被無断転載を黙認する事の是非の話から哲学のお話へ?
@Alice12x08 次に科学的態度とは何かってのを語らねば…なんて。それはなんでもかまわない、それを批判して、可能性を導けるか、いやそれはまた科学哲学とは別のフェイズであるかも知れないですが、自分にはかつての神に代わり、より信じるに値する神としてそれがある様にも思います。
2013-01-28 22:39:29@Alice12x08 しかし実在する事それが独立して価値を発生するその、必然性は示されないと思います。科学が必ずしも実在する事のみを扱うわけではないと思うし、また「科学は実在する。」というのは、個人的に凄く、感動的であるけれど、その証明は簡単ではない様に思います。
2013-01-29 01:13:06@3or7935 科学的思考方法の有意性であれば証明は容易なのではないでしょうか。概念それ自体を疑うことはできても、実際に運用されている現実的メソッドの、その有効性を否定することは困難になります。実在する/しないに関わらず、それは現実的に有効な手段です
2013-01-29 01:17:45@Alice12x08 何が有意性で何が有効性か。その定義が科学的態度によって示され、それが科学を証明できるか。「宗教的態度」と「科学的態度」は何がその選択の是非を担うのか。
2013-01-29 01:33:13@3or7935 そのことによってなにが成されたか、が有効性です。科学的態度には科学それ自体を懐疑するための方法まで組み込まれているので、早期に絶対者を設定する宗教的態度と違い進化の余地があります
2013-01-29 06:37:33@Alice12x08 何かが成す。というのはただそこに行為があるとかよりもより肯定的な意味合いとして、例えば「そのこと」の有効性は量的に比較されたりする様な、それは功利主義的なものか、それともだいぶ別ものであるか。絶対者の設定、その導入の早期性とはどの様にそれを計るのでしょう。
2013-01-29 19:27:17@Alice12x08 ところで「宗教的態度」と「科学的態度」を対比させてしまったけれど、これは、よくないかも知れないですね。
2013-01-29 19:42:06@3or7935 一方は絶対視であり、他方は懐疑的ですね。人は「全てを同時に」疑うことができないだけで、足場を動かせば全ての事項に懐疑的態度は取り得る。それが科学的であるということ。神は絶対で不動ですね
2013-01-29 21:10:06@Alice12x08 『「普遍絶対であるもの」が「神」』とする時で「一時的限定的であるものは神ではない」が普遍絶対であれば、「その事実」は「神」ないしその性質で在り得るので。ところでその神の定義は科学的態度によって導かれるのか、宗教的態度によって導かれるのか。
2013-01-29 22:42:31