体罰は教育?暴力?/「実直な精神」、支配と制御・見せしめ

大阪の高校での体罰自殺報道で、体罰批判が高まる中、産経新聞の編集委員が体罰容認記事を書き、「体罰の会」が体罰擁護講演をしている。更に、『小田原の中学体罰 意見続々8割超が教諭擁護』の記事のように体罰賛成・必要という意見は根強い。 このような体罰擁護論と、いじめや虐待やパワハラを含め、子どもの人権と教育・指導・しつけとの関係、更に「人間力」や指導力=支配と制御の能力が社会で問われていること、との関係について、文科省通知やスウェーデンでの体罰廃止記事などを参照し、子どもの尊厳と人権における相互性についての考察をまとめました。 また、女子柔道の指導者による暴行・パワハラ問題や、AKBの丸刈り事件、桑田真澄氏の体罰批判、日本や欧米での体罰の歴史、体罰自殺のS高校の体罰の実態‥ 続きを読む
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ひじじきき @hijijikiki

こちらこそ。指導の名の下に、軽度な体罰や子どもの尊厳を侵害する行為が根強く支持されているようですhttp://t.co/Kd7diZ1rが、米国ではどうですか?RT@zankateiお知らせいただ‥@Basil1127 @satoopen @nankuru28 @Fox_Oedo

2013-02-11 20:55:06
谷口輝世子KiyokoTaniguchi @zankatei

@hijijikiki 米国でも南部を中心とする19州では、学校での体罰は法律で禁じられていません。ただ、日本の体罰とは少し意味合いが違い、違反に対しては、お尻を1回たたくなどの規定があったり、これを行う教員が決まっていたり、保護者が同意した場合のみなどと決まりがあるようです。

2013-02-11 23:30:15
ひじじきき @hijijikiki

ご回答多謝です。まとめにあるように、スウェーデンでは1960年代に体罰容認9割が2000年には1割に。(続く RT @zankatei ‥違反に対しては、お尻を1回たたくなどの規定があったり、これを行う教員が決まっていたり、保護者が同意した場合のみなどと決まりがあるようです。

2013-02-12 22:57:17
ひじじきき @hijijikiki

@hijijikiki 続き)私の子どもの頃、60年代は体罰はほとんどなかったように記憶してますが、その後の世代は体罰や校則が酷くなり、現在は軽度の体罰ならOKの風潮のようですが。@zankateiさんのご経験や、現在の周囲や米国では、体罰に関する感覚や見解はどのようでしょうか。

2013-02-12 22:58:11
谷口輝世子KiyokoTaniguchi @zankatei

@hijijikiki 私の住んでいる州は1980年代に体罰禁止になっています。周囲では体罰を見聞きすることはありませんが、もしも、指導者が子どもを殴るなどしていたことが明らかになった場合には、警察の捜査が入ると思います。

2013-02-13 03:54:05
ひじじきき @hijijikiki

欧米では少し前は体罰が普通だったようで、その時子どもだった今の親は体罰禁止に違和感を感じてないのでしょうか?RT @zankatei1980年代に体罰禁止になっています。周囲では体罰を見聞きすることはありませんが、もしも、指導者が子どもを殴る‥場合には、警察の捜査が入ると思います

2013-02-13 14:17:52
谷口輝世子KiyokoTaniguchi @zankatei

@hijijikiki これについては私も調べているところです。今、分かっているのは①米国で体罰を禁止している州でも、学校における体罰の禁止で2州だけは私立校も適用の範囲となっていること。②2000年ごろの調査では、子どものお尻をたたいたことがあると回答した親が90%いた、です

2013-02-13 22:50:29
ひじじきき @hijijikiki

前記スウェーデンでは1958年に学校の体罰禁止法成立。その40年後に体罰肯定が10%に減少。一方で日本では1947年学校教育法で体罰が禁止されたが、今頃大問題に。(続くRT @zankatei 2000年ごろの調査では、子どものお尻をたたいたことがあると回答した親が90%

2013-02-14 20:16:16
ひじじきき @hijijikiki

@hijijikiki 続き)日本では、しつけや教育を学校にお任せし、自分たちで考えてこなかった、「暴力の連鎖」を考えないこと、等が問題の様な気がします。欧米では法や正義を重視し、日本では空気や上位者の顔色を読む、と言われてますが、@zankatei さんの実感ではどうでしょうか

2013-02-14 20:17:13
ひじじきき @hijijikiki

@hijijikiki @zankatei 続2)日本では一頃校則で生徒を縛り、違反者に制裁のパターンが多かったと。米国ではどうですか。また、欧米では幼少期に体罰でしつけ、成長するに従って「人間扱い」するが、日本では青年期の反抗への対処、という話しもありますが、どうでしょう?

2013-02-14 20:18:34
@naruhiko62

今回あれだけ体罰について騒いでいるのにそういった体罰禁止法とかの流れに向かわないのはやはり体罰勢力が大きいことを示していますし、今回の報道をはじめとした体罰に関する騒ぎも目的は別なところにあるのかもしれませんね!@hijijikiki @zankatei

2013-02-14 20:41:52
ひじじきき @hijijikiki

「いじめ防止対策基本法」で体罰も取締りhttp://t.co/hHHAZWHGと。しかし元々刑法と学校教育法で体罰は二重に禁止され、暴行罪になるはず。(続くRT @naruhiko62 体罰禁止法とかの流れに向かわないのはやはり体罰勢力が大きい@zankatei

2013-02-14 22:15:18
リンク t.co 自民、いじめや体罰防止へ法案 今国会での成立目指す - 47NEWS(よんななニュース) 自民党は29日午前、文部科学部会を開き、学校でのいじめや体罰問題の深刻化を踏まえて検討している「いじめ防止対策基本法案(仮称)」の議論を始めた。部会長の水落敏栄参院
ひじじきき @hijijikiki

@hijijikiki @naruhiko62 @zankatei 続き)問題は体罰を支持し隠蔽し、現行法で可能な処罰を実質的にさせない力が働いているhttps://t.co/MuLhkh6Mことかと。指導のためなら子どもの人権や尊厳は二の次、という考え方が根強いためでは。

2013-02-14 22:20:51
F Hiroyuki @fjhiro3

いじめ加害生徒は暴行罪になるのに、体罰で生徒の鎖骨を折っても減給1/10(一ヶ月)で済むの? 「指導が行き過ぎた」など「指導」と呼べば教師の暴行は許されるんだ!|体罰で生徒の鎖骨折る…都教委、中学教諭を処分(読売新聞) http://t.co/6KAtKXVm

2013-01-11 06:40:42
谷口輝世子KiyokoTaniguchi @zankatei

@hijijikiki 米国では世間よりも法律重視だと思います。ただし、ときに、教員や指導者が生徒の体に触れてはいけないなど極端な規則を作る学校もあり、私は教員や指導者が常に潜在的な加害者として見られることのないようにとも懸念しています。米国がいかに変わったのかは調べ中です。

2013-02-14 23:08:07
ひじじきき @hijijikiki

日本では教員や指導者の体罰=暴行に対して、法の公正な適用をしてない(まとめに書きましたhttp://t.co/vUaYKiLx)ことが体罰の温床の一因かと。(続く)RT @zankatei 米国では世間よりも法律重視だと‥教員や指導者が常に潜在的な加害者として見られる‥

2013-02-15 20:44:29
ひじじきき @hijijikiki

@hijijikiki @zankatei 続き)教員の現場での指導の実際を考慮しない規則や規則の適用や偏見が、悪い影響や結果をもたらす恐れが強いのはその通りかと。「米国がいかに変わったのかは調べ中です」>調査結果楽しみにしています。ネット上でも公開していただけると嬉しいです。

2013-02-15 20:45:59

 


 

 ■ 以下は、spitzibara氏と、同氏のブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」のコメント欄でのやり取り:

http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66044330.html#66098782以降のコメント欄から

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 @hijijikikiの投稿:

こんばんは。@hijijikikiです。またまた超遅コメントですが、体罰について。まとめ『体罰は教育?暴力?/「実直な精神」、支配と制御・見せしめ』http://togetter.com/li/453601
を作成しました(コメントの下の“名前”のリンクからも行けます)。体罰肯定・擁護がまたもや湧き出してきたので、とりあえず要所だけのつもりでまとめを作ったら、予想外に長くなってしまいました。

体罰もパワハラも虐待も尊厳死も差別‥も、支配と制御が深く関与し、“「実直な精神」を持たせる”=自発的に服従するように仕向けるように、意図的/非意図的にしていること、が共通しているのでは、と思います。

2013/2/18(月) 午前 2:17 [ @hijijikiki ]

いろいろな要因が絡み合って、事態がこうなっているのだろうけれど、権利についてのもっとも基本的な感覚であろうと思われる、権利の相互性、すなわち「私の自由や生存を他人に認めて欲しいなら、他人の自由や生存も同様に認める必要がある」こと。消極的自由権としては、「自分がして欲しくないことを、人にもしない」こと、が軽視されている、考えられていないのでは、と思います。

それに加えて、「人」の範囲を限定しているのではないか、ということがあります。考え方が自分中心的になりがちであることは、誰にでもある普通のことだと思います。しかし、それ以上に、強い立場に立つ者が弱い立場の声を聞こうとせず/配慮せずに、権利の相互性の相手=他人=人、の範囲を限定して、弱い立場を切り捨てて、結果的に弱い立場の権利を踏みにじっていることの、わかりやすい現れが体罰やパワハラや虐待や尊厳死や差別などではないかと思います。

2013/2/18(月) 午前 2:19 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。いつも意義深いまとめを作ってくださって、ありがとうございます。私も「世の中そのものが虐待的な親のような場所になりつつある」という印象をずっと抱えているので、特にhijijikikiさんが言っておられる以下のような個所、とても共感します。

「自分の配下の者を上手く指導(広義の制御と支配)できないと、世間から後ろ指さされる傾向は昨今強まっている。公共施設で子どもが泣くと母親のせいにされ、生徒が言うことを聞かないと、指導力不足教員と呼ばれてしまう」

「三浦朱門氏の言う「エリート以外の非才は実直な精神だけ持っていればいい」のエリートは、より「人間力」、即ち人を支配し制御する能力を求められ、非才はより従順に支配され、服従することが望まれるようになったのでは」

また多くの方が貴重な情報を持ち寄ってシェアしてくださっているのも勉強になります。スウェーデンのとりくみや、それから桜ノ宮高校の生徒がツイッターで学校批判を書いて停学処分になったという話など、知らないことが多かったです。

2013/2/18(月) 午前 8:33 [ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

拙まとめへのコメントありがとうございます。

引用していただいた箇所は、まさに現状について言いたかったことの核心的な部分で、これらのことと、マスコミで騒がれている事件や、現場で起きていること、更に現状を何とか良くしようとする活動や、それへの反動などなどとの関連をとりあえず記録し、まとめようとしたら長くなりました。

「多くの方が貴重な情報を持ち寄ってシェアしてくださっているのも勉強になります」>ご指摘いただいて、改めてネットでの情報・意見交換や情報・意見の提示や伝達・表明のしかたが重要だ、との感を強くしました。

ご紹介したまとめにも引用したCAP(子どもへの暴力防止プログラム)http://togetter.com/li/292872は、草の根の市民運動や女性運動、反差別運動と同様に、エンパワメント(内なる力を引き出す)を重視していて、問題(子どもへの暴力)を自分たちが主体になって解決しようとする方向性があります。(エンパワーメントの「内なる力」というのは、「人と人との相互作用によって生じる力」と理解した方がよいと私は思いますが)

2013/2/19(火) 午前 2:22 [ @hijijikiki ]

CAPは、学校に地域のオトナがやってきて具体的な対策をとり、子どもが安心して話ができる環境、オトナ自身の子どもとの関わり方を含む環境を作るためのプログラムです。

地域の、関係するオトナが協力し合うことがまず第一に必要ですが、「情報(や意見)を持ち寄ってシェア」し合うことはその土台となることで、CAPのみならず、市民運動系の“自分たちで作り上げる運動”には、そのシェアし合う仕方を作り出すやり方が重要かと。

その辺の“自分たちの運動の作り方”の例として適切かどうかはわかりませんが、昨年の都知事選の時の宇都宮候補の勝手連運動で、宇都宮氏に「がれき広域処理に反対の立場を表明すべき」と働きかけた結果、時間はかかったものの宇都宮氏は反対の立場を明確に表明しました。
宇都宮氏の支持を表明した共産党は、がれき広域処理に反対しておらず、その点もネット上で議論になりました(共産党はいまだにがれき広域処理に反対していないようです)。

2013/2/19(火) 午前 2:24 [ @hijijikiki ]

以前に作成したまとめ『右傾化と揺り戻し:選挙後のspitzibara氏とのやり取り』http://togetter.com/li/433993
で:
『「(為政者などが)権力に見合った知性がない」‥このような社会構造、権力構造にどう対処したらよいのか。その例が田中正造や原田正純氏などの行動や、その他の近・現代史における多くの弱い立場の側に立ってきた人たちから学ぶことでしょうか』
と書きました。

宇都宮氏もこれら“弱い立場の側に立ってきた人たち”の一人であり、そういう人たちから学ぶと同時に、彼ら/彼女らと“情報や意見をシェアし合う”ことも、それと同等、いやそれ以上に必要なことだと思います。
前述のように都知事選での宇都宮候補や共産党へ注文を付けることに見られるような形で、“情報や意見をシェアし合う”ことによって、自分たちの意見を反映させる運動をリアルでもネットでも作ってゆくことの可能性があることが、この例を考えて、少しではあるが感じられました。

2013/2/19(火) 午前 2:26 [ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。そういえば、先週のいつだったか、日本で前回尊厳死法制化の波が来た時に阻止する会の会長をされたのが原田正純氏だったんですね。そのサイトに行き当たった時に、何度目かではあったんですけど、hijijikikiさんとのやり取りを挟んでのことだったので、原田氏のお名前、その下にある同会の方々の弔辞に、ハッとしました。

私もそうなんですけど、私たちがある問題について「自分はこう思う」という時に、それは、その問題についてどれだけ知り、その知った事実に基づいて、どれだけのことを考えて形作った「意見」なのか。もしかしたら何も知らないで単にそう感じているというだけの「感想」ではないのか、と一度自分を振り返ってみることができるといいですよね。偶然にせよ、何らかの情報に出会うとか、何かを知るというのは、その契機になると思うので、ネットで情報がシェアされていくということの力を信じたいですね。

2013/2/19(火) 午前 9:31[ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

原田正純氏については、私にも同様の経緯があって、以前は立岩真也氏がHPで取り上げているのを見て、“水俣病関係以外でも注目されている”くらいの認識でした。

311の原発事故以降に原田氏の新聞記事「水俣病の失敗に学ぶ原発事故対策とは?」や、TVのドキュメンタリー番組を見て原田氏の思想に注目するようになりました(記事は拙まとめ『科学的証明が先か、安全重視か:低線量の放射線被曝・水俣や肝炎・薬害・津波・インフルエンザなどに予防原則・予防的な対策が適用されてきた/されてこなかったのか』http://togetter.com/li/221741の最後に全文掲載してます)。

「差別のあるところに公害が起こる」という発言も、現場を見て、そこで生きている人のことを考える姿勢からでた、普遍性のある見解だと思います。

2013/2/19(火) 午後 11:22[ @hijijikiki ]

『どれだけのことを考えて形作った「意見」なのか』>と問われると、何にも考えてないような(笑)。でも「単にそう感じているだけ」も、場合によってはありかも、とも思います(ご発言の主旨は理解しているつもりです)。

「一度自分を振り返ってみる」>仰るように、振り返り、反省はとても重要ですが、その内容や筋道にもよるのかと(spitzibaraさんには釈迦に説法ですが)。
御用学者や官僚や政治家などが「事実に基づいて考えて反省した」と言っても、傍目から見て全くそうではないように見えることも。

この辺の立場の違いや利害の対立・衝突などで、何を基本にして考えて意見を形成してゆくかというところで、「単なる生存、健康で文化的な生活の権利」を前提にしない人に何を言い、どう議論・意見交換するか、というようなことがわたし的にはムズイ課題としてあります(前にご紹介した、まとめ『「どうして障害児を生むことをそんなに恐れるんだろう」から始まったやり取り』http://togetter.com/li/403603でのやり取りなど)。

2013/2/19(火) 午後 11:23[ @hijijikiki ]

 

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 @hijijikikiの投稿:

コメント欄でのやり取りを、拙まとめ「体罰は教育?暴力?/「実直な精神」、支配と制御・見せしめ」の末尾に、とりあえず掲載しました。

過不足や問題がありましたらコメント下さい。

2013/2/20(水) 午前 0:17[ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。まとめの谷口さんとのやり取りの部分を読ませてもらって、先週DVDで見たニコラス・ケイジ主演の『ハングリー・ラビット』というサスペンス映画の中で、教師が生徒を殴ったら自動的に3週間の停職処分、という場面があったのを思い出しました。それから30年近く前に米国カンザス州に留学した時に、ピアノ科の学生さんから「レッスンで日本のように手を叩かれるということがないのは、こちらでは教師が学生の身体に触れてはならないことになっているから」と聞いたのも。で、谷口さんがおっしゃっている法規重視というお話が、とても腑に落ちたのと、それがたまたま昨日のNYTにあった「ダメ教師をより分けてやめさせる」ということが目的化した「教育改革」の記事と繋がったもので。

2013/2/20(水) 午前 7:41[ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさん、「立場の違いや利害の対立・衝突などで、何を基本にして考えて意見を形成してゆくかというところで、「単なる生存、健康で文化的な生活の権利」を前提にしない人に何を言い、どう議論・意見交換するか」というところ、本当に難しいですね。

「意見」と「感想」については、このところの個人的な体験からあれこれと考えつつ、いつかエントリーに書けたらと思っているのですが、まだ未整理のままです。つい、先走って書いてしまいました。そうすると、やっぱり舌足らずになりますね。汲んでくださって、ありがとうございます。

2013/2/20(水) 午前 8:01[ spi*zi*ar* ]

hijijikikiさんにはもちろん十分に汲んでいただけているのですが、もしかしてこのやりとりだけを読まれる方もあると思うので、念のために追記しておくと、

アシュリー事件、射水の呼吸器外し、カトリーナの安楽死事件、いわゆる「人権意識の高い先進国で行われている安楽死や自殺幇助」、慈善資本主義などなどについて、きちんと詳細な事実関係を知ってみると、知らずに考えていた時とは問題そのものが全く別の様相を呈していることが見えてきた……という体験が、spitzibaraにはあるもので。

2013/2/20(水) 午前 11:17[ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

ご紹介していただいた米国の話し、日本と大きく違って見えて興味深いです。

まとめにも書きましたが、日本ではその場の空気や、上位者の顔色を読むことが過剰と思えるので、「体罰」=暴行罪の事件などで、「法律をちゃんと適用しろよな」と思うことがしばしばですが、米国だと真逆に法律や上位者の権限を機械的に適用して、それ自体を目的化してしまう場合があると。

一見して日本と大違いにも見えますが、たぶん米国でも「その場の空気を読む」ことはあるのでしょうが、コミュニティや中間集団毎の「その場の空気」が違いすぎて、「共通する空気」がない、わからない、読めないためということもあるのかと(キリスト教的な欧米文化での法の重視という文化的な違いも無論あると思いますが‥。以上、欧米で暮らしたことがない私の想像です)。

その場の空気や上位者の顔色を読むことや、法律や権限を機械的に適用してしまうことが過剰・優位になると、それ以上に重要だが見えにくいこと、「単なる生存、健康で文化的な生活の権利」などの基本的人権・権利が軽視されないがしろにされていく恐れが強いのでは。

2013/2/21(木) 午前 1:31[ @hijijikiki ]

このように、強い立場からは見えにくい、弱い立場に立たされている人や、その周辺の人にはとても重要な権利が侵害され踏みにじられていることについて、追記していただいたspitzibaraさんのこれまでのお仕事で取り組まれていることは、もっともっと広く知られて欲しいと思います。

今後も身近なことから巨大資本の動勢まで、いろいろ書いてもらえることを楽しみにしています。

2013/2/21(木) 午前 1:34[ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、おはようございます。

米国の教育改革の話ですね。あれ、私も一見すると日本と大きく違って見えるけど、デジタル思考による強権的な管理強化の拡大・浸透という点では同じような気がして、実はこの記事を読んだ時に真っ先に頭に浮かんだのは、日本の教育現場でも教師評価は過剰なほどに進められているし、この方向はいずれ来るな、ということと、それから、この前、猪瀬東京都知事が天気予報が外れた時に責任を問うと息巻いた、あの発言でした。何もかもが「○○すれば必ずこうなる」の因果関係できれいに整合していなければならない、みたいな。日本でもこんなに格差と分断が広がっていくと、おっしゃっているように「共通する空気」が持ちにくい社会になっていきますね。ほんと、恐ろしいです。

2013/2/21(木) 午前 7:59[ spi*zi*ar* ]

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 @hijijikikiの投稿:

猪瀬都知事の気象庁責任追及発言、石原元知事と同様な、権力者から言いがかりを付けやすい相手へのバッシングだと思います。

『「共通する空気」が持ちにくい社会』>猪瀬都知事発言は、能力主義・業績主義を振りかざした上からの無理筋のバッシングで北風を吹かせているようです。こういう権力者を選んでしまうと、社会が、息苦しい、殺伐とした「共通する空気」や雰囲気の方向に更に向かって行きそうで恐ろしい。

宇都宮さんが都知事になっていたら、正反対の、安心できる、人にやさしい空気や雰囲気の方向が期待できたのに、残念です。

このような「共通する空気」が醸成されて、猪瀬発言などの過剰な能力・業績主義に対応するかのように、“上からの強権的なやり方は嫌だけれど仕方がない”、という諦めや受容が、一般の人=指示され・指導され・評価される側に広がっており、三浦朱門氏の「実直な精神」がはびこっているのでは。

2013/2/22(金) 午前 1:32[ @hijijikiki ]

まとめ『体罰は教育?暴力?/「実直な精神」、支配と制御・見せしめ』を作る動機の一つが、「小田原の中学体罰」事件への意見の『八割超が、体罰は良くないとしながら「この程度で処分すれば先生が萎縮する」』という、“上からの強権的なやり方は嫌だけれど仕方がない”、という考え方がここまで広がっていることに驚いたからです。

この能力・業績主義を背景にした強権的なやり方と、それを支持する空気は近代西洋文明の植民地主義や産業資本主義以降に多くの国で問題になっているようです。

それと別の思想として、中田考氏のインタビュー(まとめが『130131_中田考氏インタビュー IWJによる実況ツイートまとめ』http://togetter.com/li/448410に)を聞いて、氏のイスラム思想の紹介と解説・解釈が興味深く、著書「イスラームのロジック」を読み始めました。

2013/2/22(金) 午前 1:34[ @hijijikiki ]

中田氏によると、下記発言のように、西洋近代の国民国家やナショナリズムはイスラム思想と全く異なる思想、価値観に基づくという。

中田氏「そもそも、なぜ国境があり、国境を越えてはならないのか? なぜ、人間は大地を自由に歩くことができないのでしょうか?本来動けるところを動く。…これは当たり前の話で、自然な自由を求めるのがイスラームです。『密輸』という考え方もありません。なぜ止められるのでしょうか?」

再分配については、ザカート(喜捨)は義務であり、共同体における相互扶助は盛んであるらしいが、「単なる生存、健康で文化的な生活の権利」などの基本的人権・権利についてや、欧米との比較は、読み始めでまだ見あたりませんが、興味深いです。

2013/2/22(金) 午前 1:36[ @hijijikiki ]

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 spitzibara氏の投稿:

hijijikikiさん、「上からの強権的なやり方は嫌だけれど仕方がない」というある種の諦めについては、終末期医療についての「カネがないんだから仕方がないじゃないか」という話が頭に浮かびました。そういう

hijijikikiさんの博学には学ばせていただくばかりです。そちらのまとめも、読ませていただきますね。

2013/2/22(金) 午前 11:52[ spi*zi*ar* ]

 

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