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黄金町 - 柳美里『ゴールドラッシュ』 物語の舞台への旅:旅と現代文学。
http://www.tabibun.net/scene/b/14/3654.php
*舞踏の創始者・土方巽と黄金町
慶應義塾大学アート・センターの土方巽アーカイヴ作成による「土方巽年譜」によると、
■1960(昭和35)年 32歳
元藤燁子と横浜・黄金町(中区赤門町・赤門荘)に移り住む。公演の資金づくりのため、ダンスチーム「ブルーエコーズ」を結成する。
とある。
また以下のようなブログも発見。
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横浜に住んだその時期、大野先生の舞台を見ている。黒沢明監督の映画「天国と地獄」でも当時の横浜が分るが、当時簡単に手に入ったヒロポンに手を出し、ヒロポン中毒となった。なんとかその中毒から抜け出すのだが、そのドヤ街の生活で、労働者の様子をつぶさに見ていた。
彼の住むアパートは赤門通りの赤門荘といった。私は後に、そのアパートを探し出そうと土方さんの娘さんと探したことがあって、たぶんここだろうというところを突き止めた。また、アパートの住人がおかまであることは知られている。ではなぜ横浜だったのか?土方さんは大野先生の稽古場で踊ることがあって、そこに近いということが理由にあげられる。
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映画「朱霊たち」の前に(part.2) (176) : kj映画談義
http://fromkj.exblog.jp/5593728/
「黄金町バザール:カモメサウンドシステム追放劇の波紋」は2057ビューを達成しました。なんか息苦しい諸事情により、削除される可能性があるのですが、「黄金町の闇」(笑 つーことでご理解下さい。
2013-03-03 00:57:04@yanvalouさんの「黄金町バザール:カモメサウンドシステム追放劇の波紋」が2500viewを超えたよ。話題になってるよ。見てない人いないよね。 http://t.co/YhQwdEswhJ
2013-03-03 12:21:02おっと、このタイミングで黄金町〜伊勢佐木町一帯で「横浜みなと映画祭」が開幕(2013年3月16〜20日)。
今年の目玉は黄金町を舞台にした「濱マイク」シリーズ。
黄金町を愛する林海象監督が来浜しました。
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昨夜は、横浜みなと映画祭の方々に合流し、林海象さん @Kaizo_Hayashi と、山野真悟さん @fujinbou を引き合わせることができた。最初は心配だったけどお二人が親友になるまで時間はかからなかった。
2013-03-05 09:42:18感謝! RT @makimototake: 昨夜は、横浜みなと映画祭の方々に合流し、林海象さん @Kaizo_Hayashi と、山野真悟さん @fujinbou を引き合わせることができた。最初は心配だったけどお二人が親友になるまで時間はかからなかった。
2013-03-05 10:42:44でも、二人の町に対する姿勢や思いは180度違うように思えます。
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海象監督が「闇はほっとけばいいんだよ!!」という言葉が胸に染みます…闇だって個性なんです!安全で効率的でそんな世の中になっておりますが、町の個性って、どこにいったの? #ymff
2013-03-05 22:13:50闇はほっとけ、闇だって個性、なんかいい言葉です RT @ymff_official 海象監督が「闇はほっとけばいいんだよ!!」という言葉が胸に染みます…闇だって個性なんです!安全で効率的でそんな世の中になっておりますが、町の個性って、どこにいったの? #ymff
2013-03-05 23:15:58戦場にも日常があるように、悪名を馳せていた頃の黄金町にも日常があった。
その当時の広域黄金町エリアの魅力を捉えたのが、「濱マイク」シリーズ。
清濁併せ呑んだ横浜旧市街の下町。
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取材先まで歩いたり、コトブキいったり、野毛行ったり!町を歩いて歩いて20年前のマイクの暮らしていた町とは別物になってしまったんだなぁ。#ymff
2013-03-05 22:10:19でも!黄金町だって、野毛だって、魅力的な店だらけ!それを知らないなんてもったいないから、映画祭期間中はみなさんに「ここでしかたべられないもの!」を味わってもらいたいなぁ! #ymff
2013-03-05 22:15:27直接このまとめに反応しているわけではありませんが、ちょうどコンテキストが合致するtweetがあったので引っ張ってきました。
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まちづくりというとふつうは「賑やかな商店街にする」というイメージだけど、黄金町の場合は売春で賑わっていた町を「ふつうの町にする」なんだよね。人通りが少ないじゃないか、といわれても、繁華街でも商店街でもないたいていの「ふつうの町」にはそんなに人通りはないものだ。
2013-03-05 20:17:04 ▲
しかし駅から徒歩ゼロ分〜のエリア、しかも商業エリアが閑散としてるって普通なのだろうか?
もし黄金町にちょんの間や麻薬の過去がなかったとしたら、同じ京急線沿線の南太田や井土ヶ谷のようになっていたかもしれない。つまり閑散とした住宅地。
あるいは赤門通りが栄えて、弘明寺のようになった可能性もゼロではない(*かつて横浜橋商店街と「赤門」とよばれる神社を結ぶ「赤門通り」に小さな商店街があった。現在のKOGANEXがある辺り)。
それは誰にも分からないが、いまの状態は普通とは言えないと思う。
「職人の町」に職人がたくさんいても職人が作った物が見えるところにそんなに並んでいるわけじゃない。「アーティストの町」も同じで何十組ものアーティストがいてアトリエの中で制作していても、それが見えるわけじゃない。
2013-03-05 20:24:53だったら通りに作品を展示すれば良いのに。
それこそ伊勢佐木町商店街のオブジェみたいに。
黄金町の件は、横浜市が2003年から推進している「クリエイティブシティ・ヨコハマ」事業と密に連携しているはず。
市は「普通の町」とか「アーティストの町だとは分かりづらいエリア」を望んでいるのでしょうか?
県警は「普通の町」を望んでいるかもしれませんけれどね。
黄金町に来て、外野の人間のノスタルジーや興味のために町が存在しているのではないという、当たり前のことに気づかされた。町は何より、そこに居続ける人のためにあるのだし、どんな町にするのかはそこに居る人が決めていくべきだ。
2013-03-06 02:10:16 ▲
その結果が、現在躍起になって消そうとしている過去でしょう。
ちょんの間の経営者は外部から来ていたわけではありません。
たとえばかつての町内会長。現在も黄金町にいますが、売春防止法で逮捕歴がありますよね?
2001年の4月です。
彼はちょんの間を二軒持っていました。
(県警から書類入手済み。近所の人たちからも確認済みです)
売防法で逮捕歴のある町内会長。
地元の人はみんな知っているはずですが。
彼は決して恨まれておらず、現在も町内の人々の信頼を勝ち得ています。
また、娼婦が日本人ばかりだった昭和30年代、40年代当たりまでは娼婦も町内会に入っていたと聞いています。
戦後の混乱期の話ではありません。
黄金町は清濁併せ呑んできた土地なのでは?
黄金町マネージメントセンター事務局はこの事実を外部に知られると不利だ、と思っているのでは?
「違法売春追放」と言いつつ、ちょんの間の所有者はまだ住み続けていて町の人から信頼され続けている。なぜならずっとこの町で暮らしてきた仲間だから。
これが地方都市。
これが黄金町。
単純に白黒では割り切れない。
その一方、ちょんの間から飲み屋に戻したものの「もうここでは売上が上がらないから」と、鎌倉街道の裏手などに移転した店舗がいくつもあります。
これは追い出されたと言うよりも、経済的要因によるもの。