旗をたずねて。。。

米国で発見された日の丸への寄せ書き。その持ち主を探索したプロセスをまとめました。自分用のメモです。
人文
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日の丸の持ち主を探す

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて1】一昨日、フォロワーさんから一件お尋ね。この写真( http://t.co/pOJMEz59Cz )について。米国の某氏のお祖父さんの遺品、日の丸の寄せ書き。一目見て、戦時中の出征兵士へ贈られた物。今の所有者はこれを元の持ち主(高橋重さん)へ返却したいとのご要望
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて2】この日の丸は、誰の物か分からないだろうか?というのが私へのお尋ね。そこで探索を開始。寄せ書きをじーっと眺めて、何かヒントはないかな、と小一時間。手がかりになりそうな記載は「陸軍中尉 渡辺武雄」の人名と、「久保田町」の地名ぐらいかな、とあたりを付ける。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて3】陸軍の士官以上であれば、何かの人名一覧がありそうだと思い、検索したが意外に少ない。(刊行物の要覧や人名録は当然あるが。)そういえばこの中尉という階級も、終戦時には変わっていたかもしれないし、そもそも本人が戦死された可能性もあると思い至り、このルートでの探索は断念
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて4】そうすると、地名表記の「久保田町」が手がかり。こんな地名は腐るほどありそうだなあと思ったが、自治体名としては佐賀県内に1つしかないことが判明。しかし、町村合併で「久保田町」が存在したのは戦後!(現在は佐賀市に合併。)どうも、つじつまが合わない。。。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて5】そこで予想したのは、「久保田町」の「町」は、戦前のことだから正式な自治体名ではなく「繁華街」とか昔の意識で呼んだ「町」だろうなあ、ということ。それじゃあ、この町名を書いた人名は誰だ?ということで、あらためて写真を見ると、何とか「源後彦三」という名前が読み取れた。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて6】「源後」さんとはこれまた珍しいお名前だなあ~と感心して、さて、どの地域に多いお名前かということで、このサイトへ→( http://t.co/zgxoFVNrzN )これによると「源後」さんという苗字の6割は福島県にお住いらしいことが判明。ええー?福島だったのか?
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて7】この源後さんが福島の人だったとすると、福島県内に「久保田」の地名はあるのかな?と、次の探索へ。手元にある平凡社の地名辞典『福島県の地名』をひっくり返したら、あった、あった!今の郡山市富久山町久保田が、江戸時代は久保田村だった!(地図で見ると郡山駅のすぐ側。)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて8】最後にこの久保田に源後彦三さんがいたことを証明できないか?(最初から「源後彦三」で検索すればよいのだが、調査プロセスは常に合理的に進まない、と自己弁明。)そこで「久保田 源後彦三」で検索したらこのページが!→ ( http://t.co/LOYGiIApw8 )
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて9】この福原消防沿革史を見ると、昭和40年に源後彦三さんは消防団分団長に就任。世代的に同一人物だろう。これで日の丸寄せ書きの出所は、ほぼ確定できたと思う。今の郡山市富久山町久保田地区から出征したであろう高橋重さん宛の寄せ書きだと。多分本人確認もここからは容易だろう。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【旗をたずねて10】以上、米国の先方にフォロワーさんを通じてお知らせしました。(偶然、フォロワーさんも福島の人!)なぜこの日の丸が米国の某氏宅にあったかは不明とのことですが、いずれ、然るべきルートで福島に、この日の丸が里帰りすることになりそうです。めでたし、めでたし。(おしまい)

番外

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
えーっと、「母を訪ねて三千里」をもじった「旗を訪ねて」でした。。。

コメント

935 @935 2013年3月9日
すごーい。面白い。日の丸が里帰りしての後日談もぜひお願いします(・∀・)!!
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年3月10日
935 ありがとうございます。もう少し追いかけてみます。 (^_^)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年3月10日
このまとめで紹介した情報につきまして、さらに何かご存じの方はぜひご一報ください。よろしくお願いいたします。 m(_ _)m
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