アメリカインクルーシブ教育視察
ちなみに、「教科の本質」を重要視するのであれば、生活スキルはどうするの?と聞いてみたところ、「それは本来家で教えるもの」と言い切っていた。「学校は生活スキルを教える場所ではない。もちろん家庭をサポートはするけれど」と。#inclusion視察
2013-01-23 11:34:47「それに生活スキルは時代によって本当に変わる。小学校の時黒電話で電話の仕方を学んだ子が、高校になったらそれがまったく無駄になって、iPhoneになっていたりする。それは時間のロスだ」って。これも新しく得られた視点。#inclusion視察
2013-01-23 11:35:58場のフル・インクルージョンに対しては非常に批判的で、何の配慮もないフル・インクルージョンを行うことは「罪だ」と言い切っていた。#inclusion視察
2013-01-23 11:41:16「教科の本質」を学ぶことがどうやって将来につながるの?って聞いてみたところ、それは「哲学的な問題よ」、と言われた。通常教育と特別教育両者が教科の本質は何かきちんと話して、その上で高い期待値を全てのお子さんに持つこと。そしてそれが価値のある活動と信じること。#inclusion視察
2013-01-23 11:46:40「だって私たちはこの子たちにとって一番良い教育がなにか、推定することしかできないじゃない」と言い切っていた。#inclusion視察
2013-01-23 11:47:13政策決定までコミットしているレベルの教授が自分に「わかること」と「わからないこと」、そして自分の哲学や信念を異国の一学生に語れるところ、かっこいい。#inclusion視察
2013-01-23 11:50:34@akinaln とても興味深いです!私は支援の先生との相談で「あまりに自立活動や行事に偏りすぎるのもどうか?数字や言葉にもアクセスしてほしい。微分積分をやって評価してくれとは言わないけど・笑」と言うと、先生は「もちろん。それは生きる力の範疇だと思っている」と言いました(続)
2013-01-23 12:02:56当たり前のことなんだろうけれど、国としての方向性を決める時には、「何が正しくて何が間違っている」の議論をしたり、「やべー他の国におくれとっちゃう!」って話でもなくて、国の歴史と理想と現状と課題を整理して、その上で国としてのベストを選びたい。#inclusion視察
2013-01-23 12:05:13@akinaln 配慮や支援を集団の中で求めても学校側の判断が「ちゃんとできてますよ」という目が届いていない状態。結局親が勉強して迷いながら家庭でできることを模索するのが現状です。集団の中で学習することの何を以ってよしとするのかの認識に埋まらないギャップを感じます。
2013-01-23 12:05:48@akinaln 「将来どう役立つのか?」という視点から考えると、数字や言葉は日常生活でも必要なんですけど、加えて「人として豊かな世界の概念の広がりを知る」意味もあるのではないかと感じるのです。「教科の本質」ってなかなか難しい問題ですね。
2013-01-23 12:06:39@aloha_koh ありがとうございます!ペーパーワークが多い件はやはり今日も課題として挙げられていました。一応障害者教育法の中にペーパーワーク削減法がありますが、特にNCLB以降はさらに増えているようです。http://t.co/yJ8su18k
2013-01-23 12:07:59@nottomato すみません>< インクルーシブ教育=必ずしも場の統合ではない、ということです。アメリカでは通常教育カリキュラムへのアクセス>同じ場 を国として選択しています。
2013-01-23 12:11:47ありがとうございます!整理できていなくて分かりにくくて恐縮です^^; RT @muranori7 同感です。一連のインクルージョンに関するツイート、勉強になりました。RT @akinaln:「インクルージョンは場の議論だけじゃない」#inclusion視察
2013-01-23 12:23:25同感。「個に応じた教育」なんて安易に使うべき言葉でない。RT @akinaln: 特別教育は1975年以降、通常教育とは別枠で発展。「個々に応じた無償で適切な公教育」がよしとされてきたが、何をもって「個々に応じた」なのか、何を持って「適切」なのかについての議論はされてこなかった。
2013-01-23 12:25:58社会の課題と個の課題、確かに!RT @hiyokoharumaki 「場の共有」は存在を知ることにはなるけれど、障害児の存在を知ることは社会の課題であって、知ってもらうことを個人の課題に置き換えて語られてしまうことにモヤモヤしてたので、なんかスッキリしてきました。
2013-01-23 12:41:51個の課題と社会の課題が異なるように、個への「適切」な教育と社会としての「適切」な教育は異なるよね。#inclusion視察
2013-01-23 12:49:32そこも混同しているケースが多い気がする。「個々のニーズに応じた」は個への「適切」な教育であって、「スタンダードベース改革」は社会への「適切」な教育。#inclusion視察
2013-01-23 12:50:16. @muranori7 「適切」と鍵かっこ付きにしたのは、個に対して何が「適切」かは個によってもちろん異なるし、社会にとって何が「適切」かは社会によってもちろん異なるからなんです。なので国としての方向性を決める時に、「今はこれを適切としよう」って議論が大事だと思います。
2013-01-23 12:59:58アメリカのスタンダードベース改革が正しいとか間違っているとかは別として、「今はうちらはこれを適切としよう」ってはっきりとしているところはなかなかすごいと思う。#inclusion視察
2013-01-23 13:02:03今は現場レベルの先生方も全員スタンダード・ベースのことは知っているし、通常教育カリキュラムへのアクセスを促さなければいけないことも浸透している。共通言語が政策レベルから現場レベルまで落とし込まれている。「社会としての適切な教育」を全員が知っている。#inclusion視察
2013-01-23 13:05:18ただ、アメリカが選択したその「社会としての適切な教育」が本当に多様性に耐えうるカリキュラムかどうか、っていうのはやっぱりきちんと検討していかなきゃならない。#inclusion視察
2013-01-23 13:06:56知的障害教育学者・藤島岳先生が「教育って哲学だよね」って言っていた。今日の先生も「哲学と科学と両方」って言っていた。ほんとうにそう。何が正しいか、わからないもの。生活スキルを教えたらいい、とか、教科を教えたらいい、とかわからないもん。#inclusive視察
2013-01-23 13:18:16だから「信じること」が大切。「教科の本質」が将来にどうつながるの?って聞いた時に、「分からない。でも本質を教えることが将来につながること、それに価値があることを信じること」が少なくとも必要って言っていた。#inclusion視察
2013-01-23 13:21:31