市川團十郎の辞世の句に寄せて
@chronekotei 相撲取りが横綱になるときの口上なども、どこまで本人の作かはわからないですが、それなりに教養が求められる職だということですよね。
2013-02-27 22:45:48@geppeeee そうなんですよね。相撲がサッカーみたいな位置附けだった時代なら、強くて野卑な力士でもよかったし、芝居が卑俗な芸能であった頃なら、千両役者が阿呆な色悪でもよかったんですが、今は教養の範疇であることで存在基盤があるわけですから、アホでは示しが附きません。
2013-02-27 22:51:48もうすでに、近世から幕末の頃に掛けて、やっぱりそれなりに格式のある役者も格式に応じて風流人且つ教養人でなければならないって流れになっていたとは思う。江戸後期の文化の在り方ってそう謂うものだったし。
2013-02-27 22:54:39隠居名を持つ老俳優が俳号を名乗っていたりしてね。その辺の庶民だって雑俳に凝ったり浄瑠璃に凝ったり、文化的な嗜みを趣味として持つと謂うような流れになっていたわけで。
2013-02-27 22:56:24身分の高低とは別の次元で文化の高低ってあったわけですよ。官僚でもあった武家階級が文化に淫するのは好ましからずってのはあったけど、文化は文化で価値があって、プロでもアマチュアでも文化の嗜みを持つことは良いことだと謂う風潮はあったわけです。
2013-02-27 22:59:03当然、そのバックボーンとしての教養は尊ばれていたのが当たり前であって、文化の先端にいるプレイヤーはやっぱり教養人であるほうがいいわけだよね。
2013-02-27 23:00:01@chronekotei まさか……本当に分かってなかったらちょっと、お葬式なのにプッw てなりますね。きっと勘三郎さんが突っ込んでくれてると思います。「お前の息子、全然わかってないぞ!(笑)」って。たぶん海老蔵はこれでいいんですよ:-)
2013-02-27 23:51:04@chronekotei 蒔絵職人や表具師といった人々が茶の湯や和歌などに通じているのも、そういう下地がないと出せないものがあるからなのでしょうね。単に作業の手順だけを受け継いでいるのではないし、微妙に新しいものをプラスしているわけですが、そこを教養が支えているのだと思います。
2013-02-28 00:25:49@geppeeee 文化はそう謂うふうに、引用やパロディと謂うような影響関係の上にあるものなので、芝居も俳諧や茶の湯のような文化を踏まえた上で成立する文化なのでしょうね。
2013-02-28 00:34:43