話であります。 今回は帝国海軍局地戦闘機紫電を取り上げています。 水上機から陸上機に転身した特異な機体です。 帝国海軍を代表する機体の一つでもありますね。
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マーカス・ランパート @Marcus_AC6

指揮を取れって… あぁ、行ってしまった。仕方ないな。やぁみんな、こんばんわ。

2013-01-21 22:02:25
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

さて、昨日は秋山君がせっかく僕の軍用機に関する話をまとめてくれたし、今日も行ってみよう。と言っても、中の人が前に話したものとあまり変わらないが…

2013-01-21 22:04:06
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

今回は日本海軍の局地戦闘機「紫電」について話してみよう。あえて人気のある紫電改ではなく、紫電だ。理由は…何だろうね、誰か説明できるかな(笑

2013-01-21 22:07:13
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

@666_07_2 やぁ、こんばんわ。君は…中の人がお世話になっているようだね。

2013-01-21 22:07:52
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

@Cossack_ghost4 ありがとう。僕の解説も色々と危ういとは思うが…

2013-01-21 22:08:35
カティア(規制) @666_07_2

@Marcus_AC6 私の中の人もいつも応援してますよ!

2013-01-21 22:10:42
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

さて、紫電だ。この戦闘機は知っての通り、元は水上戦闘機の「強風」なんだ。「強風」は水上戦闘機であるにも関わらず、通常の戦闘機と互角に戦える高性能を目指した野心的な設計だった。

2013-01-21 22:10:55
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

しかしそれゆえ、「強風」は開発に時間がかかり過ぎた。それに、いくら高性能を目指しても重いフロートを抱えて飛ぶ水上戦闘機には限界があった。初飛行を終えて実戦配備がされる頃には、「強風」に活躍の場は残されていなかったんだ。

2013-01-21 22:13:48
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

だが、「強風」の設計そのものは無駄にならなかった。機体自体の設計は優秀であることを認められたため、陸上戦闘機化する計画が進められた。これが「紫電」だ。

2013-01-21 22:17:28
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

とは言え、水上戦闘機を通常の戦闘機にするにはただフロートを外して脚を装備すればいいものではない。開発を担当した川西航空機は各種改良と設計変更を行い、結果として胴体に関しては紫電は「強風」と共通するのはコクピット周りだけになった。

2013-01-21 22:20:03
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

エンジンも、「強風」の搭載していた火星エンジン(1460馬力)から誉エンジン(1990馬力)に換装されている。もっともこの誉エンジンはよく知られているように、故障が多発する難物だったんだが…

2013-01-21 22:23:10
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

主翼に関しては、フロートを外して脚を装備したことを除けばほぼそのまま流用された。ただ、よく言われるように紫電はこの脚でトラブルに見舞われることになる。

2013-01-21 22:25:39
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

紫電は「強風」から主翼の位置を変更しなかったため、中翼機と言って胴体の中央に翼が位置していたんだが、このために脚が他の日本機に比べて異様に長くなってしまった。しかもその脚が二段で折り畳まれるという複雑な構造をしていた。

2013-01-21 22:28:03
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

川西航空機は二式飛行艇のように水上機では傑出した技術を持っていたが、陸上機となると経験の浅さからこうなったんじゃないかな。

2013-01-21 22:29:52
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

結局、この脚が紫電の不運を招いた。複雑な構造が災いして、離陸後に脚が閉じない、着陸前に脚が開かない、開いても不完全という事態が多発したんだ。着陸時に脚の不良から機体がひっくり返ってしまい、コクピットが押し潰されてパイロットが死亡するという事故すら起きている。

2013-01-21 22:32:50
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

ある佐官のパイロットなどは、紫電で飛んでその際脚が出ず、地上からあらゆる支援を行っても上手く行かず、結局不時着したことからその日のうちに紫電の部隊の隊長をやめてしまうほどだった。

2013-01-21 22:35:28
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

この佐官の行動は身勝手に見えるかもしれない。けど、自分の命を預けるはずの愛機が脚もまともに出ない機体だと分かったなら、こういう行動に出てしまうのも理由としてはあるんじゃないかと僕は思う。軍人として誉められた行為ではないけどね。

2013-01-21 22:37:47
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

さて、そんな調子でトラブルに見舞われ、パイロットからも歓迎されなかった紫電だが、それでも総生産数はなんと1000機を超えている。

2013-01-21 22:40:05
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

これは、紫電が制式採用された時期に要因がある。当時の日本海軍の主力機である零戦は、すでに米軍が繰り出すF6FやP-38の前に苦戦を強いられていてた。

2013-01-21 22:44:01
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

後継機であるはずの「烈風」は開発が遅れていたし、他にある戦闘機は紫電の他は局地戦闘機の雷電のみ。雷電は爆撃機を落とす迎撃機だったから、敵戦闘機との空戦は不利だと思われていた。

2013-01-21 22:44:07
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

そんな時、トラブルを抱えているとは言っても零戦よりははるかに高速で、雷電よりは運動性も高い紫電はなし崩し的に零戦の後継機として選ばれたんだ。

2013-01-21 22:45:48
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

そして日本海軍は紫電による部隊編成を急ぐが、肝心の紫電の生産は遅れ、中には仕方なく零戦で出撃した部隊もあった。実戦投入は、昭和19年の半ばから後半の時期だった。台湾やフィリピンだ。

2013-01-21 22:48:27
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

実戦投入された紫電だったが、残念ながら米軍に対してあまり有効とは言い難かったようだ。相変わらず脚やエンジンにトラブルは起きるし、それに対して米軍は質量ともに上回った状態だった。

2013-01-21 22:51:14
マーカス・ランパート @Marcus_AC6

もちろん、まったく役に立たなかった訳ではない。パイロットの中には「紫電ならF6Fとも戦える」と評価し、実際にP-38やF6Fを紫電で撃墜したパイロットも存在した。台湾での戦闘では、敵機20機と交戦して4機撃墜、損害無しという事例すらあった。

2013-01-21 22:53:41