大岡川の対岸のラブホテルのいくつかは隣町の住人がオーナーですが、ラブホだけでなく、相当数のちょんの間を今も所有していると聞いています。
地元も一枚岩じゃない。
ちょんの間が流行っていた頃、恩恵を受けていた地元の商売人も少なくなかったわけで。
黄金町駅前でタクシーを拾うと「あの頃は東京まで乗せていくことが結構あって儲かったなぁ」などという話をしてくれます。
飲食店しかり。
「昔話になったから」という部分もあるのでしょうけど、「あの頃は酷かった」という人ばかりじゃない。
ちょんの間が当たり前の世界で育ってきた人たちだもの。
ノスタルジーは感じるでしょう、地元住民だって。
「以前は外国人娼婦がたくさんいてね」と嬉しそうに話す地元の年配者も見たことがありますよ。
まるで武勇伝を語るかのように。
港の歴史と結びつけて「ここは歴史的に国際的な町なんだよ」と。
「抵抗勢力」とか「ちょんの間復活を目論む悪」とかそういう話をしているわけではなく、地元の人のメンタリティーの話をしています。
みんながみんな清廉潔白なわけではない。
かといって住民の全員が関わってきたわけでもない。
でも仲間や知人はそこに関わっていた。
察するに「こういうことになったから、そこは水に流しましょう」というのが、今の流れなのでしょうか?
「まちづくり」とか「再開発」という言葉のイメージから「賑やかな町」を思い浮かべてしまうと、黄金町のまちづくりは進んでいないように見えると思う。
2013-03-05 20:33:57負のイメージだった黄金町の周辺に「黄金町xx」という名を付けた分譲マンションが出来、短い期間で完売した。それ以外にも周辺の人口が増え、数千万円単位で税収が増えているという。ふつうに人が住みたいと思う町になってきている。「ふつうの町」への歩みはゆっくりと進んでいる。
2013-03-05 20:41:05 ▲
これは評価できます。
画期的だと思います。
どこにでもあるふつうの町は、外の人には何も面白くない町だ。売春だらけのヤバイ町の方が面白いに決まってる。でも中の人には「どこにでもある\ふつうの町」になることが悲願なのだ。
2013-03-05 20:44:23 ▲
これって、現在の観光の流れを把握していない人の物言いです。
観光業界のトレンドは非日常の世界から「着地型観光」などとよばれる、普通の町に何度も訪れる形へとシフトしてきています。
世間の人々は馬鹿じゃない。
違法飲食店街からアートの町への転生。
そこを見たくて通ってくる人たちもいます。
でもいまここで話しているのは、もっと別のこと。
ここ数日、黄金町エリアにレジデンスしている「中の人」とメールをやりとりしました。
一般に AIR(アーチスト・イン・レジデンス)事務局はレジデント・パーソンをサポートすべき存在。それが仕事。しかし
>私は、ここは、NPOに何かしてもらう場所ではないと思っています。
つまり事務局は「まちおこし」事務所であって、AIR の場所としては不充分と言うことらしいですね。
(不充分という言い方が適切でないならば、AIR機能を充実させる段階まで来ていない、ということですね)
現実問題として、人的・物理的な限界があるので優先順位を付けざるを得ない。
(実際資金が足りないらしく、某クラウドファンディングで80万円の支援を募っていました)
黄金町の場合はアートよりもそれ以外の部分が優先されているんでしょうね。
それで「アートで町を再生」という宣伝とのギャップが生まれている。