@home 見守るって、すっごい難しくてさ。手順を知ってても、自分でやった方が早いと思っても、任せなきゃいけないの。しかも、答えがわかりませんって言われても、答えを教えちゃいけないの。どうその答えにたどり着くのか、どう応用するかを教えないといけないの。
2013-03-11 06:41:55@home 傍から見てると、とてももどかしくなる事もあるでしょう。だって、自分は答えを解く方法を知っているから、答えもすぐに導き出せる。なのに、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり「間違った」方法で解いているのを眺めてなくちゃいけない。
2013-03-11 06:49:26@home まぁ、もちろん、あまりにもかけ離れた方向へ突き進もうとしているときは、解く方向のヒントを出す必要もでてくるだろう。だけど、注意しなくてはいけないのは、ここはというポイントに限って、ヒントだけを教える。決して、答えを先に教えてはいけない。
2013-03-11 06:52:42@home 答えを先に教えてしまうと、学び手は「この人に聞けば、いつでも答えを教えてくれる」ということを学習してしまう。だって、自分で解き方を考えるよりも早いし、楽なんだもの。遠い目で見た場合に、それが近道ではないとしても。
2013-03-11 07:01:21@home 答えを教えてくれる人がずーっと側にいる場合は、特に問題も生じないだろう。むしろ、学び手自身が、ちゃんと問題を解いているし、そのスピードも早いように見えるわけだから、周囲の目には優秀だと映るはずだ。
2013-03-11 07:07:28@home では、その答えを教えてくれる人がいなくなった場合はどうだろうか。今まで答えを教えてもらっていたわけだから、自分で答えを出す術を知らない。しかし、周囲は自分のことを「出来る人」だと思っているので、今度は解き方を教える側にも回ることを期待する。
2013-03-11 07:15:37@home 答えの導き方を自分自身が理解していないのであれば、もちろん人に教えることもできない。しかも、今までは教えられる側ということで大目に見られてきたことも、段々と許されなくなってくる。失敗はできない。となると、自分が教えられたように答えだけを教えていくしかなくなる。悪循環。
2013-03-11 07:20:30@home 解き方を教えるときは、まず最初に自分で解いてもらう。次に、一緒に確認する。どの過程で何を考えて、その答えにたどり着いたのか。その時に、決して「その考え方はだめ」「なんでこんなことも分からないの?」なんて言ってはいけない。自分で考えたことをしっかり褒める。
2013-03-11 07:34:03@home 実際のところ、その答えが間違っていようが、正しかろうが、そんなことはどうでもいい。自分で考えて答えを導いたということが大事なのだ。答えが間違っているからと責めるのも、合っているから褒めるというのも、ここでは必要ない。
2013-03-11 07:45:48@home きちんと考えた結果、間違えたのであれば、それを周囲に責められたとしても気にすることはない。教える側が「私がきちんと教えていなかったせいです。すみません。」と謝れば済む話だからだ。むしろ、謝ってくれる人がいる時はたくさん間違えればいい。
2013-03-11 08:00:17@home その間違いは、独り立ちするための間違いだからね。間違いから学べば、教える側冥利に尽きる。長い目で見た時には、それが答えへの近道になる。急がばまわれ。
2013-03-11 08:04:40@home 見守らずにヒントを与えすぎるのも、学び手を思考停止状態に陥れる。「考える」主体は、あくまでも学び手だということを忘れてはいけないのだ。
2013-03-11 08:13:29@home 見守るのは、もどかしくて苦しくて、少し面倒くさい。ちょちょいと答えを教えるだけで、その苦しみから開放される。だけど、誰のために見守るのかを考えるとおのずと答えはでてくるはず。
2013-03-11 08:16:11