渡邊芳之先生@ynabe39の「そもそも「ニセ科学」が問題になるのは「科学だと言われればなんでも信じてしまう」人がいるからではないのか。」
@RawheaD そうすると「心理学も科学」「教育学も科学」ということになるんですがそれはそう簡単には受け入れられないと思いますよw。
2013-02-23 07:35:05@ynabe39 「科学」を何やらモノっぽく捉えるとそういう勘違いも起るかも知れませんが、私が述べているように方法論として捉えれば、心理学でも教育学でも「科学をする」ことは十分可能ですよね。考古学も「科学になろう」とするのは愚かだと思いますが、考古学で「科学をする」ことは十分可能
2013-02-23 13:48:15@ynabe39 懐疑論者などの間でも、science は「なるもの」(be a science)というよりは「するもの」(do science)という捉え方が一般的だと思います。
2013-02-23 13:49:05@ynabe39 その意味で、科学は万能ではなく、科学(ができる)ドメインというのは限りがある、というのは間違いありません。しかし、科学が出来るドメインに置いては、科学は圧倒的に効果的であることも間違いないと思っています。
2013-02-23 13:54:03@RawheaD 方法であるということは「選択できる」ものでもありますし,心理学や考古学が「科学になる」のでなく「科学をする」のであれば,科学を選択しなくても心理学であり考古学であることもできるのだろうと思います。
2013-02-23 13:55:23@ynabe39 そして「似非科学」というのはほぼその定義からして「科学ができる」ドメインに属するものであるから、科学という方法をしてそれを適宜是正していくのが正しい姿勢だと思うわけです。
2013-02-23 13:55:44@RawheaD 「○○学の方法は科学的でなければならない」というのは「科学をする」というより「科学になる」的発想なのだろうなと思います。
2013-02-23 13:56:17@RawheaD ニセ科学が問題になるのが「科学ドメインで科学でないことをするから」なのか「科学ドメインの外部(の問題や人)に対して科学として振るまうから」なのかはけっこうケースバイケースだと思います。
2013-02-23 13:58:47@RawheaD 「科学的な問題を誤った方法で扱うニセ科学」と「科学の問題でないことで科学を装うニセ科学」はそれぞれあるんじゃないでしょうか。
2013-02-23 13:59:08@ynabe39 その点については全く同意します。私は兼ねてから考古学をはじめ、いわゆる「社会科学」の各分野が「科学であろう」とするのは間違いである、と思っています。ただし、例えば放射性炭素年代測定のように、考古学で科学「できる」ドメインは存在し、そこに置いて科学は絶対的優位です
2013-02-23 13:59:35なるほど、確かに RT @ynabe39: 「科学的な問題を誤った方法で扱うニセ科学」と「科学の問題でないことで科学を装うニセ科学」はそれぞれあるんじゃないでしょうか。
2013-02-23 14:00:20@RawheaD われわれにとっては科学は「道具」なんだけれど,自然科学者にとってはそうではない感じは非常に強くしています。その点では「一般の人」も自然科学者に近いんじゃないかなあ。
2013-02-23 14:00:49@ynabe39 それも、同意します。従って、私が最初の方で述べたように、「科学だからと言って信じないでいい」みたいな言い振る舞いよりは、「科学ってのは道具ですよ(ただし、それが使える範囲ではすごく有効な)」って認識を徹底させようとするのが良いのではないかと思うわけです。
2013-02-23 14:03:05「科学」や「理系」に漂う本末転倒臭、代替臭、負け犬臭、モテなさ臭、欠乏臭、代案人生、「電気ギターアンプやエンジンの爆音で自分まで強くなった気がするボク」感、「目的は別でしょ?な空中浮遊」臭、永遠人生、永遠臭、「21世紀に役立つ未来のボク」臭、の超克・解消は急務。@ynabe39
2013-02-23 14:36:48むしろ「科学の人」のほうはこういう「世間の偏見と差別」と戦っている意識が強くて自分たちのやってることが「社会を支配している」なんて実感はないんだろうなとも思う。
2013-02-23 14:39:31