- kizineko07
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いろいろと読んでいるのだが、一つの大きな問題が、自分には1980年代の韓国の民主化運動の盛り上がりが「感覚的に」理解できていないことだということに気づいた。 #kanken
2010-08-25 07:28:07その原因の一つは自分自身が、学生運動等がすっかり沈滞してしまった時代の日本に育った事にあるのかも知れない、と考えた。つまり、自分には「自分達の運動で世界を変えることができる」と「信じられる瞬間」が、想像できないのだ。 #kanken
2010-08-25 07:31:03で、韓国のものと平行して、日本の学生運動や左翼運動に関る著作も読み始めた。そしてすぐにわかったことは、1960年代末以降時の日本において運動をしている人々には、酷い閉塞感がある、ということ。そこに体制側に勝つことができない自分達に対する焦燥感を見ることができる。 #kanken
2010-08-25 07:35:04でも考えれば、体制側の弾圧は日本より韓国の方が遥かに強力だったし、実際問題として1980年代初頭には、韓国の学生運動等も深刻な沈滞状況に直面していた筈。にも拘らず、韓国において運動を行った人々が自らの運動の価値を信じることができたのはどうしてなのか。 #kanken
2010-08-25 07:38:13日本の体制変革運動は、現実の壁に当たって挫折すると共に、これを打破しようとして一部の勢力が武装闘争に乗り出した結果、浅間山荘事件や山岳ベース事件などを引き起こし、決定的に求心力を失った。韓国の反体制勢力が同じ道を歩まなかったのは何故か。 #kanken
2010-08-25 07:42:59ひょっとすると、体制側からの制約が大きかったことが、反体制勢力の運動に正統性を与えると共に、彼等が武力闘争へと「暴走」できないように歯止めとなっていたのか。 #kanken
2010-08-25 07:45:20もう一つ考えるのは、1980年代の韓国の反体制運動は、「周会遅れの1968年の運動」なのではないのか、ということ。つまり、日本やフランス、更にアメリカでも60年代末から70年代にかけて反体制運動のピークがあり、その「賞味期限」は1980年代までに切れてしまう。 #kanken
2010-08-25 07:47:30日本の68年を勉強してビックリしたのは、そのメンタリティーが80年代の韓国学生運動とまるで違っていたこと。ニヒルな感性が68年の底辺にあった。それを知って、反体制と民族主義の順接が可能だった点で80年代の韓国運動はむしろ60年安保に近いと思うようになりました @kankimura
2010-08-25 08:02:59@aniooo そうですね。韓国の運動のあの「明るさ」の原因は何なんでしょうね?
2010-08-25 08:04:5560年安保と80年代の韓国学生運動を類似的に見ることができる一方、日本の68年近傍は93年以後の韓国学生運動と類似性が見いだせるでしょう。そのメンタリティーにおいて。実存的理由で運動する人の比率が多かったり、漠然とした抵抗感が売り物になったり、と。 @kankimura
2010-08-25 08:08:14@kankimura すくなくとも80年代の運動は、どう思っても体制は間違っており、自分たちが正しいという確信があったと思います。光州があったので、メディアの見せる現実を否定するのも容易だったのでしょう。また、人口層的にエリート層になることが保障されていたので、卒業後も安心できた
2010-08-25 08:13:2790年代以降の学生運動の雰囲気はよくわかります。実地で見ましたし、内容も感覚的によくわかる。不毛な思想論争など68年以降の日本にそっくり。RT @aniooo: 60年安保と80年代の韓国学生運動を類似的に見ることができる一方、日本の68年近傍は93年以後の韓国学生運動と類似性
2010-08-25 08:15:33光州はやっぱりポイントなんでしょうね。因みに私は韓国の運動は70年代と80年代で雰囲気が全然違うと「感じて」います。RT @aniooo: @kankimura すくなくとも80年代の運動は、どう思っても体制は間違っており、自分たちが正しいという確信があったと思います。光州
2010-08-25 08:17:18ただ人間は「正しいと言う確信」だけではなかなか運動できないと思うんだな。少なくとも、沢山の人が参加するのは難しい。
2010-08-25 08:18:11@kankimura そして、80年代は、少なくとも大学という空間においては共感の輪を広げるのが難しいことではなかった。周り(大学内)の現実を自分たちの力で変えられることを実感できたために、世界を変えることもできるという確信を持てたのでは、という感じもします。
2010-08-25 08:18:12いやあ、81年や82年頃の状況は過酷ですよ。RT @aniooo: @kankimura そして、80年代は、少なくとも大学という空間においては共感の輪を広げるのが難しいことではなかった。
2010-08-25 08:19:10@kankimura 僕も70年代と80年代は、随分違うと思います。70年代に経済力で北朝鮮を追い越したのに、80年代に韓国の大学生の一部が北朝鮮に思想的に近寄ったのはなんとも皮肉なことではありますが。
2010-08-25 08:23:20@kankimura 確かに81,2年は過酷ですが、地下サークルという形で、「体制が見せたい現実」とはまったく異なる現実があることを知らしめることのできる、情報の継承ルートは確保できましたし、これらの情報はのちにやはり共感の輪を広める重要な役割を果たしたと思います。
2010-08-25 08:26:17@kankimura あと、感想のような質問のような、ですが、「革命の本拠地」、「幻想のウラ祖国」としての「北朝鮮」の存在って関係ありませんか?ちょっと昔そんなことを書いたことがあって…(朝鮮学校系在日とのシンクロというか彼らの共感が直接のテーマですが)。
2010-08-25 08:36:37@kankimura 光州抗争の件に関して一般の韓国人としての意見を申しますと、「光州抗争」と「全共闘」は大きく違うところがあると思います。何故ならば、日本の全共闘運動は「体制の変化」、つまり「世界を変える」という目標あった反面、韓国の場合、言葉そのままの抗争だったからです。
2010-08-25 09:04:20@kankimura 保守側ではいまだに「光州暴動」という表現をよく使うのですが、一般の人は認識が大きく変わり、(認識というか、真実を知るのが遅かっただけなのですが)軍部に対する抗争として覚えています。
2010-08-25 09:04:33@kankimura 特に光州の場合、抗争に参加した人々の年齢や職業がさまざまだったため、学生運動とは違う観点からみる必要があると思われます。そして光州抗争に対する国民のシンパシーと全羅道に対する韓国人の偏見はどうやって両立するのかなど。
2010-08-25 09:07:41@kankimura いまだにレッドコンプレックスが存在している、90年代になってやっと民主政権になった韓国で、「運動史」に関して語るのは素人の僕にとって非常に難しいことなのですが、光州についてはいつも興味を持っていましたので・・・
2010-08-25 09:07:58