【三国志】蜀における官吏の数と中央集権化

後主伝注に見える蜀記に記載されている、蜀滅亡時の統計は、多くの三国志ファンに、蜀の疲弊を裏付けるものとして扱われてきた。 果たして本当にそうなのだろうか? そうしたことについて考えたツイートをまとめた
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Jominian @Jominian

みんな、蜀は疲弊していた、国力が小さかった、という先入観に囚われ、それをベースに物事を見てしまう。だから、不自然なことに気付かないまま受け入れてしまうんだな

2013-02-11 01:52:23
Jominian @Jominian

蜀漢の行政区分と、後漢の行政区分の違い。後漢の頃に比べて分割が進んでいることがわかる。西晋は蜀漢を引き継いでいる http://t.co/Xfd3AONR http://t.co/Fsn6JQem http://t.co/amNH13TI

2013-02-11 14:51:11
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Jominian @Jominian

動機を説明できないといけない。一見不合理に思える行動でも、それを実行した人からすれば合理的であるかもしれないし、我々が気付かないだけで、実際にも合理的な行動である可能性もある

2013-02-11 15:12:21
Jominian @Jominian

話をしよう。蜀の官吏の数、これを多すぎると言う人が、何を根拠としてそう言っているのか分からなかったし、いまだに分からない。また、分かる気もない。蜀の政治家たちが、何の目的もなくいたずらに官吏を増やしたのだろうか?それだけで、明らかに途方もない数の官吏が雇われるだろうか?

2013-02-11 15:25:01
Jominian @Jominian

官僚が多いということは、別に蔑むべき事象ではない。社会に余剰あればこそ、官僚を増やし、社会の隅々まで行政を行き渡らせることができるからだ。蜀の官吏の数が適正水準を大きく超えていたのか、或いはそうでなかったのかは、今となっては知る由もない。

2013-02-11 15:28:55
Jominian @Jominian

しかし、彼ら蜀の政治家たちに、あまりに不合理な行動をとらせたまま分かった気になることを、肯んじることはできない。不正や腐敗と呼ぶにはあまりに不自然な数であるからには、そうなるだけの理由があったはずである。

2013-02-11 15:34:34
Jominian @Jominian

結局のところ、農業のみを基盤としている間は、効果的な中央集権を達成できない。統治機構が農民を殺すことなく収奪できる資源は限られており、統治機構がより多くの資源を集めるために領域を拡大すれば、その管理コストとの兼ね合いによって、中央集権化は止まる

2013-02-11 16:09:52
Jominian @Jominian

より中央集権を進めるためには、農業以外の財政基盤を必要とする。蜀漢の官吏の増大が、他国よりも中央集権化が進んでいたことによるものとすれば、そうした、農業以外の財政基盤があったとするのが最も合理的である

2013-02-11 16:15:34
Jominian @Jominian

思い出されるのが、蜀の布や邛の竹杖が大夏で見つかった逸話である。また、晋書陶璜伝に、呉の人がで製造された弩を愛用しており、孫皓が、陶璜に捕らえられた孟幹に弩を作らせようとする逸話もある。

2013-02-11 16:32:45
Jominian @Jominian

呉に蜀の弩が流通しており、且つ、蜀の滅亡後はその流通が途絶えたと言うのは興味深い事実である。弩の製造方法が失われたのか、或いは、蜀が魏晋の領土となり、呉への流通を意図的に止めたのかは分からない。しかし確かなことは、蜀の弩は大きな商品価値を持ち、輸出されていたということである

2013-02-11 16:40:30
Jominian @Jominian

蜀が商工業の振興と、そこから得られる税収とによって、多数の官吏を雇用する下地を作っていたとしても、それだけでは、なぜ多数の官吏を雇用したのかという問いに答えることはできない。雇うことができること(Possibility)と、実際に雇うこと(Probability)は別だからである

2013-02-11 19:13:09
Jominian @Jominian

これは、蜀の官吏が多すぎ、財政を圧迫していたと無邪気に主張する人にとっても同様である。それを実行可能かどうかと、プレイヤーが実行するかどうかは、関係はしていても別の問題である

2013-02-11 19:14:33
Jominian @Jominian

さて、では、なぜ蜀はあれだけの官吏を雇用したのか、という問題について考えよう。

2013-02-11 19:18:31
Jominian @Jominian

一つには、その雇用する能力の基盤、すなわち、商工業の振興を行うためである。呉に輸出されていた弩は、当然ながら軍事上の重要な物資であり、製造から商人への販売まで、官が厳重に管理しなければならない。或いは神刀や筒袖鎧も同様だったと考えられる

2013-02-11 19:21:40
Jominian @Jominian

また、軍事上の機密とはならないまでも、その他の工業製品についても、密造や密売が横行しないよう、官によって管理されていたことだろう。そうした役所の維持に、一定の官吏が置かれていたと考えられる。

2013-02-11 19:25:41
Jominian @Jominian

商業によって税収を高めるという手法が蜀で採られていたことを示唆する逸話として、成都陥落時の劉巴の逸話がある。兵が成都の宝物を略奪したため、物資の不足を危惧した劉備のために劉巴が行った提言である。貨幣を鋳造して市場を設ければ良い、というだけの単純な施策だ。

2013-02-11 19:29:09
Jominian @Jominian

兵は、略奪した宝物をそのまま持っていることに価値を見出さない。日用品にしても嗜好品にしても、必要以上は売り払って金銭に換えたいという欲求がある。劉巴はそれを利用したのだ。官の市で売買させ、兵の略奪品を貨幣に換えさせる。その取引から一定の税を取る

2013-02-11 19:33:22
Jominian @Jominian

さらに、兵は貨幣を持っていても仕方ないので、成都や、それ以外の都市で消費する。都市での商業活動に対しても税を掛けられるので、結局のところ、宝物が略奪されたことによる損失は、貨幣を介して政府に還流することになる

2013-02-11 19:37:21
Jominian @Jominian

商業の話は措き、蜀の官吏が多かったことのもう一つの理由を考えてみよう。

2013-02-11 19:38:27
Jominian @Jominian

それは、人口統計に現れている。蜀は滅亡時に28万戸、94万人の民を抱えていた。この、戸数に対する口数の小ささは、しばしば蜀の疲弊を示す根拠とされる。しかし、私は、別な理由を考える。

2013-02-11 19:41:13
Jominian @Jominian

この1戸あたりの口数の減少は、意図して行われたのではないか、ということである。1戸あたりの口数が、そのまま生産力の大きさを示す指標になるかと言うと、必ずしもそうではない。

2013-02-11 19:44:56
Jominian @Jominian

1戸あたりの口数が著しく大きい場合を考えて見よう。後漢書郡国志にも、敦煌あたりは1戸あたり40人と非常に大きい例がある。仮に1戸あたりの口数が著しく大きい場合、その度合いによっては、豪農と変わらない。

2013-02-11 19:56:39
Jominian @Jominian

広大な農地を、多くの人間を使って耕作する豪農に対しては、官権力による収量の把握が難しく、本来得られる税収よりも低く抑えられてしまいやすい。1戸の農家に多くの農民を擁させるのは、極狭い範囲とは言え、徴税権の分割を意味する。

2013-02-11 19:59:50
Jominian @Jominian

したがって、政府が収量を高い精度で把握し、税収を収量と強く結びつけるためには、多数の小作農を管理する方が都合が良いのだ。蜀において、1戸あたりの口数が後漢の時代より減少したのは、そうした理由によると考えられる。

2013-02-11 20:02:17
Jominian @Jominian

国家が管理できる戸籍人口が小さくなっていたからこそ、そこから得られる税収を正確に把握するため気候が必要となったのだ。

2013-02-11 20:05:11
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コメント

Jominian @Jominian 2013年2月13日
まとめを更新しました。
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